Ruiico (ruiico) wrote,
Ruiico
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素敵な本「炎の絵」!

土筆が美味しかったです。苦味はなかったです。味付けは昆布醤油。


 年月が感じられる本!


 この本を書かれている中込忠三さんは、母親の影響で慈悲深い。
山梨県の酒造の家に生まれ、東大の独文科を出てから東京の下町の貧しい家庭のこの集う公立小学校の教師をする。

 

 同郷の貧しい画家の絵に惹かれ、絵の具やキャンバスを買い与え、東京に読んで同居しながら絵を描かせ続ける。

 

 長谷川利行もつれてきて3人で同居する。

 

 手塚一夫のことを理解する妻に看病させるが、病身の手塚は死んでしまう。それで、死後、遺作展をする。

 

 中込は手塚に公募展出展を禁止するが、それなりに彼を認める画家が励まし応援した。

 

☆中込の母は法華経で、自分の着物を残さないほど、日々貧しい人たちに、それぞれに必要なものを配っていたという。

 

 中込は手塚が亡くなってから、ある日、少年感化院の子供を引き取り実の子と分け隔てなく育ててほしいと頼まれる。彼は引き受けたかったが、どうしても妻が自分の子と同じように育てる自信がないと言うので断った。

 

 中込がこの本を書いたときは、中央大学の教授だった。

 

 中込の家は与謝野晶子夫妻が訪れ、歌を2首残すような名家だった。

 

☆長谷川利行や手塚一夫の貧乏ぶりが書いてあるが、その人たちを自分の教員の給料で養っていた人、一緒に食事をして寝ていた人の学問のあり方は、今日の日本ではなかなかあり得ないことだと思う。

 

 いい本にであった。

 

 手塚一夫と言う画家も幸せである。

 

 絵もすごいと思う。

手塚一夫は28歳でなくなり、中込と同居した年月は2年である。絵を見てくれた画家は里見勝蔵。 ☆手塚一夫の絵は中込氏が大事に防空壕にしまっていたのにも関わらず、半分は戦災で焼け、残りは戦後、勝手に持ち出した人が自分の喫茶店に飾っている時に火事になって燃えて消えてしまったと言う。 戦時中に妻は子を4人も連れて疎開するのに必死で絵を東京に置いてきたことを中込にしかられた。 中込にとっては、山梨の農夫を東京に連れ出して絵を描かせて誰よりも彼を大切にしていたのにも関わらず、病気に死なせてしまった。せめて絵を守ってやろうと死後に、個展を企画し大手新聞に批評が記載された。  手塚の弟はその個展の案内状をもって戦地に出征したと言う。  手塚の父も紋付き袴で個展会場に現れたと言う。  里見勝蔵の命で作品発表は生きている間はしなかったが、郷里では応募して知事賞を得た。  作品が残らなくても、その高みまで自分の絵を描けた手塚は幸せである。  独学で貧しい画家だったが、中込が材料も食事も住むところも支えてくれたのだった。 ☆この本は「絵がなくなっても、手塚一夫のことを君が書くべきだ。」と勧められて書いたそうです。
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