May 26th, 2007

聖母月に!

                              

      
                                                      

                    

 聖母月は私の母親と姑のことで大変忙しかった。老いてる人たちはやがて迎える自分の未来を見せてくれる。いつ何時、いっそうの弱者、病人になるになるかもしれない。長女である私は家族の中でいつも当たり前に譲ることや自分を虚しくすることを要求されてきて自分でも生きるのに必要な自己愛が欠けてるのではないかと時々思う。

 若い時、よく「もっと、自分を大切にしたら?」と言われた。
自分を大切にするというのは、他人より自分を優先することであろうか?
「あなたはそんなんでどうして生きていくの?」と言われたこともあった。
私の知人の多くは上手に他人を使っていくような人だったが、その結果特別成果あって幸福にも成功しているようにも見えなかった。

 私は愚か者であろうか?
私は人と競うことにおおよそ興味がない。
競うことでは負けを選ぶほうだ。人の痛みで傷つくほうだ。
そんな私でも生きてこれた。不思議なことだ。

今日、テレビの「世界不思議発見」でアンデスの聖母マリアを見た。
1年に1回、その年犯した罪を償う為に夜通し3日歩いてアンデスの山(アルゼンチン)の頂上の教会の聖母像に会いに行き1年の罪をざんげし、聖母像を担いで山から降りふもと近くの教会に安置するのだ。40人ほどのグループが70組ほど音楽を演奏しながら崖沿いの暗い道を1列になって登るのだ。標高4000メートルを超えるが赤ん坊をおぶった人や小学生の子供も歩くのだ。老人や山に登れない人は下の教会で待っていて、聖母像を見ると涙を流していた。
 アンデスの聖母像はアンデスの人のように褐色だった。

 貧しく厳しいアンデスの暮らし。そんな人が感謝の涙を流す。そして、聖母に1年の罪を浄化するために命がけで山を登るのだ。高いところに聖なる場所があって聖母をそこに設置した人間の本能。やはり、体調を崩す人のために医療設備も会って高山病に備えている。

 私がアンデスの人のように聖母にいつも寄りかかっているのは、過酷な人生を多少とも余儀されたからだろうか?それが苦しみがお恵みとのことであろう!

 しかし、日々の生活に待っている宝物との遭遇は私は聖母からのギフトだと思うのだ。

 今日は自分の宝石箱の整理をした。
母からの贈り物や姑からの大姑の形見。高価なものではないが想いのあるもの。それと信心グッズのペンダントやメダイが出てくる。
大抵は安価な極めてポピュラーなものだが、やや特別なものもある。

 チェコのミルクガラスのミニ・ロザリオ入りのロケット。
薔薇の花が開いて、完全なロザリオがでてくるのだ。薔薇の裏はイエスさま。アンティークでなんと鯛焼き屋に売られていた!アメリカのチープ玩具などを売っているのだが、このロケットはガラス戸棚に飾ってあった。類似品は無くこれだけ!私のためにおかれてあったように見えた。
 バチカンで買った不思議なメダイの聖母マリア像のカメオのペンダント。
 女性の顔やギリシャ神話は多いがとても珍しいのではないかと思う。
 他はいつもしているルルドで買った不思議なメダイのロケット。後ろには名前をいれてくれた。中にはメダイの裏が彫られている。金メッキでいつも綺麗である。