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白隠と北斎!その2.

北斎
1759年下総国本所割下水で生まれる。
1765年6歳のころから作画への興味を持つ。
 
12、3歳のころ貸本屋の小僧として働いていたようだ。

 

14、5歳のころ彫刻家某の下につき、木版印刷の版木彫りの職を得た。

 

1778年、19歳の北斎は浮世絵師勝川春草に入門。

 

1779年、20歳の時、勝川春朗名で作品発表。
21歳の時、黄表紙などの挿し絵の分野に進む。
22歳の時、洒落本や噺本に進出。
23歳の時、天明の大飢饉始まる。
30歳の時、浮き世絵、美人画、武者絵などにも進出。
34歳の時、狩野融川に破門される。
35歳の時、俵屋宗理を襲名。
39歳の時、北斎辰政と号する。
40歳の時、不染居北斎の号あり。
45歳の時、4月、江戸音羽の護国寺にて120畳大の大達磨半身像描く。
46歳の時、本年、九々の号あり。
47歳の時、春から夏にかけて曲亭馬琴宅に寄宿。
48歳の時、亀毛蛇足の印を用いる。
49歳の時、亀沢町に新居。
50歳の時、本年、本所両国橋辺に移住。
52歳の時、馬琴と絶好。
53歳の時、秋ごろ名古屋に滞在。「北斎漫画」の下絵を描く。
54歳の時、亀毛蛇足の印を門人北明に譲る。
58歳の時、10月、名古屋西掛所境内で120畳大の大達磨半身像を描く。
62歳の時、11月、4女が没す。
63歳の時、長女離婚。
64歳の時、川柳の号に卍を使う。
68歳の時、中風を患うが、自家製の薬で回復。(一茶65歳で没する)
69歳の時、後妻こと女がぼっする。
70歳の時、孫が悪事を重ね尻拭いをする。
75歳の時、本所までの転居数56回。
80歳の時、火事にあう。
89歳の時、引っ越し93回。
1849年、90歳の時、病床に伏す。

 

私が生まれたのが1947年なので、98年前に亡くなられたのですねえ。

 

 40代の作品。


70代の作品。

☆もう凄すぎて。

 

 (ため息)
右は赤壁の曹操。
左は88歳の絶筆。

☆画狂人北斎に影響を受けたフランスの画家も多いのでした。

 

☆借金もして、子供も亡くし、孫の悪さに苦しみ、名声を得ながらも食べるのがやっとで、着るものや家具などは着の身着のまま、ミカン箱と言う感じだったそうです。

 

 晩年になっても、猫一匹満足に描けないと泣いて悔しがったそうです。

 

 敵いません。

 

☆北斎の絵はこれからもたくさん見るでしょう。

 

 長生きなさったのも、自家製の薬と言いますから、私も頑張りましょう。

 

☆北斎は40代の時に近くで雷が落ちて、腰を抜かし啓示を受けたそうで、以来、絵が売れるようになったそうです。

 

 神様も精進していると見捨てないのでしょう。

 

☆白隠も北斎も面白さ自然さを愛した天から愛された人のようです。

 

 苦しいいことがあっても、堪え忍び自分の仕事を全うしたお二人は非凡な人ですが。

 

 そう言えば、白隠は武士のお姫様の華美な暮らしと召し使いになにもかもさせている姿に驚き、長文の戒めを書いて、お経のように毎日数回読むように送ったそうです。

 

 子供のころ地獄絵を見て、僧になったそうですから本当に老婆心(老爺心)だったのでしょう。

 

 とにかくすてきなお二人に学んで私も少しでも後に続きましょう。

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