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十字架の祝別!愛の旅がいよいよ山越え!

 私は今朝は7時に起きて主人と珈琲を飲んで家を片付け、10時に目黒の聖アンセルモ教会に行きました。渡辺神父様の十字架の祝別を望む理由を述べて祈っていただきました。


 この十字架は長く家にあったものです。
大きさも長さ12センチくらいあります。ルルドのお水の入った聖母マリア像のボトルやロザリオなどと一緒に野尻湖の神山の土地の埋めたいと思ってます。

☆神様はどうゆうわけかカトリックの巡礼地ルルドやフォージアやファチマに私を幾度も運んでくださいました。イエルサレムにも聖コルベ神父の列聖式の前に呼んでくださいました。
そして日本の伊勢神宮、天岩戸神社、高千穂神社、元伊勢神社、籠宮神社や多くの寺院や位山、皇祖皇体神社など古い神社にも導かれたのです。

 私はそれほど立派な人間でないことは自分が良く知ってます。
でも、神さまはこれらの場所に導く為に実にいろいろな手を使って行かせてくださいました。

 なぜ?なぜなの?
 医療費無料のピオ神父の病院や、多くの奇跡的治癒のあるルルドの病院に内部まで入れたのです。
 
 私はこれらの経験は必要があって起こっていると思いました。
 障害のあるお嬢さんをルルドにつれてってあげたかったときも若いお母さんは遠慮して他人にそんな負担は出来ないとおっしゃいました。遠くて飛行機代のかかるルルドでなくても、私達の祈りで人が癒され暮らせる理想郷は出来るのではないのかと思うようになってきました。

☆20歳の4月7日にどういうわけかイエス様に遇えた。
 私の家は特別キリスト教の家でもないし、私はキリスト教の教育を受けてないのにもかかわらず私はイエス様がどういうことを人間に望まれるか理解できました。

 私はイエス様に憧れ、本当にイエス様のように病んでいる人や苦しんでいる人を助けられたらどんなにいいかと思いました。
それで聖書をボロボロになるまで読んで、聖書に書いてあることを実行しようと思いました。

どんなに立派な教えも実行しなければ意味が無いと思ったのです。

☆それから40年間、ずっこけ転びながらもイエス様を追っかけてきました。聖母マリアさまにもお会いできた。
 世界はますます悪くなり、信仰や良い行いは必要とされているけれどなかなか不完全な人間にはよき社会を作るのは荷が重くため息と絶望の前に踏みとどまるのが精一杯でした。

 しかし、昨年ちょうどイエス様とであった40年目に私は60歳になり、神さまはいよいよ最後の総仕上げに仕事をするように希望されていることがわかりました。

☆それが野尻湖の神山ではないかと。
 不思議に土地が手に入り、あれよあれよと言う間に小さいコテージが建てられるように運びました。来週は雪山に十字架を埋めに行きますが春になったら建設が始まるでしょう。

 私は寄付は一切求めないつもりです。
 私も人間ですので1円でも貰えば、ある人から「あの人、あんなに美味しそうなものを食べてる。私の寄付で。」と思われる可能性があるからです。

 又、聖職者でもない私は特定の宗教を厳しく規定する必要も無いのです。
 神を求める心。
 愛を求める心。
 自然を愛する心ひとつで結ばれると思うのです。
☆今日、お会いした若い渡辺神父様はお洒落な赤いジャンパーを着てられました。それはとてもいいことだと思うのです。清貧を言い過ぎて愛から離れることが有る。
楽しんできている服は「お似合いよ!」って言いたい。「何ですか!贅沢をして3枚の仕事着があればいいですよ。」って言う教えもあるかもしれないけれど、そんなことではないと思う。

 神父様に「特別にカトリックを言うつもりは無いです。ただ傷ついた人や子供が安心してこれる場にしたい。神様が望まれれば病院や学校や教会を建てたい。」といいました。
「それは、いいことだ。日本にはキリスト教の人間が少ない。」

☆私も家に帰って着いていた「聖母の騎士」の殉教の話には襟を正します。

美しい品格のある名画やイコン画を描かれる人を知ると私も自分の未熟な作品に哀しくもなりますが、殉教も素晴らしいが毎日の生活を楽しく生きることも大事だと思うのです。
テーマは「生きる歓び」。
 
☆今日、届いていたアマゾンの古本です。

とても読みやすそうです。

 私は神学者でもないしキリスト教の教義をあまり勉強してもいないのですが、イエス様って本当に素敵だといつも思います。
イエス様は自分を低くしなさいとおっしゃいました。
イエス様は教師となるなともおっしゃいました。
イエス様は大工さんで多分器用で腕がしっかりしていて筋肉もあってトリノの聖蓋布によれば大男だったそうです。聖母マリアも貧しい娘でしたから気取っていた方ではなかったでしょうね。乙女マリア、仮にそうでなくてもイエスの母と言う状況を耐えただけでも普通の母親として最も試練に耐えられたでしょう。

 子を亡くした母や結婚前に子を宿した女ということで蔑視や差別も受けたでしょうね。
辛い状況で生きてる人にとってはマリア様もご苦労されたと慰められるでしょうね。

 弱い時には聖書は本当に救いになります。

☆私は今までの人生を振り返ってもそんなに立派では無かったと思います。
それでも聖書を読んで生き方が分かったので随分この本のお蔭で幸せになれたなあと思います。

 今、毎日のように報道される正社員や派遣の首切りや世界的な大不況の時は私達が一番聖書を読むときかもしれません。

☆自分の愚かしい行動はほとんど聖書に書かれている教えに沿ったものだったのです。
 「〇〇マイル歩け。」と言われれば「歩く。」
 「上着を寄こせ。」と言われれば「下着をもわたす。」(文字通りにとらないでくださいね。私の下着なんて誰もほしがりませんから。)

 そして、他人はよく「なぜ?」と訊ねました。
 しかし、私は何もいいませんでした。
 夜中でも「家賃が払えないから、来い。」と言われれば泣いてる母親をなだめながら、人の殺された宝来公園を横切って自由が丘まで歩いていったのでした。
夜中歩いて不良だと思われるよりも神の意思のほうが大事なのでした。
神様は困っている人を見捨てるなんて許すはずが無いと思ってましたから。

 20代の頃ですが、とにかく「お金をください。」といわれれば財布を逆さにして全部あげました。それで、5時間も6時間も歩いていたわけ。

 滑稽だとは思うのですが、私は自分の肩に地球が乗っているように感じたこともありました。そんなにいきがらなくてもいいとは思うのですが、その頃は「私がしっかりしないと地球が危ない。」と本当に思っていました。それほど、私とキリストの出会いは強烈だったのです。

 今、60歳ともなると、おそらく私のような使命を持っている人間が相当いて、段々結集が始まって地球を良くするためにそれぞれのやってきたことがひとつになり至福一千年が始まると思うのです。

 ですから、滑稽ではありましたがそれでよかったと思うのです。

☆今は聖書はあまり読みません。
久しぶりに今日届いた本を読もうと思います。

 聖書の中で一番好きなところは「神様はご自分より偉い方がいらっしゃらなかったのでご自分を指してお誓いになりました。」というところです。
うふふ。なんとなく楽しくて!
イエス様が魚とパンを増やすところも大好きです。
「あなたの信仰があなたを救った。」というところも好きです。
「いつも喜んでいなさい。」というところも大好き!

 奇蹟ってありますよ。
 それは誰でも体験できるでしょう。
 物理的に考えるとありえないことがこの世には起こる。
 そしていつも試される。毎日、毎瞬間。
 転んでも反省すれば許される。
 ゆるいところもある。

 このところ神様は私の20代の時に命じたような試練をくださいません。
 それで今は5時間も6時間も歩くことはなくなりました。

 今、全人類に課せられてる試練はやはり貧困や格差を失くすことではないかしら?
 皆、怖ろしく慎ましくなりお弁当箱や湯たんぽなどが売れているそうです。

 イエス様は「貧しい人は幸いなり」とおっしゃったけれど本当に貧しい人が実感できるといいですね。「病んでいる人も幸いなり」とおっしゃっているけれど、病まれている方の中には「だったら、代わってくれ。」と憤る方もいらっしゃるそうです。

 私が憧れているのはスペインのアビアの聖テレジア!大テレジアとも呼ばれる方ですが、時々1メートルくらい体が浮かれたそうです。愛が多くなると体が軽くなるそうな。
毎日体重計を計るようになり夜食は辞めましたが、体重計は一向に減らないので愛が足りないのでしょう。

 本当に愛して身が軽くなってピョンピョンと地球上を歩いて周りたいです。
そうしてイエスさまのように手を肩において病気を治せる人になれたら、どんなにかいいでしょう。

☆今、「ユザワヤ」で買った重い大きいイーゼルが届きました。
 神様にもっといい絵が描けるように祈りましょう。

 昨晩読んだ「制作」のセザンヌさんをモデルにした主人公が自殺したところまできました。
ずいぶん惨めな死に方なのでセザンヌさんが幼馴染のゾラに絶交を言い渡した気持ちがわかります。命をかけて描いている人にそれはないだろうという感じです。
セザンヌさんは本によると公募展に数回落ちます。とても惨めになってキャンバスを破りたくなります。奥さんも裸のモデルを買ってでるほどセザンヌさんの気持ちを自分に持っていこうとしていた。芸術家って苦しいですね。
そして新しいアートは理解を得ないで嘲笑の的になるのです。やはりイエスさまのようです。
何かを信じて耐え忍んだ。そこをゾラは書くべきでしたよね。
私のアートも無視されているかもしれない。でも、全然平気です。
神様が必要でそうされているのですから。

☆私の若い時の宗教体験は「マリア・コード」に書いてます。
霊名のマリア・グラチア・縷衣香著になってます。
グラチアは感謝とか恵みとか恩寵の意味でガラシャ(ラテン語)と一緒です。英語でグレース。フランス語でもつづり違いのグレースでイタリア語だとグラッチェかも。ありがとうの意味もある。

「マリア・コード」たま出版 マリア・グラチア・縷衣香著 1500円

☆今日は6時半から清泉女子大に中国語のレッスンを受けに行きます。これから娘と夕飯です。
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