☆昨晩は従姉妹からの電話で亡くなった母の姉の話で盛り上がった!
叔母は母と年子で、名古屋の金城学院の英文科を出て、名古屋のアメリカ領事館から虎ノ
母は金城の家政科出身で女子寮の舎監にという口もあったが、小学校教員を2年して、(学
祖父はアメリカにいきたくて仕方がなかった人で、毎日、英字新聞を読み、その夢を優秀
祖父のラフなところは、父とのお見合いに姉妹を連れてった事である。
呉服問屋だった父の両親は英文科の嫁は要らないが、家政科で着物を縫える妹なら貰って
アレンジしたのは父の親戚で名古屋では名士の一族で著名な料理家になっているのも居て、従
本当は父は姉の方を気に入っていたと言うのだ。
☆叔母は美しく颯爽としたキャリアウーマンでアメリカの匂いのする風をいつも放ってい
母は金城時代、合唱団でソプラノ、叔母はアルトで、台所で「ハレルヤコーラス」や「流
ずいぶん仲のよい姉妹で想い出で、色々語っていたが、二人で宝塚歌劇を観に行くのも楽
百人一首一首の和歌から「雲の通い地」という句である。
母はとても文化的なことが好きで、寺山修司や三輪明宏のこともいろいと言っていたが、直
そして、従姉妹が言うには母の実家の血が文学的なことや美術的なことを好むと言うのだ。
☆母は男女二人づつの子に恵まれ、特別プレッシャーを与えられることもなく平凡第一の
母の幸せは父との結婚にあって、だんだん実家とも疎遠になっていたが、母の姉妹にはそ
雨が降ってきた!
☆姉妹に格差がつくというのは辛いものだ。
比べる必要もない生き方の違いなのだが、父は破格の成功を納め、美しい絵に描いたよう
叔母はあるときに、私に「妹は猫を被っていたのよね。お見合いの時に本性を隠して。」と
戦後の男性が不足していた時代、キャリアウーマンと言えども、独身の女性には辛いとき
母は、末の弟の手を叔母が引っ張って脱臼したときに、叔母の悪意を感じたと言ったこと
母は英語には興味がなく、生涯学ぶこともなかったが、女性には家事だできる事が大事と
つまり、母は家庭の幸福を望み、結婚したかったのである。
☆しかし、やがて自由が丘に住むようになった姉(この女子だけのマンションは私が探し
上から目線で姉面して無料で住み込もうなんて常識がないと言うのだった)とは、家にも
☆叔母は穏やかで知的で、子供であった私には母と違う世界を持っている素敵な人で、母
叔母は「私の方が幸せよ。」と言っていたが、母は母で、家庭的でないと女は結婚できな
でも、高校生の時にはアメリカのセブンティーンという月刊誌を持ってきてくれたり、日
☆祖父のアメリカへの夢。
戦争中に日本は負けると言っていた祖父。
娘が領事館から大使館。
私の妹が大学院に通い、私の娘が小学校から大学までアメリカで学ぶようになったのも、祖
☆私の子供の頃、母は世界国歌のレコードを流していた。
ピアノの上にはルノアールの「姉妹と犬の絵」の複写がかかっていて、畳の上に絨毯を敷
☆私は週に3度ごく近所で日本舞踊を学び、小学校の同級生だった主人は毎日ランドセル
姑は津田の英文科にいたときに結婚したので、子供ができて中退して、子供が小学生にな
主人は母親が勉強に通っていたので家にいるよりは、私の家にきた方が楽しかったのだろ
それで、学校でもお隣の席、家に帰っても主人が5時までいるので、子供の頃から夫婦を
Posted via LiveJournal app for Android.