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文学座「信じる機械」を観る。

-人生は前へ向かって生き、後ろを振り返って理解するものだ。- キェルケゴール

 

The faith machine.

原作者 アレクシ・ケイ・キャンベル(1966~  ) Alexi Campbell
ギリシャのアテネに生まれ、ボストン大学で英米文学を、ロンドンで演劇を学んだ後、俳優としてロイヤル・シェイクスピア・カンパニー、ロイヤル・コート劇場等に出演。2008年処女戯曲「プライド」がロイヤル・コート劇場で初演。その後、ニューヨーク、東京、スウェーデン、ギリシャ、オーストラリア等で上演。 アレクシさんはゲイとのこと。 最近観た映画「チョコレート・ドーナッツ」で、ゲイの人たちには差別の苦しみがあるということです。 また、現在のローマ法王は同性愛を認めていると発言しました。 かなり前にハーバード大学の牧師もゲイであることをカミングアウトしました。 原作者は時代の差別にたいしても抗議したかったのでしょうか?

 

2014.5.28~6.11
☆信濃町 「文学座アトリエ」で上演。

 

☆雨の激しい信濃町を歩き、千秋楽に観れたのはとてもタイムリーでした。 それも、6.11と言う日も意味深いものでした。3.11 6.11 9.11と言う数字にはメッセージが含まれています。

 

演劇は2時からの上演で3幕でした。

 

今日の3時間ほどを共有する空間も観客も私にはとてもフレッシュなものでした。年齢層も比較的落ち着きのあるものであり、真摯な時代への苦しみの連帯を分かち合う袖触れあう多少の縁。 円形の舞台構成に8人の役者が演じたのですが、時代の9.11前後の世界の物語を実によく纏めてあると、先に原作者に感心です。

 

☆あらゆる人種、あらゆる宗教、あらゆる主義。年齢の異なる男女、世に受け入れない同性愛の愛の物語等。

 

生き方。

 

老の問題。

 

恋愛の妙。

 


舞台はニューヨーク、ロンドン、ギリシャの島、イラク。

 

ウクライナ、ロシア、チリ、アフリカ、アメリカ、イギリスのキリスト教やマルクスの共産党

 

☆イギリス女性ソフィとニューヨーカーのトムの部屋から舞台は始まる。 円形に近い舞台には、世界のニュースや文化を載せる雑誌の記事がばら蒔いてあって、その上に乱雑にソフィの衣類が散らばり、ソフィは拾って自分のスーツケースに入れる。トムと暮らしていたニューヨークから出ていくのだ。ソフィは安定した生活を求めてはいない。 トムとは学生演劇で知り合った仲だが、生計をたてるために働いたアフリカへの子供達への治療によって起きた薬害事件を起こしたクライアントの広告を請け負っている会社に勤めていることをソフィは辞退するように迫る。 「Who are you?」 何のために生き、どう生きるかがこの劇のテーマ。 引き留めるトム。拘りのソフィは恋人らしく別れを告げる。 ソフィは国際的に働くジャーナリストで遺産でコロンビア大学院に学ぶ恵まれた女性。トムは書くことをしているがコマーシャルの仕事で生計を立てているが、ソフィは家を出て、父の住むイギリス行く。父の世話をするウクライナの中年女。 1997年、時はブレア政権で。 1幕2場。 1998年ランベス会議で同性愛は聖書に反する行為と排する見解の聖公会。父は主教エドワードでイギリス聖公会の重鎮で聖書の言葉を活力ある声で話し続ける。 1幕1場。 教え、キリストの教えは自分を省みない命を顧みず世界の問題へ、身を投げ出すバックボーンに聖書の言葉が。 父はウクライナの元娼婦に家庭の世話を頼むものの、なかなか頑固だ。ウクライナの中年女はロシア語と日本語の混じった台詞で異民族であることが強調される。 アフリカの聖職者がゲイ結婚をする。 個々の勇気がそれぞれの立場で前に向かっていて、革命であり、深い他者への理解であるところにもキリストの言葉が生きる。 1幕1場。 2幕2場。 2001年、1月にブッシュ政権樹立され9.11に米国同時多発テロが起きる。 ソフィーはイラクに行く。アフリカの少女を学校にやる活動をする。 トムはソフィにニューヨークでの暮らしの復活を期待するが、ソフィにはその気はない。 トムは有名インテリアデザイナーの彼女と結婚。ソフィはマルクスの共産党のチリ人と結婚。

 

 

☆2幕1場。 2006年、イラク戦争における民間人の犠牲者が過去2年を上回る。チリの学生運動で学生200人が逮捕される。 2007年、ブレア首相退陣。2008年、リーマン・ショックから世界的金融危機に。

 

☆3幕1場。 2010年、ギリシャ財政状況悪化。 イギリス連立政権樹立。 2010~12年、アラブの春。

 

 

☆3幕2場 2011年、 2012年、 2014年、ウクライナ情勢悪化。

 

 

エドワードは老衰死にソフィはイラクで弾丸に撃たれて死ぬ。 甦るのは聖書の言葉。 求めよ。さらば扉が開かれん! 神への信頼をもって前に進めと。 ☆ 役者さんのblogを読むと1月半の舞台稽古で仕上げたそうで、16公演とのこと。

 

☆この舞台を観ながら、天安門やダイアナ妃の死去や世界の目まぐるしい変化が思いだされた。 9.11はボストンにいたが、あれからアメリカは異民族にセンチメンタルになってハグしたりした。 私たちはいつも落ち着かなくなり、何かするべきことを探し始めた。 どこかで、まだ人間を信じていて南アフリカ連邦ではマンデラが解放され大統領になり、マケドニアの修道女マザー・テレサが貧困のインドのこのために身を捧げて、私たちも人間が信じられうるものだと希望をもてた。 ☆東洋人の出てこない演劇だったが、東洋人が演ずる。 シンプルな舞台構成と分かりやすい8人のキャラクター。誰をもが弱者であり、強者でありそれぞれの誠実がある。 見たくない触れたくない汚物との対面も愛が乗り越える。乗り越えられないものは平凡さの中で同じ世界を観る。 日本人をも理解でき得る愛のすれ違いや理解のすれ違いが、信仰と言う信じるに足るものを通して自分の生命を輝かせたい本能のような人間にあえて機械と言うのはなぜか? 機械のように精密に信じなければ歯車が合わないと言う意味なのか? 演出家のシンプルなセンスと登場人物のそれぞれの長い台詞も私には理解しやすいものだった。 惜しむらくは衣装と。 もうひとつ大胆な驚きがあってもいいと思う。 とても丁寧で説明的だがもっと暴力的でもよかったと思うのだ。もっと、ユーモアがあっても。 個人的には、エドワードやタチアーナがうまいと思ったが、時代を生きる若者たちのそれぞれの生き方も私たちの様相だ。役者は地味な舞台美術を台詞と演技で生き方を表現するのだが、若さや精神の純さがこの演劇には合っていて3時間も長過ぎなかったと思うのだ。 映像の生かし方も今時は流行りでよく観るが、とても自然だったと思う。 最後のギリシャの島には太陽が欲しかった。そして波の音も青い海の色も。
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