Ruiico (ruiico) wrote,
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祈ること。


父に祈ることはたくさんあります。

 

切羽詰まった一つは、相続税を払わないと父の家が差し押さえられてしまうそうなのです。

 

上の弟が勝手に妹と組んで、父のメインの資産を売ってしまったので父と母が残したものは、もう唯一父の家だけなのです。


末の弟が毎日、一日も休まず父の介護を
しいていたのに、父の亡くなる二日前の深夜に嫁と上の弟がやって来て金庫の中から末の弟の給料も含め全部持っていってしまい、父の個人秘書として給料を貰っていた末の弟は収入すら失ったのです。

 

父が子供4人に4等分と言っていた財産はほとんど上の弟が取り、偽造遺言書で辛うじて父の家が私と妹と末の弟の3人に相続されることになり、その相続税が不服裁判を起こしている末の弟にかかり、住んでるマンションを売ってもお嫁さんの家族の協力を得ても到底払えない金額だと言うことです。

 

☆妹は既に相続を受けていて、その金額と同じ額を相続に同意をし判を押した私は、貰えるのですが私は一切動いてなかったのでした。

 

☆土地代と言うのがあって相続税が異常にかかり「ええっ!」と思うほど小額なのです。

 

それでも、末の弟を助けて父の家を守りたいと言うのが私の気持ちです。

玄関の電気を消してみました。

☆上の弟が偽造した遺言書には母が全く無視されてます。母は今も生きていて松濤の病院にいますが、くも膜下で倒れて以来、イロウで生きてます。もう、8年ばかりになります。

 

中目黒の病院に2年いて、東京にいる兄弟3人で毎日4枚くらいでる浴衣の洗濯物を引き取り洗濯して通ってましたが、もちろん、上の弟も下の弟も洗うのは嫁で運ぶのは彼らで、私は私も洗濯し運ぶのは私と娘で週に3度通ったものでした。濡れた浴衣って重いんですよ。介護士さんがざっと便を流していたのでしょう。

 

それがある日突然、上の弟と鹿児島から来た妹が母を渋谷の完全介護の病院につれていき、信じられないことですが、実の娘の私や実の息子の末の弟にも病院長が医療診断書をだしてくれないような病院なのです。

 

☆母が倒れた日に父がお寿司を買ってきて幾度呼んでも母が起きて来ないので、2階のベランダから母を覗いたら痙攣を起こしてしていたので、直ぐに呼んだのが末の弟です。

 

母は息子二人が自立して以来、二人の部屋をぶち抜き 、広くなった部屋にベッドを持っていって、人形部屋にしてロココ調のインテリアのなかで暮らしてました。

 

中から鍵がかけてあって、父が入れなかったのです。

 

☆呼ばれて駆けつけた末の弟は、全面ガラスをバッドで割ろうかと言ったそうですが、父は冷静に鍵屋を呼んだのだったか、鍵を見つけたのか。

 

兎に角、次に末の弟は、私に電話を掛けてきました。

 

「救急車を呼びなさい!」と私。

 

次に私は鹿児島の妹に電話をしたのです。

 

鹿児島の妹から長男である上の弟に電話がかかり、東京の3人は手術に同意するサインのため中目黒の病院に夜中の2時に集まったのです。

 

救急車に乗ったのは末の弟で、5ヵ所位は断られたそうです。

 

その間に妹からの電話で「上の弟が親が死んだら私、ルイコの取り分を二人でやまわけしよう。」と言って来た。」との内容ですが、私が「母親が死ぬかもしれないのになにいっているの! 馬鹿!」と妹に叱ったことが、「せっかく知らせてあげたのに。」と後に妹と上の弟が文字通り私の分と末の弟の取り分を二人で山分けするための遺言書偽造になったのでした。

 

☆やれやれ。

 

法律では父親の遺産の半分は母親のもので、その事が偽造遺言書ではないのです。

 

それで、末の弟が母の後見人をたてて裁判を起こしているのです。

 

☆父と仲良しなのが私で、母と仲良しなのが末の弟でした。それでも私は嫁いでから母と仲よくなり、母は倒れるその前日まで私と母は週に一度火曜日に一緒にお出掛けしてお昼を一緒にしていたのです。

 

母は夢みる夢子さんで、姉と宝塚に歌劇を観に行ったり女学校でソプラノ-コーラスで歌っていたそうで、よく声高らかにハレルヤや流浪の旅を歌いながら家事をしてました。勝ち気で喧嘩大好きで、負けたことがないと言うようなきつい性格で、慈悲深い父が好きな私はよくいじめられてましたが、父も愛人がいたようなので母もヒステリーにならざるを得なかったのでしょう。

 

☆そんな訳で、末の弟は、両親の口の聞き役で両方から愛され、家が豊かになってから育ったせいか物欲が丸でない。

 

私も母親とはいつもぶつかって毎日のように泣いていたのに、真ん中の二人、上の弟と妹が「自分達は親に愛されなかった。財産でももらわなければ割に合わない。」と思うと言うのには、びっくりでした。

 

うちの母親は異常とも思える権勢家で、親の言うことを効かない子には実に何でもしたのです。

 

電話も取り次がない。仕事先を罵倒する。妹も大学の同級生からの電話でただのクラブ活動の友達だったらしいのですが、母親から「あなたの家とは付き合わさない。」と言われ立場をなくしたそうです。

 

私も海外で絵を買ってくれたコレクターの住所録も母親に捨てられましたし、どのボーイフレンドも母親の眼鏡にあわず相手にもせず付き合いをさせないのでした。

 

妹にもそうだったようです。
その結果、妹は独身なのですが同居していた40代は激しい罵り合いがあったようなのです。

 

☆上の弟は大学の時は家を出て父の仕事先に住んでました。母とも父とも合わない上の弟は結婚の時も反対され、祖父経由で許可され結局は両親とも結婚式に出たのですが、親戚はお通夜のような結婚式で両親が気の毒だったといい、相手の家族は万歳をしていて、私も妹も複雑でした。

 

☆どういうわけか、私の主人は小学校の時から母のお気に入りで、「身分が違うから嫌だ。」とごねた私に殴ってでも結婚に持っていったのが母です。

 

それで、母は昨日までとがらりと変わり、私の家に出入りし、主人も驚くほど、タンスの中に乳児の産着やタオル等詰めて、私も親孝行と許してましたが、急に仲良くなったのでした。

 

☆妹から見れば、酷い仕打ちです。

 

私は一日も早く絵を描いて自立し身をたてることが夢で頑張ってきたので、結婚するつもりも子を産むつもりもなく、妹とは同じ環境で悲哀に泣いていた同士だったのですから。

 

「グリム兄弟のように二人で文化的なことしたいね。」と深夜にラーメンを作って話し合ったものです。

 

☆末の弟からの電話で、

 

「私は妹を救おうと思うのよ。今、とても寂しいと思うの。

 

父は私への遺言は二つあって、一つは、「絵を頑張って収入を得て末の弟と会社を作りなさいというもの。

 

もうひとつは、お姉さんなんだから、妹が少しくらい可笑しなこと言っても、頭をなでなでして、同じレベルで争ってはいけないよ。」

 

と言うものなの。

 

老後も心配ないように、定年退職したら東京に来て寂しくないようにお茶でも食事でも誘うし、長野に来てもいいのだと伝えようと思うの。」

 

と、話したのでした。

 

☆上の弟は春に見たときよりも、秋の裁判で見たときにとっても小さく見えたそうです。

 

☆鹿児島に行って、妹に会おうかな。
夏に末の弟に「裁判を取り下げなさい。」とすさまじい手紙を書いてきた妹はまだ冷静でないかもしれないがよねもしかしたら、精神を病んでるかもしれない。過呼吸。脳梗塞。その前も腱鞘炎で腕が動かないときもあったし、杖もついていたときもあった妹。

 

神経質で勉強家で母親に似たところはキツイところ。容姿はほぼ私と一緒なのだが、私は明るく愛嬌がいいのでちょっと得しているかもしれない。

 

☆まあね。皆が幸福であってほしいのです。

 

それにしても、私の宿題で絵で末の弟を養うのにはまだほど遠いので、こちらを頑張ろう。

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