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「アーティストになれる人、なれない人」その6.

 

50代に入った頃、村上隆がデビューし土曜日の「今秋のニューヨーク」の授業でフィギアのココちゃんのスライドを観たのであった。

 

自分の棺桶シリーズは結構話題になって、ナチスの宣伝術の授業で説明を求められたり、毎学期末には神話の授業で易カルタで全員の占いをする習慣ができたり、なんとなく大事にされていたのかもしれない。

 

  grantでバロセロナ旅行。ガウディの家のドールハウスからインスピレーションが来て祈り用椅子を探した。

 

荷物事故で再度訪ねたフランスで偶然後ろにあった100年前の祈りの椅子。

 

何かの意志に操られているように100個の棺桶インスタレーションは2年間かけて制作。

 

8.11が起こり作品が予言していた事がわかる。

 

ナンタケットバスケットを3人の先生にレベル別に習う。2.3年習った記憶だが。

 

一方、5つの小学校で折り紙を教え、大人たちに紙漉き、張子作り、和綴じ本、墨絵を教える。

 


娘が大学に入学した年に帰国。

 

☆帰国後、ボランティア大会でバロセロナに行き南仏からパリにゴッホの追っかけをしてゆかりの村をめぐった。

 

その縁で絵本「宇津保物語絵本」の出版、グリーティング-カードの出版。

 

ボランテイア大会で南米の悲惨な政治を告発するプレゼンテーションを知って、考えること多数。

 

姑と三渓クルーズ(揚子江)旅行。
姑とサン-ジャック、ルルド巡礼旅行。
ボランティア北京旅行。

 

母が倒れるまで週一母と会う。
母の入院と週に2,3度病院通い。

 

この頃京都の能の先生が東京進出するので生徒が足りないと友人を誘い舞を始めるが、単なる教養。また、書道も。

 

娘が帰国し都内の大学院に通ってたので普通の主婦をしながらささやかに、誘われグループ展等参加。

 

「マリア-コード」出版。
「コノハナサクヤヒメ物語絵本」出版。
北軽井沢、ドーム-パラダイスにて
「蚊帳教会」インスタレーション。

 


7年のアメリカ生活から日本生活への変化を普通の生活を通して、過去処理をしていたと思う。

 

☆50代はアーティストと言うより、人間の生き方として大事なことは家族であり普通であることの尊さを感じていた。

 

  村起こしのトリエンナーレや美術一般の展示会にはよく通った。

 


アートは観念だけでは生まれず
、生命を育む大地との共産であると、許し、包容など日々学ぶ。

「まめまつり」など、豆本展等にも参加。

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