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「死ね」と言う言葉。

 残念ながら、教師も同級生も人格が低いのが子供が自殺するときの風景である。

 

☆高校3年生の11月に急遽、美術学校にいこうと決意したときに、絵の教師である日展の作家、田中君枝は口を歪め、「デザイン科は数学が高いからあなたには無理よ。受かって恥をかかすんでないよ。」と口を歪めて言ったのだった。

 

 昔のことで彼女も女子美術出だった。

 

 私の担任は古典の教師で男だったので、「学科は問題ないので、実技を頑張るように。」と言ったのであったが、美術学校は一応デザイン科が偏差値が高いので、8人も同じ高校から女子美術を受けたのだが、合格が一番心配されていたのは事実だ。3ヶ月だけ日曜デッサン教室にかよってデッサンと色彩構成を学んだのだった。

 

☆私は子供の頃から教師を信用してなかった。
 今ならセクハラで問題になるだろうけど、髭面の絵の教師に頬ずりされて、「こんな子供とみかん山に登りたい。」と小学5年生の美術の時間があった。

 

☆ベビーブームの生まれで塾通いは6年の秋、9月から半年だけだったが、白金小学校という越境が半分の8組もあったクラスで7組である私のクラスは中学受験で軒並み落ちたのだった。
 
 それは、4年までの担任が塾嫌いで、7組は塾に通う子が少なく5年の秋に転校して来た私は知らなかったが、その影響で軒並み落ちたのだった。

 

 私の母親は元小学校の教師で、子供は放置していたら何も学ばないと思う人で、なかなか入れてくれない定員オーバーの個人塾に日参し、守備よく入れたのだった。

 

 懐かしいですよ。「自由自在」という4教科の問題集を学校帰りに毎晩お弁当持って通い、都営のトロリーバスで帰るのが10時だったか?

 

 日曜日は大塚の模擬テストで、全国の順位が出るのでした。

 

 私はいつもいっているように、普通で親も好きそうな小学校から短大(その後、大学まで)までの女子高に受かりました。

 

☆その学校は、ほとんどの教師がお茶の水を出た独身の女性で、細かいというか、うるさいわりには人格教育というのがなかった気がします。

 

 欠点というのは、先生方が幸福でなく、戦争で男子が死んだ犠牲者の年代で、「生きる喜び」とか「学問の楽しさ」というのは、教えてくれなかった気がします。

 

 生徒はおっとりで、育ちも良く、どこかしゃれてましたね。

 

 ですから、陰湿な苛めというのはなかった気がします。

 

 格差というのはなかった気がします。

 

 時代のせいで、短大でもいいという親が多く、勉強する人は勝手にして大学がなかったので、いわゆる名門大学にも良く受かる学校でした。

 

☆大学に入り、「死ね」と言う言葉を教師や同級生から浴びることがあるようになったのでした。

 

 「まだ、生きているのか?」
 「殺されちゃうよ。」
 「あなたが生きれるほど甘い世界なのか?」

 


  「結婚するんじゃないよ」
 それらの言葉はデザイン科に入ってから浴びるようになったのでした。

 

 いちいち、真に受けて死んでられませんが、家にまで押し掛けて、殴る蹴るをされたり、廊下を歩いていて平手打ちもされたのも大学でのことで、人間の怖さに驚かされたのでした!

 

 また、中学での自殺事件のように、たかりというのですか?

 

 無心とか安物のプリーツスカートにタバコで焦がされ穴を開けられたこともあります。

 

 ですから、孤独にも強くもなったし、精神の安定をキリスト教に求めもしたのでした。

 

☆なぜ「死ね」と言うのでしょう?
 他人が死ななくては自分が保てないほど危うい存在なのでしょうか?

 

☆「殺すなかれ。」
とは、十戒のもっとも大事な戒めなのですが、現実に世界中に殺しは行われている。

 

☆自殺した子供は品性の低さと馬鹿馬鹿しさに諦めと哀しみを持ったのだろう。

 

 当たり前に、「死ね」と言う教師と同級生。

 

 どこから、改善したら良いのかと私も途方にくれる。

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