April 28th, 2007

毎日がアースデイ!

 ドーム・パラダイスの2日目。
 明け方4時頃ばら色の空が天窓から見えました。天使たちが踊っているような軽やかな夜明けの空気の細波が流れてました。
 朝食はない。毒だしジュースを戴く。みおさんは健康な2食主義。
 お昼はみおさんお薦めのレストラン「パンカーラ」へ3人で。「パンカーラ」はアイラマ語で「花」の意味だそうです。アイラマ語は、ペルーとボリビアの境にあるチチカカ周辺の先住民族「アイラマ族」の言葉だそうです。大の大人のカップルが4人で共同生活をし共同でレストランを経営している。テレビにほ報道され、本にも紹介されてるお店。
ペルー料理をオーダーし経営者の男2人がペルーの楽器で演奏。ペルー音楽がなんとなく懐かしいのは血が一緒だからなのだろう。

 



 途中から女性も入りドラムを敲いた。退職後の生き方として気に入った仲間とやりたいことをして収入も得る。非常に聡明な人たちだから成功したのだろう。持ち家も都会に残しているので将来の心配もなく演奏も自分たちがしたいので聞くほうは無料。

 ドームに帰って、「いやしろち」といわれるドーム所有のスペースを見に行った。800坪の敷地は川の流れに近く道路も作られている。木々が若葉が空を埋める夏には風景も違うだろうが私も生成りの麻の蚊帳になんと写りのいい場所なのだろう。広さも景色もそのインスタレーションの為に用意されたとしか思えない!


 
 


 天然記念物のカモシカや狐やリスや遊びに来るそうである。夜は真っ暗とのことなので素敵な照明を考えたらどんなにか私たちの平和の祈りがこだまするのがみえるだろう?
いよいよ楽しみが募ってきた! みおさん、神様ありがとう!

 夜は美味しい古米ご飯に山の幸、野の幸。
 みおさんのクリスタル・ボールをお願いして風呂上りにパジャマのまま横になりました。
 


 


 目をつぶり、予測できない音がデリケートな振動を自分にひとつづ入っていきます。どの音もそれぞれの水晶の持つ透明さが脳にまっすぐ入っていって自分の許容範囲の壁を打ち破ってるようでした。時には耳をふさぎたくなるほどの大きな刺激もありました。それでも耐えられる自分発見。そうこうしている内に音は静まったのですが、音も香りも色も体に話かけるのですねえと最近の学習のまとめです。

 みおさんいわく、50数回の演奏の中で一倍よい音が出たとのことで、それは私の持っている状態との呼応とのことです。私は絵を描くとき下書きはほとんどしないのですが、ここにこの色でなければいけないし、あそこにこの線でなければいけない絶対的な1点の厳密さがその作品の完成度を決めると思うのですが、多分現代音楽や即興ジャズなどと同じようにみおさんの腕がクリスタル・ボールを最もいいときに最も適切なボールを敲かれるのでしょうね。とにかく良い贈り物でした。

 
 私は重慶旅行の予習として簡易に書かれている「三国志」を日々読んでいるのですが、あまりにも複雑で進まないのです。同じような名前が多く何度読んでも頭に入らないのです。それで、少し読んで寝ました。

「北斎は預言者だった。」に同意。



移動中、横川の「峠の釜飯」マイ箸で戴きました。


 朝、楽しくすっかり寛げたドーム・パラダイスを発ち長野に向かいました。長野線に乗り小布施で降りました。
北斎館に行くためにです。昨年「上野」であった北斎展は大変な人出でした。しかし、このちいさな農村が観光客用に街には周遊バスが走り街灯に花かごが吊るされ整備され「北斎」の力の大きさにびっくりです。

 北斎の晩年に小布施で絵を描く機会と生活のいっさいをみたスポンサーの豪農商者の高井鴻山家も記念館として公開されてます。高山鴻山は幕末維新の先覚者でもありまいた。北斎は80歳のとき江戸から歩いて小布施に行ったそうです。絵の道楽のあった鴻山にを教えたり下書きを書いたりして長く滞在していたのでこの地には北斎の晩年のいい仕事が沢山残っているのです。

 「北斎館」は大きくは無いのですが、名作が沢山展示されてます。「小野小町」の屏風はとても興味深いものでした。鸚鵡小町、卒塔婆小町とひとつひとつが有名なエピソードとなってるのですが、北斎の知性が晩年の乞食のようだったといわれる小町ですらひとつの道を生き切ったものが醸し出す品格ある小町を描いて彼女の人生を肯定しています。ビデオが2本見れて、「画狂人北斎卍」と「北斎と小布施」。どちらもとても内容のある質の高いフィルムでした。

 岩松院には北斎が描いた鳳凰の絵が今も鮮やかにあるそうで、覗いたクラフト・ショップで豚の親子を買って訪ねると、もう5分くらいで寺が閉まるというのでした。15分くらいかかるといわれたのですが断念できず店のお客の口ぞえで電話をしてもらい、走って走って岩松院辿り着きました。モネもそうだが晩年の大作はたっぷりして無駄がなく総仕上げとしての力の配分がよく丁寧に描かれた初期の絵にくらべたっぷり包み込む人生の大きさが感じられるのでした。

 


ニューフェイスの木彫りの豚親子
 





 この一帯は一茶が晩年過ごしたところで俳人の俳句碑が20くらいあるそうです。
寺の周りも素朴な山里です。


 北斎は世界に影響を与えた1000人の中のたった一人の日本人です。
ゴッホやモネ、マネに影響を与えた国際的に評価されてるアーティスト北斎。
私は「北斎館」で「新訳・北斎伝」新井勉著勉著 信濃毎日新聞社発行を買いました。帰りの新幹線で読んだのですが、私が予感していたこととほぼ一緒なのです。北斎は宇宙人だったかもしれません。ちょっと唐突すぎますが彼は普通の日本人画家とはスケールが違う。それは本物のアーティストだけが持つ真理を見る目を持って預言者だったからです。国際的に通じる普遍性を持ったアーティストには驚くことだらけです。例えば、北斎の版画は当時のかけそばの値段で売っていたらしい。号(画のキャンバスの大きさのサイズ)いくらで高いほど価値が高いとされてる画壇とまったく反対の方向性をもっているのです。彼は北斗七星を信仰していたし、死ぬまで衣食住には関心が無かった人のようです。こんな人、今の画壇にいるかなあ?


 彼の晩年は権力への突っ込みのアート姿勢もあるのだが、一番最初の「北斎」を書いた人はまだ北斎を知ってる人が生きている時代だったので、自分の立場や時代の含みで本当のことが書けなかったようです。当時の画壇に北斎がどう闘いどう作品を展開してきたか?それはとても面白い天からの意図を感じます。その北斎を幕末維新の人がちゃんと支えてるのですから、やはりいつの時代も類が友を呼ぶのですね。