おまけに、貧乏の代名詞の画家。
私の場合は、孤独は少しも怖くない。
私は独身ではないが、結婚生活を始めたのは35歳だったし、結婚してからも4年はパリ
☆大学時代から、働きながらが絵を描いていたので、アルバイトやパートが時給いくらも
家から通っていたので、家賃も食費もいらなかったが、いろんな講演や催しものへの参加
貧困女子であったが、絵の世界は貧困男子もさらに多く、何よりも無心が多く出さないど
☆しかし、それでも自分の好きな道を歩んでいる罪悪感があって、66歳のこの頃ようや
だって、私、頑張ったのだもの。
☆父も母も働きものの勉強家で、父はいつも囲碁か中国語をしていて、私は「なまかわ」
母も着物の着付けなど玄人のように帯を結べる人で、「1日、みていたけど着崩れしない
☆母方の祖父の父が、岡崎の七つの倉を潰した画家だったので、家では「絵描きはごくつ
☆しかし、この教えは稀のようだ。
私の女子美術の同級生は親がかりが多かった。
そして、世の中は、お嬢様ブームで、「お育ちが悪い!」と働く貧困女子の私は「お嬢様
しかし、私の家では母も結婚前は小学校教師として働いていたで、働くことは尊いことだ
それで、羨ましいと思ったこともないし、恥ずかしいと思ったこともなかった。
☆女子美術の同級生たちの中には、絵で頑張るよりもいい条件の結婚を考えて人とも多く
ごく稀に同業者と結婚した人もいでそういう人たちは、今も展示会の案内状が来るので続
☆私が世間に恐ろしく疎いのは、私のアートが極めて精神的なもので、この世の価値基準
☆世間知らずと言うのも、やはり、誉められたものではなく、自分の20代は地獄であっ
30代からは錬獄で、浄化の時代で自分の世間知らずの償いの時代で、それが30年ほど
それが、今は天国にいるかのように思えるのだ!
光がシャワーのように、降り注ぐ。
そして、今は貧困女子ではない。
天の恵みか?
今、貧困女子のただ中にいる人も、天が知っていて時がくれば、天国の日が訪れると思う