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今日の宿題!経歴を書くことと「宇津保物語」紹介を書くこと!

高さんに昨日頼まれたことが、東京にいる間に私の経歴と「宇津保物語」の要約というかまとめ、紹介を書いてほしいということなのですが、経歴を書くのはかなり苦手です。

だらだらと書いても仕方がないので、自分のブログにかつて書いた「経歴」を携帯で出しながら、ノートパソコンで整理しながら書こうと思っています。


 縷衣香(るいこ)Ruiico 経歴

1947.10.27 名古屋に生まれる。
1969.4.7   女子美術大学産業デザイン科グラフィックデザイン専攻中の20歳の春休みに、天から「真理・愛・美は同じもので、人類の不幸は目に見えるものしか信じられないことであるので、あなたはそれを目に見える形にして世界に告げなさい。」と告げられる。

1972.12    流異の雅号で「世の流れて異なりての意味」で、渋谷の西武百貨店、京橋のプリントアートギャラリーで個展を開始。シルクスクリーン「占い版画」12種。
          「おみくじ版画」1種。
          以降 村松画廊、シロタ画廊、真木画廊、田村画廊、藍画廊で個展継続

           ホテル・オークラ内のフランネル画廊で豆うちわ販売。アンアン、ノンノで雑誌豆うちわ記載。
1977       クイン社より年賀葉書400万枚発行
           フィンランドの大使夫人より朝日新聞社を通して「日本御伽草子26話の挿絵」依頼。墨絵で制作大使夫人の翻訳でフィンランドで紹介される。
           銀座のギャラリー吾八より限定100部の私家豆本「平安絵巻」「千鳥姫」「闇姫」「妖姫」「豆姫」等7種販売。
1978       「易カルタ」日本商業宣伝社より出版。京橋高島屋デパート独占販売。
           「易カルタ」日本経済新聞文化欄をはじめ50の雑誌、新聞に記事紹介。
           京都「紙泉堂ギャラリー」にて「因果律の歌は優しく流れるー桜咲く 大日本ぞ 日本ぞ 一茶」個展。
           京都印刷より「豆本をデザインした絵」で「1980年度平安絵巻カレンダー」依頼。西陣織の紋紙に印刷した折り畳みのもの。
1979       大阪「ギャラリー靭」で「メビウスの輪」個展。
           6月、ローマでの国際会議「宗教と科学」に参加。イタリア、トルコ、ギリシャ、スイス、ドイツを経てフランスに入る。
           7月 以降パリ滞在。
1981       スペイン、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、ポルトガル、アメリカのニューヨーク、サンフランシスコを回り帰国。
1982       雅号を「流異」から「縷衣香」に変える。
           イスラエル巡礼。
1983       結婚。新婚旅行でスイス、オーストリア、ドイツに旅行。シルクスクリーン版画「聖母子像」を引き出物として制作。
1984       「百人一首」出版。
1986       パリ ギャラリージュンク個展。豆本、カレンダー、百人一首原画、パリで制作した宇津保物語を百人一首とともにフランス訳して展示。
           インターナショナル聖心会の日本の名誉総裁である美智子皇太子妃(当時)に御働きへの感謝としてお礼献上品に「百人一首」が選ばれ、水引をして縷衣香が不在のため、姑が皇居まで運ぶ。
           パリ「カルタ美術館」に購入され、常設展示。
1993       聖コルベ神父殉教50周年記念に長崎「聖母の騎士記念館」より献納依頼。80号の油彩を献上。当時、ブラザーゼノ製作の聖コルベ神父の部屋の壁に展示。
19953      家族でボストンに移住。
           ハーバート大学サマースクールでデッサン、油彩を学ぶ。秋に教授の好意で正規の授業でデッサンを学ぶ。
           ハーバート大学アジア大会で「百人一首」プレゼンテーション。
           以降 ハーバード大学内のネーバーズ組織にて、ジャパニーズ・カルチャーの依頼で「墨絵 1年」「張り子 2度にわたる2時間授業」「和紙作り 1度」「和綴じ本作り 1度」等教授。教える前には常に日本に帰国時に福島県三春(張り子)や福井県武生(和紙)の人間国宝を訪ね学ぶ。
   
           ボストン美術館大学でポスト・バカロレア、ディプロマ・コース、5th year プログラム終了。AT(助手)として4年学ぶ。
           ハーバート大学に続きjyonowatzに油彩を学ぶ。エッグテンペラ画、陶芸、木工、ウェルディング、彫刻、インスタレーション、パフォーマンス
           1年間のプラティカル・トレーニングとしてナンタケット・バスケットを学ぶ。
           現地の小学校中学校で頼まれるまま、折り紙、百人一首、俳画、油彩を教える。
2001       ハーバート大学 アートフェスタで墨絵教え子とともにネーバースでグループ展。墨絵のデモンストレーション。
           4月 ボストン美術館スクールでグループ展示「100個の棺桶と1個の空のゆりかご」インスタレーション。9・11を予言する作品に。
           彫刻展。陶芸展などに参加。

2002       日本帰国。
2003       ハーバート大学 ネーバースにて個展。
2004       バロセロナ IAVE大会。フランスにゴッホの追っかけ旅行。
           姑とスペイン・カミーノ巡礼。
2005       而立書房より「宇津保物語絵本」英訳和約で出版。
           IAVE〈国連のボランティア部)よりグリーティングカード制作。
2006       たま出版より「マリア・コード」出版。
           白金「くれあ」個展。
2007       而立書房より「コノハナサクヤ姫物語絵本」英訳和訳で出版。
           「まめまつり」豆本参加。
           姑と中国 三渓クルーズにて世界遺産張家界と武陵源訪問。
           8.11 北軽井沢ドームパラダイスにて「蚊帳教会」インスタレーション。
           中国 桂林、西安、北京、上海旅行。
2008       クロアチア、スロヴェニア、ボスニア・ヘルツェゴビナのメジェゴリエ巡礼。
2009       而立書房より「二十四孝物語絵本」出版
           北京 IAVE旅行。
           長野 黒姫 神山コテージ建設。
           8.11「蚊帳教会」AKIRAの音楽でインスタレーション。
           竹紙でうちわを作る。
           中国 黄山旅行。
2010       アイルランド「ノック巡礼」。アイスランド火山噴火によりイギリスに渡り待機。ストーンヘンジなど見学。
           8.11「蚊帳教会」インスタレーション。黒姫青年たちによる音楽。
2011       YOU TUBE「二十四孝物語」「蚊帳教会」「Invisible flying church」「lovely coffins」
           「Rebirth from lovely coffins」3.11の予言となるインスタレーション。
           ギャラリー啓祐堂「森の精霊からのメッセージ」個展。
2012       巨大「森の百合の精霊」油彩。
           巨大「世界民族マトリョーシカ30体」。
           油彩多数制作。
2013       一茶生誕250周年に「一茶マトリョーシカ」を一茶記念館に献納。
           変形マトリョーシカ制作。


☆経歴というのは削っても削っても、続いているので単略化は難しいものです。書いてない作品もたくさんあるし、グループ展までは書ききれませんでした。

私はあまり経歴は必要ないという考え方の持ち主です。作品だけを見てくれればいいです

それと、高さんから持ち出された企画ですが、現実には私の絵によりイメージを書家が合わせて書を書くそうで責任がとてもあるのです。

 宇津保物語の研究者は多く、私はただの画家にしか過ぎず、伊藤節子博士が三木教授の家の壁にかかってた私の結婚式の引き出物の色紙を見て、宇津保物語の挿絵を依頼されたのですが、学問をなさる方は商人の依頼と違って、出費負担は私が全部受け持っての制作でした。2歳の娘を連れてパリ個展中に描いた原画でパリで紹介できたのはよかったのですが、伊藤節子博士が望むようにインターナショナル講談社から出版はされなかったのでした。それで、そのまま放置していたのですが、IAVEからグリーティングカードが出版されるときに、宇津保の原画を見た人が絵本にしたらいいというので、私もアメリカで墨絵を教えていた都合で墨絵を足したくなり、絵の枚数がパリで個展をしていた時に数では本にするには足りなかったので新しく墨絵を足したのでした。それで、本にしたのですが、伊藤節子博士に全文を尊重し、草間彌生の本を買った時に手紙をくれた而立書房から出版することにしたのでした。出費は全額私が出しました。それは、前に「易カルタ」が出版されたときに10%の印税をもらったものの在庫がなくなり自分の手元になくなって欲しい人がたくさんいるのに現実にはお分けできなくなったので、個人管理が一番いいと思ったからです。

 もちろん伊藤節子博士には本を数十冊贈呈してます。そして、それは挿絵依頼をされてから20年以上も経過しての出来事です。伊藤節子博士には出版の当てが無かったのだと思います。

☆こうして、20歳からの45年の歴史を見てみると、神様の目から見て私の歩んだ道はどうだったでしょうかと思います。
 今、金の光の雨が降ってきました。きっとそれほど間違ってはいあなかったのでしょう

 私が神様と約束したことは、地上の価値観から見たらとても愚かしいことが多いのです

 世俗的にもっと上手にやってのける画家もたくさんいるでしょう。

 現実にとても名が知られたり、億の単位で売れている画家もいるのです。

 でも、気が付いてみると、私もまだ絵を描き続けていて誰かがいつも見ているのです。

 もしかしたら、とても幸運の持ち主なのかもしれないと思うこともあります。

 しかし、見えない代償をどれだけ払っているかは神様しか知らないでしょう。そして、それで十分なのでした。

☆芸術の道は厳しい。

 聖人の人生もさらに厳しいでしょう。

 そして、つつましい平凡な人生も同じように神に照らされて自分を律して生きることを促されるでしょう。

ですから、基本はあまり世俗的な目で評価される道は取りたくないのです。大金が動くような何かあぶく銭が動くようなそんなものは好きではないのです。

ですから、場合によっては高さんからの依頼を断る可能性もあるかなと思いました。

権威あるひとや著名人が連座するのは、私の世界と違うのではないかと思うのです。




 結構時間がかかったので、今日はここまで。

 
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