May 7th, 2007

Christmas

難解よりも卑近!

わかりやすく、大衆的が私のモットーです。高踏的であることより庶民的が好き!

お多福カード1973


サイン帖4種のうち1975 クイーン社


12月絵巻 1975


s年賀葉書 1977



豆団扇と舞扇


ファッション画 1970


ポチ袋 1975



易カルタと「因果な嫁業」1977(稼ぎの稼ではなく花嫁の嫁です)
Christmas

 Survival as artist! アーティストとしていかに生き残るか?

 「アーティストとして、いかにに生き残るか?」の授業をアメリカ、ボストン美術館付属スクールで受講したのはとても有意義でした。

 世界中、アーティストは貧しいのが定番です。
 私も家を建てたいとか贅沢をしたいとか考えたことはないのですが、一生描き続けたいと思っているのです。その最低限度の材料費と描くスペースを確保したいと思うのです。

 しかし、それが大変なことなのですよ。
 名を残す偉大な画家でも、タバコの銀紙に描いていた(描く紙が無くて)アジアの画家や、
アンリ・ルソーでも描いては削って、画材ショップに売っていたというのです。絵が描かれてるのより白いキャンバスのほうが商売になったというのです。

 私も毎日、どう画材費を捻出するかが課題な貧乏アーティストなのですが、絵の世界では私より困窮しているのはザラですから普通の人並みの生活を送られている人からは考えられないことが沢山あります。

 豆本など3ミリちかくまでは紙の破片を捨てません。ちゃんと使うのです。また、大抵の作品は弄っているうちになんとかなるので反古はほとんど出しません。もっとも家族は誰もそれが傑作とは思ってないわけで、ガラクタといわれてます。

 それにもメゲナイ根性と自惚れがないと続けられません。
つまり、アーティストとして生き残る必須の感性は図太いことかもしれません。


「富士コノハナサクヤヒメ物語」

 ようやく「富士コノハナサクヤヒメ絵本」の原稿が書き終わりました。
多摩川園前に浅間神社があって、やはりコノハナサクヤヒメが祭られているそうです。
晴れわたる5月の午後に出かけると、9つの古墳のある多摩川台公園の入り口に浅間神社を発見しました。前に白金のギャラリー「くれあ」のオーナーに聞いたことがあります。

 私の英語教師のオ-ストラリア人のティム君が「富士コノハナサクヤ姫物語」を気に入って是非翻訳したいとのことで早速、日本文原稿10枚を渡してきました。絵は墨絵の色紙と貼り絵の色紙を20枚ほど描きましたが、さらに明日から行く中国の重慶で墨絵を見て新作を作りたいと思ってます。


 ギャラリーG2企画の富士展で、今、新しい作品がアルメニアにいってるのですが、
昨年夏に、ロシアでの「富士展」に誘われたとき、なんといっても、富士山は北斎の赤富士、土牛の富士山、横山大観の富士山と名作ぞろいですから、私が描くことについて考え込んだものでした。

 私にしかできない富士山があるはず!そのとき閃いたのが「コノハナサクヤヒメ物語」でした。桜と富士山は私には縁があるのです。
若い時、「易カルタで天の声を聴く」の原稿を日本経済新聞の文化欄に載せられたとき、私の原稿の右に奥村土牛の富士山の写真があったのです。此花画廊の池田清子オーナーはそれをとても喜んでくれたものです。

 それで、昨年7月に絵巻で「富士コノハナサクヤヒメ物語」を描いてみました。

 
赤富士


桃富士


水富士


海富士


三人の子を炎の中で産む


海サチ、山サチ


巻物を撒いた時


「富士コノハナサクヤヒメ豆本」





富士山in Coffin


桜の棺桶に富士山がはいっているのは、富士山をゴミ山にしていることへの抗議です。

富士山バスケット


 富士山バスケットはほとんど球体ですが、ある一方が富士山のように突き出てます。
開けると、バスケットですからクッション入りの籠になっていて、小さな地球が入るようになってます。富士山バスケットの表面は花や葉のほか、恐竜や動物、生物が縫いこまれてます。