May 19th, 2007

生まれた時から、、、、。

 私はこれでも非常時である。母が入院していて、1年にもなるし、老いた父親と姑のことも気がかりな日々。

 そんな時、私は焦ったりしない。
 今の状況を楽しむのだ。別に絵を描くことだけが人生ではない。
 思い出を楽しむのだ。
 作品も作る時間もないし、部屋の中もいつまでたっても雑然としているが思い出は次に与えられる時間まで思いを繋げるのだ。

 つい7年前に僥倖のように訪れた至福のときに制作した玩具のような作品を少しずつアルバムからピック・アップしてあの時に考えていたことを思い出す。

Baby Box エッグテンペラ ゲッソ。蓋の裏はノートルダム寺院のパーツ。

黒い子供も白い子供も同じ空の下で、今日も生まれる。
生まれた時から違う匙の色をくわえて!

ノアの箱船箱 エッグテンペラ ゲッソ。鶏の家族、ワニと卵、箱の中のはノアの家族。
                          



「世界史」エッグテンペラ アクリル。ミニチュア玩具のコラージュ

「ダンテの神曲・地獄編」エッグテンペラ アクリル。木にペインティング。

 「愛のハート型のお菓子の箱」エッグテンペラ ゲッソ。ちいさなものはお菓子。
                     

「マリアさまに捧げる百合」と陶の花瓶。シルクスクリーン版画を陶板にプリントして。
故矢部まこと先生に陶板を巻くのを手伝ってもらった。まこと先生は私の陶芸の先生だが同じ年だった。自然治癒で病気を治すから保険が降りないから寄付をしてくれと友人から手紙が来た。100ドルの小切手を切った。その後、お目にかかったときは随分やせていて「治ったからお礼しなくてわね。」って言っていた。ちいさな混血児を二人残しての癌は辛かっただろう。私は彼の貝の形の7枚の皿と1枚の小さな皿を買った。授業の教授代では生活ができないので1年に1回、土曜日と日曜日に自宅でオープンスタジオを開いた。奥さんのユダヤ料理がいっぱい出て、飲み物も食べ放題。スーパーマッケットのように買い物籠を渡されてレジまで作品を持っていくのだ。安くは無い。貧乏学生でも10ドルの小皿を買う。それで、1回行くと2年目は行かない人が多かった。
 先生が病気のとき、奥さんも働けるし子供の一人は小学生だったから50代の年齢で医療費をカンパしなくてはいけないのは随分厳しいアート人生だなと驚いた記憶がある。
 新聞に写真が記載されるような作品は隅にあった。「売れないもの。」と淋しく笑った。
セラミック・デパートメントでは少しでも簡単に生活費を得る手段として、同じサイズのおわんやマグをつくる訓練をする。それで、自分の本当のワークができる時間とお金を得なさいとのことだった。
 1年に1度、お正月にその7枚の貝の皿を使うのだが、あの時無理して買って良かったなと思う。1年に1セットだけ作った変形の丸皿は毎年色が違うのだ。もう、永久につくることはなくなった皿のシリーズ。私の巻いたか花瓶ももう2度とできない。「友達が作ってよ。」って言うのだけど、あの大判のローラー機と版画教室の大きなプリンターが無いと、平安仮名がプリントされた作品はできないのだ。
 だから、いつも今が大事!


 あの時は1日中制作ができた。ほぼ4年間くらい許された天国タイム。
 自分の作品を客観的に評価できる人がどのくらいいるか知らないが、やりたいことをやるのが私の主義。自分で全部持っているので日常的に使っているのだが、作っている時の楽しさは格別。それで後の処理についてはつい怠ってしまう。課題はプレゼンテーション!

 母にプレゼントしたイタリアのヴェニスで描いたアクリル画を母は自分の部屋にこのように飾ってくれていた。
 「サン・マルコ寺院」

 
いつ行っても感動あらたなルルドのマリア像。このときはバロセロナの帰り。



フランスで見た「天使のポスター」。
天使が傷ついていますね。


「天使ショップ」
オーナーも絵かきで天使を見ると言っていた。私はハートの蓋ものに、赤ちゃんの天使がお座りしている陶のミニチュアを買いました。