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「アーティストになれる人、なれない人」その4.

20代の仕事がほぼ順調だったとて、30代の前半は人間の様々な弱さ、醜さ、負の部分を見た時間だった。

 

身から出た錆と言えるが、大阪大学の工学博士というおじいちゃんという年齢の人に頼まれて、いきなり送ってきた原稿の出版社を探してほしいということで、地球ロマン誌の編集長の紹介でたま出版に持ち込んだのだが、そこから闇のどん底に陥れられることになった。

 

ここの社長はどういうわけか、いろいろな問題ある人に私の電話番号を教え、どう言い含められていたのか、卑猥な電話やお金の要求、タダ働きを「前世召し使いだった。」「前世姉であったのに自分の世話をせずに逃げたので今世は世話しろ。」と言ってくるような中年女や大学生たちで客観的にマイノリティなので、精神病患者とか身体の障害者を邪見にするかのように陥れられ、タダ働きやたかりで身動きできなくなってしまった。

 

集りも始末が悪く「天からルイコさんの出資で研究するように言われた。」というレベルで、無視すると大の男が顔から血を流すほど張り倒してきたのである。

 

中年女性の宗教はやがて死者を出すほど世を騒がせた。

 

後でわかった事だがたま出版は3度倒産していたようで、世の中を良くしたい等と考えてきた独身の20代が終わる頃の女性は格好の餌だったのだ。

 

しかし、脱出はパリに行くことでできた。計算外は大学生がジュネーブだロンドンだと言っていたのにパリに来てしまったことだ。

 

20代の頃から少しでもお金ができると仕事の合間にアテネ-フランセやお茶の水キリスト教会でフランス語を学んでいた私も極初歩レベルの語学能力しかなかったが、彼らは英語もフランス語もできるようではなく自分で住むところを探すようでもなく転がり込んできたのである。

 

パリの本物のアーティストに打ちのめされた私は制作はしなかったが、行ける近隣の国の美術館巡りをしていた。ノルウェーのムンク。オランダのゴッホ。フィレンチェのメディチ-コレクション。スペインのゴヤ。

 

しかし、迷惑をかけられること多くうんざりしながらも、お人好しさが災いして兎に角無事に日本に帰って貰い、自分はニューヨーク、ロス-アンジェロス、サンフランシスコを経過して日本に帰国した。

 

パリでは1980年度の西陣織りの紋紙に私の豆本をカレンダーにしたものができていたので、それを教会のバザーで売って売り上げは全額寄付した。また、易カルタで占う易パーティも幾度もした。

 

そして、スピリチュアルではローマの国際会議の「宗教と科学」に出席したのち、聖母マリアの御出現地を訪問して1年半ほどルポを書いた。それも必死に私のパリの住所を調べて頼んできた「日本神学」というごく少数発行の月刊誌であったが、毎月20枚の原稿を送ったが無料。もらったのは静岡のお茶缶1本で、その読者と言う中年の女性がパリまで訪ねてきたが、「忙しい。」等と言おうものなら、非人間と罵倒されそうな気配であった。

 

30になったぐらいの絵を描いただけの世間知らずの独身女性は中年や老人の目からみると良い鴨であったのだ。

 

母親が泣いて「娘を食い物にしないで!」と故瓜田社長に騒いだが、もう欲望に狂った人間にはそんな良心の欠片はなかったのだ。

 

救出してくれたのは、ローマの国際会議であった内田秀男工学博士で、ドイツ人と結婚した息子さんが通訳としてローマに駆けつけたのに、日本からの妨害で内田博士のプレゼンテーションが中止になっていた。それで、平和の為に役立てるはずのスピリチュアルの世界が実はマイノリティの野心の巣窟で、お金と名誉を求めていかがわしいことがたくさん行われていたのだった。

 

私がそう言う人たちに利用されてタダ働きやお金の無心にあるのを知って、内田工学博士は、それらと縁を切るように注意してくれたのであった。

 

悪質と言うことは怖いことで、その後、誰でも同情せずにはいられない障害者を使ってたま出版を助けるように言ってきた。

 

へとへとに疲れ栄養失調となって帰国した私はスピリチュアルのけじめとしてカトリックの洗礼を受けたが、この宗教家の一部も俗世界と等しくお金を無心し、公然とタダ働きさせて自分は楽をしたいと言うのであった。70代の神父はやがて未亡人の画家と20年同棲し 60だった修道女は共産党と組んで福祉施設の給料を引き上げさせ、「孤児が可哀想でないのか!」と連れ出された児童福祉施設もボランティアで働かせ業績が終わり月刊誌の取材が来ると家族ぐるみで「ルイコさんは邪魔」と追い出された。取材するように手紙を出したのも私がしたのだが、栄光は自分達が独占したいのだった。強引に山梨の瑞牆山に雪の降るなか連れ出され、肺炎でゼイゼイする癖はそこから始まったのだった。

 

これらが宗教の愛のなのもとに行われたのだ。誰が孤児が可哀想でないと言えるであろう。

 

☆最近読んだ中沢伸一の言葉に「オームの信徒はスピリチュアル野心に利用されたので本当に可哀想だ。」と言うのがあったが、驚くほどスピリチュアル野心のある人が多いのだ。それも自分が努力するとか勤勉にするとかの野心なら構わないが、他人を騙して野心を叶えようとするのだから犯罪である。

 

そう言えば、日本神学に書いた記事のために集めた聖母マリアの資料も、勝手に「週刊現代」の記者に知らせ、取材と言って来たその記者が全部横取りし、大変なベストセラーになって本を山ほど出版している。

 

☆私の反省は絵を描いているだけでよいのに親切と同情心で偏見も差別もなく関わったことがいけないのであった。

 

それで、35歳で結婚することにしたが、神父はこの機会すら逃がさず「お小遣いをくれてもいいのよ。」と20万円ほどせしめた。もちろん正規の公的な御礼は支払った別にだ。

 

66歳になった今ならわかる。私が講演すればその仕事は私に直接来たのにも関わらず、報酬は神父が貰っていたのだ。だから、これからは結婚すればその甘い報酬が消えるので、甘い報酬の最後のチャンスだったのだ。

 

☆結婚と同時に、百人一首の注文や「宇津保物語絵本」の仕事が来て、母に乳児の世話を頼み実家に泊まり込み1年かけて原画を描いた百人一首は37歳でパリ個展で発表し、パリ近郊のカルタ美術館で買い上げられたり、パリ-ユネスコで働く人に購入され、レジョン-ド-ノオール賞を受賞した画家の家に招かれたりした。

 

姑は協力的で実家の母と一緒に来てくれたりした。
姑と。

母と。

スイスのデザイナーと。

↓ 右の人はテレアビブで個展を企画してくれると言ったが、私にはその余力はなかった。そして、湾岸戦争になったのだ。

奥様と。

舞台美術とか5つの仕事のオファーが来たが、主人が個展が終わったら一日たりともパリに居てはならずと言ったのでアーティスト-チャンスより家庭の幸福をとって帰国したのであった。

 

それからは、目黒アンセルモ教会の毎月の掲示板に全紙サイズのコラージュを納めたが(シスターに頼まれ)、和紙のいいのを使うのでもちろん持ち出し。

 

材料費をくれると言ったが、私の考えでは信者の寄付何てとてもじゃないが受け取れないのであった。

 

☆私はアーティストになれたのかなれなかったのか?

 

私のハンディは女性であり、姑と同居していることであり、幼い子供を育てなければならなかったことである。

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