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芭蕉は自然を。一茶は人を。

 これは、今日一茶館で知ったのだが漱石の言葉だと言う。

 一茶は生い立ちが決して幸福でなかったのに、母親が3歳で死に継母が来て、虐待とはいえないかも知れないが、母親の愛情に薄かった。50歳を過ぎて結婚して子をもうけたもののかわいい盛りで子は亡くなり、最愛の妻も病死してしまった。再婚で離婚したこともあった。三度目の結婚のときは火事で家を失い、やがて蔵のなかで死を迎えた。

おおよそ、人間の苦しみを体験したはずなのに、彼は人間が嫌いではないようだ。子供が可愛い盛りで次々と死んでも絶望をしていない。万年の句にはむしろ地球愛、宇宙愛に広がっている。この稀有な楽天気質は生きる力だ。



☆今日、観た「アンコール」は、「家族に捧げる」と最後にあった。

家族が幸せなのは基本だ。しかし、家族を持たない人生の選択もできる時代だし、不可抗力の力で家族を失っている人もいるので、こんなに開かるさまに家族讚美はできないが。

「年金組」と名付けられたコーラス-グループ。私も年金を貰ってもうすぐ一年になる。
それで、イギリスのごく平均的な年寄りがコーラスを歌うために集まり楽しんでいる姿は明日の私のような気もした。

 主人公の頑固じいさんは「歌って恥をさらす」ことを妻に禁じた。しかし、死期の近づいた妻は「歌いたかった。コーラスのお仲間にはいる。」と主張し、しぶしぶ妻の送り迎えをする。
若い音楽の先生は、「恥ではない!楽しめ!」と、老人たちの過去の偏見や羞恥心を壊していき、自由になった老人たちには活力を得た。


何もしないのが一番悪いのだ。仲の良くない息子は父に「ほめてくれたことないじゃない?」と言う。「陰では誉めていたさ。誇りにおもっていたさ。」と父親は答えるが、「自分に直接、言ってくれなかったじゃないか?」と言う。

うーむ。日本の親は謙遜に「不束な息子です。できの悪い娘です。」と言うのだ。私の娘はアメリカに12年いたせいか、言葉に出すのだ。「パパ、大好き。ママのためになら何でもするわ。」と。

私たち日本人の夫婦はコミニュケーションが下手で、黙っていても察しなければいけないのが普通だ。今時の若い人は違うかも知れないが、このイギリスの映画のように「キスして。」等と70歳を越えた夫婦が言っているのは想像できない。

しかし、この夫婦の晩年の労りを見て、私たち夫婦の最近の会話を思いだした。どこかのの学校の音楽コンクールを観て。「私たちの小学校も合唱が強かったわね。よく全国大会で優勝したわよね。クラスで男の子ひとり、女の子ひとり選ばれたのだったけど、男の子は抜群にA君がうまくて選ばれたのだけど、女の子には特別にうまいのがいなくて、私が選らばれて参加したのよね。でも、あれはT君の推薦で歌がうまかったからではないと思う。」小学1年生から一緒なので、対等で憎まれ口が普通の毒舌なかいわの延長は、「うっせー。」と言う主人の言葉で終わるのだが、これが意地悪と言うことでもない。

この頑固じいさんを映画の批評で「可愛い。」と言うのがあった。若い音楽の先生は頑固じいさんの頑なさを溶かそう、溶かそうとしているうちに頑固じいさんの言葉にしなかった妻への想いを引き出すことに成功する。
何が人間の達人かというと、音楽の力か妻を失った人への当然の慈しみなのか、私たちは言葉で語らなかった彼の想いに感動するのだ。何かが弾ける時にルールは、要らなくなる。


何かが弾ける時に心動かされる。

☆やはり、自然も美しいが人間も美しいのだ。

そんなことが感じられたので今日も善き日だった。
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