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人間の夢。その7.

1979年、ローマの国際会議「宗教と科学」後、ギリシャ、ローマ、スイスを経てパリについて「ルルドにいきなさい。」と京都の天の橋立の知恩寺の僧侶がお金を突然送ってきたので(honnninnが言うのには私の訪問で彼の25年間の病が治ったお礼とのこと)で、8月15日前後の「聖母の被昇天の祝日」の祭りのスペイン国境近くのルルドにいく。

 

聖女ベルナデッタの100年祭りだった。

 

パリについたら 母が「そのままパリにいなさい」と、月に15万円の送金をしてくれることに。

 

日本で、京都の個展の際に、1,2度あっただけの中年男性に「25,6歳の一浪、留年 中退の女子美術短大の姪に、京都の個展に行かせるので小遣いをやって育てて欲しい。」と頼まれる。

 

「 そんな力も経済の余裕もないので、できません。」と断る。

 

が、個展展示の忙しい時に姪が現れて、手伝いもしないのに、オープニングに中年男性から菓子折りが届き、「姪が手伝っていたんだってね。」と言うので、嘘を平気でつくので、烈火のごとく腹が立ち、菓子折を宅配便で送り返す。

 

☆たま出版が、この姪に近いキャラクターの男子大学生に勝手に電話番号を教え、6人ほどやってくる。

 

25,6歳の姪を拒絶した罪の罰だと思い、償いのため半年程、世話する。
生きるマナーや考え方など。

 

ローマの国際会議に出るのを潮時に、解散するが、幾人かがロンドン、ジューネーブにいくと言うので「それぞれの場で頑張ろうね。」と解散する。

 

☆パリに落ち着いて、本格的に絵を頑張ろうと言うときに、どういうわけか、ロンドンからもジュネーブからもやって来て、住むところやお金がないと言うので、それなりに世話をする。

 

勝手に来た日本からの考古学者が汽車賃を払わなかったり、ホテル代を払わなかったりして、学生達が真似て放置しておくと犯罪を起こしそうなので、日本に帰す。

 

その間、ヨーローパのカトリック巡礼地、美術館を巡り、パリで易パーティを開いたり、1980年度の西陣織の紋紙カレンダー「平安千代細工」をカトリックバザーで売り、売り上げ全額寄付する。

 

見聞により、日本人は日本文化をしかヨーローパの年代による西洋画には太刀打ちできないと知る。

 

☆帰国後、カトリック洗礼を受け、ボランティアで児童福祉施設に通う。

 

これからは、何十年、何百年のスパンで仕事をすべきだと認識したので、焦らず、地に足のついた仕事をしようと決意。

 

そろそろ、結婚でもしようと思うと、25年ぶりに主人から電話がかかる。

 

イエルサレム巡礼と聖コルベ神父の列聖式の参加のためヴァチカンにいくことになり、帰国後会うと約束。

 

結婚か奉仕生活か狂気のアート生活か3たくを神に問う。

 

イエルサレム巡礼の時におなじ部屋に泊まった70歳の薬剤師の婦人に、「妹が修道女だがその道は勧めない。働けなくなった晩年が不幸だ。」と言って、多くの聖職者の前で、「このお嬢さんはこれから結婚する方ですから、皆様、祈ってください。」と言われる。

 

  このツアーは、ルルドとリジュー(幼きイエズスのテレジアの地)が終わりだったので、個人で1週間フランス滞在を延長し、芸術の道に残るべきかよく考える。

 

☆帰国後、主人にあったのが10月半ばで34歳。トントン拍子に話が決まり誰も反対する人がなく翌年5月に結婚。

 

☆前に書いたように、私的には商人の娘である私が、階層的に上だと思われる主人の家庭には、かなり、怖じ気づいて幾度かお断りをしている。

 

母もプレッシャーで7キログラム痩せて、父も「非常識だし、だらしがないし、お勧めできません。」母も「家事等教えたこともないし、昔なら、お手伝いさんをつれて嫁に出すべきですが、そんな時代でもありませんし。本当にいいんですか?」と、ダメだし、父は最後には「妹の方がまだましだと思うので、どうせなら妹を貰ってくれませんか?」と言った。

 

☆それで、7月に新婚旅行でスイス、オーストリア、ドイツ。

 

引き出物でお配りしたシルクスクリーンの絵から、列席者から「宇津保物語」の挿し絵を頼まれる。

 

娘が生まれるときに、「百人一首」の依頼があり、産まれる前と後に半年ずつ1日1枚、200枚の原画を和紙の多層コラージュで仕上げる。

 

その間、子連れで実家に泊まり、母に乳児の世話、食事の世話を依頼し、主人は夜に夕食を一緒にするため通う。

 

☆私は姑を好きな理由は、結婚の時に「息子の事はほおっておいていいから、絵を続けてね。」と言うのと、「私の☆は貴方を助ける☆なのよ。」と言ってくれたからだ。

 

大姑はその頃96歳で生きていたが、易の大家で、関東大震災の直前、たなびく七色の雲の上にお釈迦様と弟子たちが現れ、下界を見下ろされると、ダメだと言うように、首を降られ、雲より降りられた時に大震災が勃発したと言うのが見えた人。

 

大姑はとてもきれいな人で此の花咲や姫の生まれ変わりであると言っていた。とても華奢で、お手伝いさん3人が後から脱ぎ捨てた着物を畳んで歩くと言うお嬢様奥様で、家事は一切せずの人だった。

 

主人の家はとても質素だったが、国のためには多額の寄付をするような家だった。

 

☆子供が1歳になる前に、新聞で信濃町で上智の女子修道院で子連れの母親達に5か国語の言語を教えると言う案内があり、舅と姑の許可をとって、フランス語を1週間に2度2時間通う。修道女が2時間1000円でベビーシッターをしてくれるのだ。この家は犬養美智子氏の旧邸宅で素敵な西洋館だった。

 

☆娘に危害を与える親族がいて、大悲劇が起こる前に、娘を連れてパリ個展を理由に、2歳前に連れ出す。

 

これが37歳で、秋の個展では姑と実家の母が一緒に来た。

 

いつも思うのだが、母親は子供が殺されるという危機の時には思わぬ力が出てくるものである。

 

片言のフランス語で、2歳前の娘を連れて、何のバックもないパリによく行ったと思うが、子供の恐怖の鳴き声でこのまま日本においておいたらどんな事が起こるだろうと言う恐怖はパリ生活の困難を上回ったのであった。

 

☆パリでの個展は、宇津保物語や百人一首の原画、豆本、易カルタのニューバージョン等で、フランスや世界からパリに来ていた人たちに暖かく受け入れられた。

 

あるがままで、いいのよ♪

 

と言う感じ。

 

☆娘への危害の危機が終わり、4月にいって、11月には帰国。

 

vizaはユーロと言う9時から3時までのフランス語学校に登録して前後の時間を上手に計算し、取った。

 

無謀といえば無謀のようだが、毎日、夕焼けを住んでいたアパート近くで観る度に神の加護を感じたものだった。

 

住んでいたアパートも建築賞を取った建物で「昔々のおうち」と言うアパート郡で、庭の小道に井戸やテラスがあって、とても素敵な人達が住んでいた。

 

経済的には、主人が毎月生活費を送ってくれた。

 

☆結婚前の三択も、あまり意味はなく、神様は全部させたいようだった。

 

結婚も奉仕もアートも。

 

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