私は欲が無いねと言われるが、ちょっと心の片隅で思ったことですら実現してしまうタイ
デザイン科でしか受験を許されなかった美術大学だったが、主人から娘の教育をアメリカ
娘の寮への送迎のために、車の運転をすることになり、左ハンドルなので、もう一度免許
自分も美術学校にいくのに8時から制作で12時までいて、帰宅してからは宿題や家事を
こんなに忙しい日を送っていたのに日本から暇潰しに5時頃電話を掛けてくる人がいたの
また、近所の人が雨だから学校に送って行けと言うのも閉口した。美術学校でウエズリー
私は争わない主義者なので、毎日限界のストレスだったが、1日も倒れることもなく、娘
アメリカはそれでも、色々楽しいことがあって、奨学金でガウディの建築を観にバロセル
☆娘もさらに受験をして、高校に挑み私たちは夏休みとクリスマス休日は帰国した。短い
☆ほとんど自分の意志と言うより、運命に流されているような気がした。
母子家庭は日本人であるので幾重にもハンディで、本当に生きていればいいと言うハード
私たちはアジアで、母国語でない英語圏で、私もとうに50歳を過ぎていて、アメリカに
唯一、免れたのは極貧ではなかったこと。
これも、世界の貧しさと戦うのには知っておかなければならない重要な体験だった。
☆しかし、それでも、夢のようなことが実現したのでもあった。
47歳からのアメリカの美術学校。娘も全寮制の高校に行き、多国籍の人たちともご縁が
始めは、美術学校は娘のためのvizaをとるための進学だったので、よき思い出になれ
上はそのクラスで描いた温室の絵。
しかし、先生が誉めるので、いつのまにか火がついた感じ。
☆9.11があり、緊張が走り私たちも精神的に追い込まれた。
とんでもないことが起こっているのだ。
そう言えば、昔、パリにいたときにはチェルノブイリが爆発し、野菜や牛乳等飲めなくな
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