今日の利休の映画を観て「美の道は命懸け」というのが伝わりました。
☆天国に入るのには駱駝が針の穴に入るよりも狭き門を入っていくという言葉が聖書にあ
皆で美の道を歩こうと思っても、誰もがその道を歩き続けられるわけではない。
それは、心のあり方に厳しいものが要求されるからでしょう。
☆日展のてん刻部門の不正が内部告発されました。
問題は審査が公平に行われてなく、全くどこの団体にも所属しないものが審査の対象にな
私がその入選者だったら、落ちた人への後ろめたさで、書がてん刻がそれだけで卑しめら
もう、それを知っていて加担したものは同罪だと思います。
☆それと似たことはたくさんあるのです。
あるボランティア団体でも多くの純朴な善意の人の寄付を役員が旅行費に使っている事実。
ある児童福祉施設で子供たちへの寄付の冬の靴下を、経営者たちが「これはいいものだか
山谷のホームレスへの炊き出しで、いつもお米や海苔、梅干し、現金を募集しているので
お米や海苔、梅干し樽、現金をそれまで精一杯送っていて私には少し裏切られた思いでし
☆それでも、おにぎりを握っているのだから、ボランティアしているのだからという考え
☆ある福祉施設で、「るいこさんはお嬢様過ぎて可哀想」と言われました。
そこに連れていかれた私は知らぬまに80代の園長夫人をルルドに連れていく役に話がつ
私は人を利用する人の怖さに驚かされたのでした。
☆「ルイコを利用して這い上がれ。」
この言葉は30歳の時にパリに言ったときに大学生たちが言っていた言葉です。
この中には住み込んできて、風邪を引いて弱ったときに私の借りていたアパートから追い
階下のボザール(パリの国立美術学校)の日本人の学生が私が風邪をひいてホテルで休ん
現実に人のもの、人の権利、人の善意を食い物にする人は実に多いのです。
☆きちんと目に見えない日々を生きることが美の道でもあるのです。
教養というのでしょうか?知性というのでしょうか?
1流の人たちは決して、しない品性の下劣さというのがあるのです。
☆ハーバード大学で有意義な授業を受けられたに感謝していたので、クラブ活動のため、墨



三春の張り子や福井の武生の人間国宝のところにも教えをこう旅も勿論自腹です。勿論、作
このハーバード大学の世界最高の知性を持つグループはさすがと言うほど、マナーがきち
この間も依頼者のハーバード大学のサンスクリットの教授の奥さんは日本の大学でご主人
これが、多少とも他人の労働への礼儀というものだと思うのですが。

なんというのでしょうか?
善意を食い物にされたというのでしょうか?
自分の大切な物を乗っ取られたと言うのでしょうか?
自分が時間とお金をかけて作ってきた絵本の文章を知らぬまに、勝手に改竄され公に朗読
そればかりでなく、呼ばれもしないのに会場に来たということで主催者に廃除される気配
先に写真機も携帯も持っていない私に主催者のご主人が「写真禁止です。」と威嚇するよ
その区民センターの無料の講演には私は招かざる客なのでした。
それは、無断で私の「宇津保物語」が著者名も本の題名も知らせず読まれたもので、本人
☆垂れ幕には「日中友好35年」「ユネスコ世界遺産登録10年」とありました。NPO
琴の演奏者は私を認めるとプイとかおを背けました。
演奏者は私の「宇津保物語絵本」で宇津保物語を知ったのにです。
その演奏のタイトルは「宇津保物語」でしたのに。
☆私が大学生の時、「人がいいから盗られるわよ」と注意されたことがありました。でも、そ
私はとても傷つきました。
この本は日本の古典で古いものでとても長い読み難い原書があって、それをここまで短く
ですから、その労苦や宇津保物語の研究家のオークランド大学教授の伊東節子博士が私の
パリで個展をして原文をフランス語にして発表したり、ハーバード大学で墨絵を教えた経
それを全く無視し、その本の文に色々改竄されたばかりか、著者名も告げず「宇津保物語」の
☆この本を利用して公に演奏をした人は、本当に日中友好の気持ちがあるのでしょうか?
人の気持ちをこれほど踏みにじって文化交流ができるものなのでしょうか?
どうして、作者が邪魔だったのでしょうか?
私はそこに教養や知性の欠如を感じるのです。
でも、もしかしたら文化の違いがあるのかもしれません。パクりは中国のオハコですから、人
☆私の信じる美の道はやはり正々堂々としたものなのです。
「あんたの絵なんか簡単に真似できる。」と言った人がいましたが、簡単には真似できる
☆美の道は厳しい。
あるグループ展に私の文が使われた。
それは許可が得られたもので私はその文章に私の名がないことが気になりませんでした。
しかし、ある知らない人が「この文章にひかれてやって来た。このグループの誰が書いた
芸術って嘘つけないのですよ。
素敵な話でしょ?
そのくらい日々の品性が絵には現れるし文章に現れるのです。
勿論、演奏にも現れるはずです。
目利きっているのですよ。
☆私はこんなことを平気でする演奏家が哀しく思えます。
こんなことを平気でする人を宇津保物語の本物の作者、作者不詳ですがかつて実在した本
☆「宇津保物語」って本当に美しい物語なんです。
芸術がいかに天の加護を得て育まれるか?
芸術のためになら何もかも捨てるのです。
そのために豊かな貴族の階級の主人公俊蔭は貧芸術を冒涜するものにはその方のためにも、人
「愛と真理と美のために生きなさい。」
これが、私が20歳の時に神から言われた言葉です。
そのときから私の人生は完全に変わったのです。
☆真理には、嘘があってはいけない。
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