May 4th, 2007

大掃除の果てに発見!20代の個展の案内状

 今日は緑の日。
 暑い日だが、母のいる病院にまで恵比寿から歩いてしまった。旅行用のナイキの黒のスニーカーを試したかったのもある。母は意識がない。もう1年3ヶ月だ。母にしてあげれることは何があるだろう?

 家に帰り、「コノハナサクヤヒメ」の文章を訂正しながら2度目のチェック。
 暑いので夕飯は冷やし中華を戴く。

 部屋の大掃除のとき見つけた20代のときのノートから個展の案内葉書が出てくる。色褪せた安モノの紙。貧しかったし世間知らずだった若い日に国際的アーティスト(笑)を夢見て、ただ前をだけ見て進んでいたときだ。稚拙だが、一生懸命だった。


 大学を出た年、夏に軽井沢で出会った人が渋谷の西武百貨店の人で「西武で個展をしない?」とチャンスをくれた。画壇のあり方に参ってしまって絵を描くことに自信を失った頃。

 「能」と「狂言」を題材に1週間だったが、延期して2週間になった。




 京橋にあった「ギャラリー・プリントアート」その頃はバブルの只中で版画は偽札を刷るより効率がいいと画廊主は冗談で言っていた。初めて新聞の講評が載った。アメリカ人に女性記者はずいぶん理解してくれたものだ。

 


 翌年は銀座の村松画廊「不思議な国の流異展」だ。


 この時は「聖教新聞」に文章を頼まれ書いた。今でも同じ考え方だ。
物質文明に疑問を持ち、貧しさに生きる宣言のような文。
 


 秋田の聖体奉仕会の聖母像の血と涙とシンクロしたシロタ画廊の

 

 毎年1回、違うギャラリーが原則で、翌年は日本橋の「真木画廊」、
 


 「易カルタ」の記事が「週刊朝日」に出た頃で、真木画廊主の山岸さんが「オカルトとカルタをドッキングしてオカルタ」と名づけた。





 翌年は同じ山岸さん経営の「田村画廊」で「遊びえ」。小杉武久氏のヴァイオリン演奏。
それは、以前「おおえまさのりの「死者の書」によせてコンサートのポスターを作ったからだ。    

 





 藍画廊で「魔術的発明」


 京都の紙泉堂ギャラリー「俳句画」、
 ここの縁から1980年度の豆本のカレンダーができた。
 


 大阪のうつぼギャラリー、昔の茶碗屋の蔵を改造した画廊。「メビウス」、最近近くの公園でホームレス立ち退きの暴動が起こったところだ。



 大阪大学の政木和三先生をお招きしてスピリチュアルな懇談会もした。

 藍画廊で再び「百人一首」

 「百人一首」の仕事をくれた「赤い馬」の年賀状も描いた。



  

 貧しくていつもアルバイトをしながら、やっとやっと生きてきたけれど、こうして羅列してみると私なりのスタイルが見えてくる。これが私のおおよその20代の仕事だ。
とにかく多くの人のご恩になったことでようやっと生きてこられて、今さらのように感謝である。