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「赤毛のアン」と私たち。

娘が小学校1年か2年のときに、劇団四季のミュージカルに、娘と友人の河原ノリエさんのお嬢さんと一緒に池袋の芸術劇場に行ったミュージカル。

 

「アイスクリームの歌」等心に残っている。

 

その頃には子供向けの物語を娘も読んでいたはずだ。

 

そして、孤児の女の子が農家の働き手に男の子を望んでいた老夫婦に手違いでもらわれていったものの、独特の想像力と愛らしさで、愛情を受けて島で暮らす。

 

微妙な格差の話でもある豊かな家の美少女との友情。

 

自然に恵まれた手作りクッキーや物語をなずける才能に溢れた勇敢な少女の物語は、どこの親でも何時難事が起こり孤児になるようなことがあっても、たくましく生きてほしいと言う願いもあって、劇場は親同伴の幸せな子供たちで溢れていた!

 

☆娘が4年生を終えると私たち親子はボストンに行き、娘も麦わら帽子にお下げ姿で現地小学校に通うことになった。

 

少しだが、アンの生活に似たものになった。

 

言葉も不備で子供だけでない親の方も孤児のような気持ちで暮らし始めた。

 

サリンガスのニュースが流れたボストンのホテル。

 

最初の日曜日にカトリック教会で日本の阪神大震災のために祈り献金をしていた。

 

1995年だった。

 

☆日米の終戦50周年で、「禎子と千羽鶴」を学芸会で踊り、日本の友禅染めの着物生地が太田川と称し舞台の左右を流れた。

 

☆黄色人種の日本の小さな女の子は小学校も中学校もたった一人の短期滞在者の母国語が英語でない生徒だった。

 

それでも、合格の理由のひとつが「スマイルがいい。」「友達についての作文に、友達は医者のようで、どんな苦しみも悲しみも安心して訴えると癒して貰える確信の持てる存在と書いたのがよかった」と言うものだった。

 

☆中学2年の6月に、早めに夏休みを迎えたアメリカでもっとも安全に母娘が行ける場所と言うことで、選んだ地が「プリンス・エドワード島の赤毛のアンの家」だったわけだ!

 

☆個人旅行なので旅行者で飛行機とホテルをとって4泊5日だったと思う。

 

この島には、バスも地下鉄も電車もないの。それで、レンタカーを借りるわけ。

 

飛行場から降りた途端、初めてのレンタカーで自分でホテルまで行けと言うわけで、娘を横に行きましたけど、凄いスピードでビュンビュン飛ばすなかで、モタモタしているので、後ろから突っつかれました!

 

☆ある日は、日本語ツアーで赤毛のアンに扮した30くらいの日本のお姉さんが小さな車でアンのゆかりの地を案内してくれました。

 

いつも晴れていてエメラルドグリーンの大地にサファイア色の海という島までした。小さなお店も可愛らしくて小物もたくさん並んでいて島中アンの世界でした。

 

☆娘とまいにち方角を決めて海に出てましたね。
お花も木々もきれいにされていて、ホテルもお伽の国のようでした!

 

物語の家はいとこの家のようでしたが、赤毛のアンの家になっていました。

 

小路も物語の名になっています。

 

「赤毛のアン」のミュージカルも初日が無料で、どういうわけかその無料の劇も観ることができました。

 

やはり、アイスクリンの歌が気に入ってカセットも買いました。

 

☆娘がとても喜んでくれたので正解の旅でしたが、その時買ったキルトのベッドカバーまだありますよ。

 

寮に持っていったりしましたが、今もいい状態で黒姫にあります。

 

それと、アイスクリームメーカーの牛のデザインのTシャツも親子3人分あってコンピューターをしている牛や赤毛のアンのお下げの牛がいて可愛いたのしい絵のものです。

Tags: via ljapp
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