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10度の雨の日!


スコーンがあったので!

 
☆10度で雨!
 やや寒いので着るものを考える。

 

 使わないまま10年くらいたったバッグを使おう!
表参道で外国に暮らすときにでもと買ったバッグ。45000円だったそうだ。とても大きくて本が4,5冊入る。


中を開けたらお財布とキーホルダーが出てきた!


 ただ、いちいち鍵を開けるのが大変!

☆落ち着いたところは
デニムのスーツ。白のアンゴラ-セータ。パールのネックレス。
赤色のレインコート。
 スーツはアメリカ製です。金のボタンが付いていて日本でホテルで買ったもの。色はそれなりに長い年月で色褪せて、3本のストレッチが金糸で入っているかエレガントん感じ。コートはスイス製でスポーツ衣服のメーカーらしくしっかりとできている。

 

 靴はねえ。
雨だから新しいのはおろさない。

 

☆10時45分から、銀座「シネスイッチ」で「ある海辺の詩人」を観ます。

 

 1時半から新高輪プリンスホテルの「春風秋月」で「桜の宴」があるそうで、「こすもすのたね」さんが「コノハナサクヤ姫物語」の朗読をし、高さんが琴の演奏をするそうで、いくことになったので軽い食事をどこかでして行くことになるでしょう。

☆今、映画をよく観るのは10代、20代、30代にやり残した青春を取り戻しているからです。  昨晩、あるblogで「マザー・テレサがであった神は本当の神だったか?」と言う問いかけがありました。  個人的に書かれた書簡で神への信頼をなくし苦しんで孤独だったと書いえあったそうです。他のblogでもマザーテレサがお金の心配をしていたとありました。  修道者の人生を選んだ人は揺らぎない信仰のひとばかりでもないでしょう。 ☆私も多くの修道者が食事の不満を言い、お金をねだり、自分の老後のために信者を利用するのを見たことがあり ました。  修道者といえども人間なのでそれを責める気は毛頭ないのです。  しかし、そのお陰で若いときに多少とも弾かれた修道者のみちを選ばないでよかったのでした。もし、聖人のような修道者ばかりにあっていたら、恐らく大変な罪悪感にさいなまされていたでしょう。 ☆私は結婚し、なんにも罪悪感なく自分のお金でバッグも映画も食事もするのです。  信者の献金で出掛けるわけでもなく、寄付を集めて奉仕生活を語るわけでなく、ずいぶん楽になりました。 ☆キリスト教の育てる罪悪感には、いき過ぎが多いのです。 何かを食べてもアフリカの飢えて餓死する人たちを思い出されます。 しかし、現実に、?と言うことが多いのです。 「炎天下でバザーをしていて日射病になりそうよ。」と寄付を募ります。しかし、アメリカで2時間しか睡眠時間がなくフラフラでたつことがやっとでも、私は誰にもそう告げたこともおねだりして楽をしようと思ったことはないのです。 インドやバングラデシュの子供たちも大事ですが、普通の母親は自分の子供を育てるのに必死で、それは当たり前すぎて誰も誉めもせず称えもしない無償の行為で終わりがありません。  思い出すと、10日間も子供を置いて地方の(当時は8時間くらいかかった)修道院にとまって奉仕を請求するのは、世間の常識とはずいぶん違う様に思います。 ☆もう、東銀座の駅につきました。
Tags: via ljapp
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