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聖フランシスコに呼ばれた!

 今朝、一番に視界にはいって来たのがこの映像です。

 

 携帯画面に出ていたのです。

 

☆今日は不思議な日でした。
コンビニ、郵便局によって、神保町までいきました。

 

「奥野かるた店」に行って白地のかるたを買いにいったのですが、結構歩きました。

 

 前に而立書房の社長に「易カルタの在庫がないので再版したい。」と話したときに、「かるた専門店の方がいいから、奥野かるた店を紹介してあげる。」と言ってくれたのですが、そのまま放置しておいたのです。

 

 偶然、部屋の片付けをしていたら、昔、「百人一首」を奥野かるた店に納めた納品書が出てきて、驚きました。

 

 「へえ~!」という感じです。

 

 そして、交番で訊いて着いた「奥野かるた店」に、「百人一首」があったのでした。

 

 大変狭い日本のかるた界ですので、「易カルタ」の方は「任天堂」に納めた納品書が出てきて、80代の社長と色々お話しさせていただいたのですが、この方とはわかる話が多いのでした。

 

 今はなき「ギャラリー吾八」で、武井武雄のかるたがあったのですが、私の豆本も易カルタも扱って頂けたのでした。コレクターのための「コレクション」という季節刊行物があって、この種の極めて趣味性の高いものにしては良く売れたのでした。

 

 社長は最近軽井沢で作られたカルタを見せてくださり、「今の時代は、コレクターもいなくなり、全く売れない。」と言うのです。

 

 「それでも、本屋で作るよりは、カルタ店で作った方がいいだろうが。」と言うものでした。

 

☆白地のカルタ100枚入りを4箱買いました。会員になったので10%の割引分を買いもの券でもらったので、それに少し足して「ふく笑い」を買いました。

 

 それから、「すずらん通り」に信じられないくらい迷ってたどり着きました。

 

 画材屋さんで、筆ペンとアクリル絵の具を買いたかったからです。

 

 それから、表参道に出てVayuにいったのでした。
運良くハーブの先生とお蕎麦を打ってくれる人も来ていて両方堪能できたのでした。

 

☆聖フランシスコのことを考えました。

 

 神よ。
 私を平和の道具としてお使いください。

 

☆私は今、清貧とは言えないでしょう。

 

 しかし、昨年、タクシー代金をけちって雪のなかを黒姫であるいた時に、ひどい咳風邪になって長い間4ヵ月ぐらい止まらなく家族にも迷惑かけたので、聡明にならなければと、食べるものも栄養たっぷりにしているのです。

 

 少し経済的なゆとりも年金によってあるので、お蕎麦も1000円のハーブ-テイーも気持ちよくいただけるのです。

 

 それは素敵な人たちへの応援になるし、同時代に生きる人への運命共同体としてあっていいことなのではないか?

 

 清貧でお茶もせず、安いチケットで買うお蕎麦屋さんだけで生きるよりも、価値があることではないか?

 

☆今日の「聖母の騎士」では、学者が孤立してもキリストの教えの通り放射能の現実について真実を言うべきだとありました。

 

「聖母の騎士」は、コンヴェンツアル-フランシスコ会の月刊誌なので、アッシジのフランシスコの教えが重視されています。

 

☆前にも書きましたが、田園調布の聖フランシスコ教会のブラザー(修道士)に、「旅行に行く。」と言ったら、「行かないほうが神様は祝福してくださる。」と言うのでした。

 

 24,5歳の頃のことで、まだ信者ではなかったのでしたが、国内旅行で国内旅行をキャンセルして、そのお金を秋田の聖体奉仕会に送ったのでした。

 

 ここは、女子修道会でしたが、寄付を請求されるようになり、従順にすべてお応えしていたのでした。

 

 ここの修道女が脱走して、個人で教えたつもりがない電話番号を調べたらしく電話をして来て、児童福祉施設を手伝うように言われて青梅まで週末ごとに一泊して通うことになったのでした。

 

 私がなぜこんなことを書くかと言うと、「従順」には落とし穴があると言うことです。

 

 この修道女は当時60歳でしたが、「ええっ!」ということだらけでした。

 

 全く私の許可も意見も訊かず、その施設の園長夫人に「ルイコさんが、ルルドにつれていってくれる。」と、85歳の人の体力も私の財力も考えず、言うのです。

 

 さらに、これも幾度も書いているのですが、「ルイコさんは、結婚できない人なので一生タダ働きさせて、左団扇で暮らすのよ。」と言いふらしていて、聞いた園長の娘が私に教えてくれたのでした。

 

 怖くないですか?

 

 私はその修道女とは以来、口を利きませんでした。

 

 そして、結婚しましたが、結婚式のミサをあげてくれた神父には、「お小遣いをくれてもいいのよ。」と言われ、すでに公的に常識的なお礼はした後でしたが、20万円渡したのでした。

 

 神父は70歳は越えてましたね。

 

☆これが、「従順」の怖さなのですよ。
 この神父はたった2度のことですが、私の講演料を自動的に受け取ってました。別に神父が持ってきた仕事でもなければ神父のコネでもないのです。

 

 月に5万円がカトリック教会から貰える小遣い(給料)とのことでした。

 

 これは、いい収入源ですよね。

 

 私が結婚せずに働けば自動的に一生、入ってくると神父も修道女も思ったのです。

 

 そのためには、色々考えたのでしょう。

 

☆私が、大金持ちと結婚したのなら場合によっては、痛くも痒くもないお金でしょう。

 

 しかし、清貧(笑)に結婚したので、月に20万円も収入がないのでした。

 

☆私が反省するのは、神父も修道女も私の従順がなければ、ここまで図々しい金銭の無心はなかったということです。

 

 そして、田園調布の聖フランシスコ教会は、お金持ちの夫人たちがこぞって神父たちを自宅に招待しご馳走するので、堕落に堕落しているということでした。

 

☆もちろん、アッシジの聖フランシスコには関係ないのですが。

 

☆今日の「聖母の騎士」によると、金持ちの青年がすべてを捨ててイエスについていかなかったので、イエス様は、「金持ちが神の国にはいるのは、らくだが針の穴に入るよりも難しい。」とありました。

 

 それは、才能、学歴、容姿、出生等みな、神からの預かりもので神のために生かさなければ意味がないと言うものでした。

 

☆神のため!

 

 本当に、今日、神様は私たちに何を求められておられるのだろう?

 

 私達は戦争を許し、放射能を許し、貧困も差別も許している。

 

 事件が起こる度に私達は傷つく。

 

 自分と関係ないとは言い切れないことをどこか知っているのだと思う。

 

 宗教という名を借りなくても、私達には良心があって、誰でも純粋な清らかなものが好きで、苛めや自殺やオレオレ詐欺にはうんざりしているのだ。

 

 きっと、「希望」がないからいけないのだ。

 

 生きていればいいことがあると思えないからいけないのだ。

 

☆神は地上にいきる私達に大きな試練を投げ掛けている。

 

 私達はごく子供の頃から、何となく自分の居所を知っている。

 

 自分は大きな夢を実現はできないだろう。

 

 自分はほどほどの生活ができたらいいと。

 

 そんな風に社会が教えこんでしまったのだ。

 

 本当は、誰にでもある可能性を封じ込めた方が無難なように教えこんでしまったのだ。

 

☆神は人間に何を望んでいるのか?

 

 生まれながらに神が個々に与えたgiftを早く気がついて、輝かすことだ。

 

 美しさに磨きをかける人も。

 

 一心不乱に学問する人も。

 

 目だたずに一隅を照らす人も。

 

 同じように素晴らしく。

 

 体力のみなぎる人も。

 

 面白くて皆を頼ましてくれる人も。

 

 笑い顔を見せてくれる人も。

 

☆来週の長野ロキシーの映画。
予告編で、「神は人生で彼に何を与え、何を与えなかったか?」という。

 

 この問いかけは公平だ。

 

 誰でも、なにかをあたえられ、何を与えないのだから。

 

パンフレットに、
「生涯を通じて恐ろしい痛みに支配された。」

 

 ミシェル-ペトルチアーニの数奇な人生は、全身の骨が折れた状態で生まれた時から始まる。

 

 身長は成人してからも1メートルしかなかった。

 

 代わりに天は二つの素晴らしい贈り物をした。

 

 ひとつは音楽の才能。

 

 誰にでもある愛されるカリスマ的性格。

 

 

☆なるべく若いときに、大人たちは子供たちに無限の可能性が未来にあることを教えてあげなければと思う。

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