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真の勇気とは何か?


☆私たちは一瞬一瞬試されている。

 

 私たちは自由で、幾度結婚してもよく、大金持ちになろうと、ホームレスになろうと基本的には自由だと思う。

 

☆もし、勉強量が足りなくて志望校に入れなかったら、勉強量を増やして再度受験して、何時でもやりなおせるし、それが人生の晩年であってもいいと思う。

 

 でも、それは他人のせいではないでしょう?

 

 「○○大学出で差別されるから、同情してほしい。」と言うのは甘えでしょう。

 

 悔しかったら、仕事で頑張ればいいし、東大出る人はそれなりの勉強をしてきたのだから、それはそれで認めて、自分の方向で頑張るべきだと思う。

 

☆「学生運動」の時代のベビーブーマーの生まれの私たちは、エリートになることが恥ずかしい時代だった。

 

 あの「連合赤軍」の多くは東大や京大や横浜国大の学生たちで、他人に厳しく総括したように、自分にも厳しく勉強してきたのだろう。

 

 今日の文化は漫画家(実はインテリ)やファッションリーダー、ダンスまで教科に入ってきた時代で、勉強だけでなく、センスやルックスが良ければそれなりに負け組と思わず楽しく生きられる時代だ。

 

 それは、ひとつの公平な時代である。

 

☆しかし、派遣先のコンピューター操作で脅迫した青年のように、幸福感を得れなくなった人がいる。
「パソコン遠隔操作事件」の男は猫カフェの常連だった。

 

 なにしろ、自殺国の日本なのだ。

 

お昼?breakです!
一昨日、買ったパンが美味しいです!

 

☆なぜ、今日の日本人は幸福を感じないのでしょう?

 

 幸福には色々あります。

 

 障害のあるピアニストの映画を来週観たいと思ってますが、普通なら耐えられない試練やハンディに勇敢に立ち向かって生きている人もいる。

 

 一方に、健康で名門大学出身でもどんなにハンサムでも美人でも幸福でないと言う人もいる。

 

 どうしてだろう?

 

☆私は若いときにとてもハンサムで一流企業の青年が?「お金があればなんでも買える。」と言ったのに驚いたことがある。

 

 「発言小町」で、あるとき「お金で幸福は買えるか?」と言う問題定義があり、「お金で買える。」との解答が90%ぐらいで、「へえー。」と驚いたものである。

 

☆私が幸福そうに見える人は、
「お金持ちだから。」
「才能があるから。」
「美人だから(20代のことです)」と言われたのであるが、
 私が幸福なのは、「神を知っている。」からです!!!

 

☆「ブス!」「バカ!」と罵られたこともあるのだが、私は女優でもモデルでも学者でもないので、腹もたたないし傷つかない。

 

「絵描きの容姿がなぜ問題になるの?」

 

 美人やハンサムはもしかしたら、ファンがつきやすいのだろうけど、逆に絵の力が本物に成りにくい。

 

 絵だけ残る晩年は評価が絵だけになるのだ。

 

 その時に、ゴッホがハンサムで追っかけ女性がおこづかいで競って絵が売れたりしなかったのが、実力をつけさせたとブ男でよかったとなる。

 

☆神はえこひいきしない。

 

 20歳の時に、神に出会ったと私はいつも言うが、それは誰にでも何処でも平等に起こり得ることで、私の特権ではない。

 

☆駱駝が針の穴にはいるような信仰があれば、誰にでも光の道が見えてきて、やらねばならないことが見えるのだ。

 

 人間は魂で外見ではない。

 

 そして、テレビやマスコミの情報が、「痩せてなければ」「見映えが良くなければ」「勉強ができなければ」「英語が話せなければ」と言う情報が溢れていて、そこから外れると不幸感を持たされてしまうようになっている。

 

 ほとんどのコマーシャルが美容と健康と塾だ。

 

 そこから外れると、お金がなくて学校へ行けなかったり、生まれながらに不細工だと劣等感をもたらせられるのである。

 

 本当はそんなことどうでもいいことなんだ。

 

 大昔は容姿のことなど言ったのかしら?

 

 他人に優しいとか、困った人のために黙って働く人がカウントされる秩序が確実にあって、それは目立たないけれど幸福感を育てていくんだと思う。

 

 そう言うことを教える人が少ないのが驚きだけど、「苛め」で人を殴っても、お金をせしめても幸福感を得られないことを、当たり前に幼児の時から教えるべきだ。

 

☆「いじめの恥ずかしさ」
昨日買った「信濃毎日新聞」にも、いじめで2ページも割かれている。
1988年、長野の篠ノ井の中学2年生の上原夕子さんが自殺した。
校長、担任、家族がそれぞれ反省している。

 

☆ロバート-キャパが若い恋人の撮影した写真を彼女がすぐ死んだので、自分が撮影したと言う実力以上の評価で破格の成功を納めたので自殺願望があったと言う仮説をたてた推理作家がいた。キャパが自分の撮影した罪悪感を持っていたら魂は正常だが、自分が撮影したわけではない事実を最後まで言えなかったのは、「勇気がない。」と言えるだろう。

 

☆「苛めで自殺者を生むのは殺人で、お金をとるのは窃盗だと言うべきだ。」と言う厳しい意見も読んだことがある。

 

 勇気と言うのは、事実をしっかりと見て受け止めることかもしれない。

 

 それが、とても難しいのだろうけど。

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