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神の企て。

東京に届いていた「聖母の騎士」を読んでいる。

☆北原玲子(さとこ)さんの列福の申請が始まるとのこと。

 

蟻の街のマリアといわれた人。
終戦後の日本でバタ屋さんという廃品回収の仕事を貧しい家の子供達としながら浅草の言問橋の近くのバタヤ集落に教会を建て、子供達と住み28歳で天に召された。

 

大学教授の娘さんがバタヤになって清貧のうちに亡くなったと話題になったものだ。

 

また、バタヤであったことを恥じてなかなか子供たちが成長してから証言に現れないと言うのも聞いたので、色々な準備が整ったのだと思う。

仲良しのテレサ母子の本もいつも広告が載っている!

☆「聖母の騎士」は聖コルベ神父が長崎に創られた修道会だが、北原玲子さんの霊名はエリザベトだと言うのは、今回知った。

 

あのハンガリアからドイツにお嫁に来た御姫様が聖女エリザベト。

 

そして、貧しい人のために尽くした。

 

☆昨日、コテージに入るときに光の雨が降ってきた。

 

  娘と黒姫駅で待ち合わせタクシーにのって帰ってきたときだ。

 

今回の旅でも朝に3回ほど光の雨が降ってきた。その日はなにか起こるのであった。

 

☆福島の作家のトンボ。

私は本当はデンマークに近いリゾートの島に行きたかった。

 

柳で編んだ風よけ椅子が砂浜に並んでいるのが見たかったのだ。

 

しかし、神はずいぶん手の込んだやり方で阻止をしたのだった。

 

ハンブルクからその島まで行く列車があるのに、どの駅員に訊いてもラチがあかない。

 

1時間も遅れるということになった。

 

☆それで、私はその1時間を有効に過ごすためにミニチュアランドで小さな鉄道が走っているのを観るためにタクシーに乗ったのだ。

 

それが、降りたらバッグをタクシーにおいてきているのに気がついた。

 

クレディットカードと現金とフランクフルトのコインロッカーの鍵2個が入っていて、帰りの飛行機切符も現金もパスポートも身に付けていたのだけれど、クレディットカードがなければ、後20日もあるホテル代金は払えそうもないし、鍵二つ無くすと言うのはもう旅行を継続できないと言うことではないかと、直ぐに駅に帰った。

 

  駅の忘れ物預り所、警察、タクシー会社と連絡したがどこもラチがあかない。

 

ところが不思議なほど危機感がない。

 

ハンブルクの荒くれタクシードライバーも、私が忘れたのだからとタクシー会社にいっても無駄だとか言うのもいて、会社で目で見てチェックしようとしていたのを阻止されたりした。

 

ところが、駅前のタクシー乗り場で呼ぶ声がする。タクシーの運転手さんがお客さんと一緒に手を振って、後ろにしまってあったバッグをだしてくれたのだ。

 

本当にとてもいい運転手さんにであっていたのだ。

 

それで、リゾートの島の電車に間に合わず(1時間ぐらい探していた),諦めて、リューベックに行くことに変更してケイト-コルベッツの曾孫さんにホテルから電話することになったのだ。

 

柳で編んだ風よけ椅子はリューベックのところどころで見た。喫茶店や美術館でも。

 

リューベックのインフォメーションセンターではナンタケットバスケットもあった!

 

☆ケイト-コルベッツという女性アーティストはすごい人で第一次世界大戦で息子と孫を失った。

 

その母としての苦しみが聖母のキリストを抱くピエタを創り、また飢えや貧困に苦しむひとたちを描き、その人間性をナチは嫌い、作品制作禁止の処分を受けてもいる。

 

ドイツ歴史館で彼女の制作ビデオもみたし、フランクフルトの美術館でも彼女の作品はあった。

 

ケイト-コルベッツ美術館もあるし、日本でも上田でコレクターがいて個人美術館に訪ねたこともある。

 

労働者や社会の底辺であえぐ人たちをデッサン、版画、彫刻で作品に残し、日本出てに入る本だけでも2,30冊はあるんだと思う。

 

その曾孫さんが日本の福井に4年半も陶芸をならいに来て、加藤とうくろうの孫弟子とか。その日本式の窯がリューベックから鉄道とバスでいったところにあるのだった。

 

どうやら、神様はそこへ行けというのだった。

 

☆リューベックのホテルで電話をしたら、ご本人が出て明日にぜきおいでくださいという運びになり、訪ねるようになった。

 

リューベックには「ブリキの太鼓」の作者のアトリエもあって、そこへも訪ねた。働きながら美術学校へ行った人でノーベル文学賞受賞者。彫刻や絵やアニメも。

 

☆それで、ヤンさんのアトリエに行ったのだが、ヤンさんは53歳であるのにまるで少年のように見えた。大学生の息子さんとダウン症の息子さんがいるとご自分でおっしゃった。

 

ヤンさんが22歳の時に3ヶ月の日本語勉強で日本に行ったのだという。

 

私のドイツ語3ヶ月。

 

ヤンさんの一族は医師ばかりで曾祖母のケイト-コルベッツのような芸術の才能を受け継ぐものはヤンさんだけだったという。

 

ヤンさんのアトリエ、自宅、窯はとても立派でヤンさんが日本で陶芸の勉強をしたときに両親で日本に来て、息子がどういう仕事を学んでいるか見たようだ。

 

それで、28歳で帰国するときに、父親がアート村のこの地域の庭付き邸宅を買ってくれたのだという。

 

「ヤンさんはとても幸せですね。私も父も医師ではないのですが、ビジネスマンで父のお陰で長野にアトリエをつくることができました。」

 

☆ヤンさんはふすまにする和紙も畳も日本からもって帰り、若くて貧乏だったので、ドイツで毛布等で裏打ちして畳の弾力を作ったと見せてくれました。

 

曾祖母様のデッサンも壁にあったのですが、ケイト-コルビッツのデッサン力には参ってしまいます。

 

ヤンさんの越前焼きはとても日本的なのですが、日本から先生がきてくれて窯も作ったと言ってあした。

 

ドイツでも赤松が手に入り、火がつきやすいブナの木から炊くそうです。

 

育ちの良さからかとても繊細で美を愛する心が伝わってきて、御著書も買わせていただく気持ちでサインを望んだのですが、「気持ちです」とくださったのでした。

 

お煎茶とリューベック名物のマジパンをだしてくれて、お茶碗はヤンさんの作品なんですけど使える作品は良いものですねと思いました。

 

息子さんの友人のご家族もアメリカからいらしていて、とてもしあわせなんだと思いました。

 

お昼をいただきたいのですがどこかいいレストランを御存じないですかと教えてもらったレストランもとてもおしゃれでおいしかったです。

 

バスも2時間に1本くらいの黒姫並みなので、のんびり美味しくお食事がいただけたのは良かったです。

 

日本の良いところを外国人がこんなにも大事にして下さるのは、日本人の誇りです。

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