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教育格差! 

東京から持ってきたスープのもとはクラムチャウダー!


明日は雨。

テレビも教育テレビしか観えないので食後は読書かドイツ語でも。

テレビを観ていたら、何しろ教育テレビしかつかないのとそれも画面が崩れているのだが、教育格差のことをやっていた。 貧しい子供が貧しいだけで教育に差があってはいけないというわけで、無料の家庭教師がいるという。 70%の子供が塾通いをしているので、毎月に1万円から3万くらい出せない家族の子供は成績に差がついて、劣等感や希望を失うことにつながるという。 ☆袴田冤罪事件で、恋愛の反対にあい高校を中退し、親から勘当された長女が祖母と暮らしていたので一家皆殺しで殺された家族から助かった唯一の家族となった。 高校中退した長女にとってむごいと思ったのは、その日、母屋の兄弟二人に家庭教師が二人来ていたことだ。 親から、勘当された娘には軽度の障害があって明るい部屋のほうがいいからと祖母と同居していたというが、ほかの兄弟は家庭教師までつけられて学んでいたのである。 長女が犯人かどうかは、私にはわからない。しかし、長女が犯人かという意見はたくさんある。 しかし、味噌屋は少し人の心というものをわからなかったのではないかと思った。 例え、学力に差があっても、豊かな家庭なのであるから、同じように長女にも教育の機会を与えてあげてほしかった。 ☆近所の人の話では、家族から一人残った長女は生きていて私と同じ年頃の66,7歳だという。ぶつぶつと独り言を言って不気味とのことだ。 ☆私は教育と医療は無料がいいと思う。  そして、望めばいつでも、定年退職後であろうと、社会に出てからであろうと入学できるシステムがあればいいと思う。 ☆人間社会は平等ではないといわれる。  しかし、ハンディから思いやりが生まれ、少しの見込みの悪いタイプの人が忍耐強くコツコツと学ぶ姿勢が生まれることもあって、長い目で見たらとても人生は公平だと思うのだ。 ☆私たちは生きている間にどうしようのない格差を感じる。 生まれながらに美しい人やスタイルのいい人には、整形でお金をかけても適わないと思えるし、代々の名門の血を引く人の品性もかなわないなあと思ったりする。 しかし、普通の人間は、生きている間にどう生きていけば幸福になるか、知恵がつくのだ。 私はあまり頭はよくないほうなので、性格だけは心がけていいようにしようとか。 不細工だから勉強は頑張ろうとか。 若い時に親が貧しくて学べなかったので、年を取ってから学校に行こうとか。 ハンディのある生まれの人も、美しい世界の詩人だったりして、社会というものは皆が勉強にになり、謙虚さや賢さを知り、敬愛しながら助け合うようにできているのだと思うのだ。 ☆私達も生きている間に必ずしも自分の可能性を引き上げてくれる立派な教師に恵まれるわけではない。 無知な親の下に生まれ、学業より働けと言われるかもしれない。 しかし、それでも、図書館に通っても学ぶことはできるのだ。 生まれながらの頭脳のできの差や環境の差も、全部がそのハンディに負けるわけではなく、むしろとてもたくましい立派な人間が育ったりする。 顔やスタイルや生まれながらの頭脳の差や性格すらも、どんなにしても決して同じようにはならないだろう。 ☆晩年、暇ならば、学業を助けるボランティアにふさわしい優秀な人たちは多いと思う。 また、奨学金を与えられる財力のある人もいるだろう。 ☆☆☆  今日のショックは、絵描きの青年が絵が売れなくて家賃や材料費を溜め込み、その支払いのために福島の原発で働き始めたというプログであった。  絵というものは、同情で買っては失礼だと思うので、その青年が健康で体調を悪くすることなく、元のように絵を描いてほしいと思う。  貧乏もどこまでが、自己責任なのか?  社会悪なのか?  運の悪さなのか?  働きながら、絵を描いて他人に迷惑をかけない人も立派だけれど、絵しか描けない不器用な人もなんとか生きていける世であってほしいものだ。 ☆誰にでもハンディはある。  しかし、66歳になって思えるのは、そのハンディを克服したときには何とも誇らしい気分になれるものだ。  私は運動神経が鈍くて、体を動かすことには劣等感を思っていたが、不思議にドッチボールで当たったことがないのだ。  それは、本能的なサバイバル能力があるように思う時がある。  私は今も子供の頃もおっちょこちょいの読み間違いや記入漏れはしょっちゅうするタイプであったが、それは劣等感にはならなかった。  暗記物はからしきだめで、生意気にも、そんなものは辞書や参考書を開けばいいと思っていたので、これも何とも思わなかった。  一番、大切な能力は考える力ではないかと思う。  そして、考える力には答えが自分で出すことができて、社会の価値観や世間体などに批判されても妙な充足感でマイペースで生きていくことができるのだ。 ☆今日、見た「発言小町」にお姑さんがあずかってあげるというので田舎で銀行や郵便局が近くにないのでアルバイトや内職で貯めたお金を預けてた若いお嫁さんの相談があった。  旅行に行こうと、お姑さんに「返してほしい。」と言ったら、お姑さんは「いきなり言われても、使っちゃったわよ。」と言うのがあって、若いお嫁さんはお姑さんに預けた信じた自分が馬鹿なのかという相談だった。  世の多くの賢い人たちの回答は、「お金を預けてはいけない。」というものでったが、「人を信じたのは悪くない。馬鹿ではない。」というのや、「お姑さんを泥棒にしたあなたが悪い。」というのまであって、ほとんどの人がご主人に言って返してもらいなさいというものであった。  私は、やはり、お姑さんを信じたのは正しかったと思う。  そして、理想的には、お姑さんは一時的に借りただけで、すぐに埋めるつもりであったと思いたい。  そして、ご主人に「今、いるから貸して。」と言って、お姑さんには主人である息子に返しておいてねと言って、穏便に済ませるほうがいいと思う。  家族の中で犯罪者を作らないように、鈍感であることも馬鹿になりきることも、長い人生の間には自分を救うと思う。  そして、もちろん、今後は預けないことだ。 ☆私は、バカと言わればバカなんだけれど、信じる能力というのが結構必要だと思うのだ。  幸福に生きるのには、人を見たら泥棒と思えよりも、皆、仏様の似姿。キリストの似姿と思うと、信じ切るといつの間にかそうなってくるのが不思議だ。  泥棒にしてしまえば、姑は嫁より以下の人間として孫からも軽蔑されてしまうだろう。  しかし、「うっかりさんね。私もやってしまいそう。」などと明るく振舞っていれば、お姑さんだって照れながらも期待に応えるようにパートで働くかもしれない。 ☆生きる知恵というのは、塾通いでは学べない。  塾に行って奨学金で大学に高校に、専門学校に学べるかもしれないが、生きるのに本当に必要なことは学力よりも人間力だと思うのだ。  自分が中卒でも、「若いお兄ちゃん凄いなあ。大学で勉強したんだってね。」と言える年寄りは人間力が高いのだ。  逆に「親が金持ちなら東大だっていけたさ。」と言って、集団で東大生のアルバイトを苛めていたのを見たことがあったが、そんな人たちは人間力が低いのだ。  生きている間に、毎日のように会う人に、「元気が出た。」と言ってもらえる言葉を投げかける人と「嫌な人だ。腐すことばかり言って。」とい人がいる。  人を不愉快にさせていたら、不愉快な人生で終わるであろう。  人を喜ばし続けていたら、輝きの中で人生を終えるだろう。  私は、教育格差をもっと拡大して、どんな人も教育を受けてない人をも大切にされる社会が一番いいと思うのだが。
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