May 29th, 2007

結婚記念日とアンマの集い


 今から24年前の5月29日は、三位一体の祝日だった。今日のようにさわやかな5月晴れだった。
 私はホテル・オークラでバイトする友人から百合1本貰ってきわめて質素な結婚式をした。
結婚式も必要ないくらいだったが、東京カテドラルを出るとボーイスカウトの少年たちの集会があったらしく拍手をして車を送ってくれたのだった。
 何かを得ることはやはり何かを失うことである。
 その最大なものは自由!

 私は最低限度、家庭に拘束された。ご丁寧にとても古典的に双方の家に気を使う人生が始まった。抽象的な「愛」から、日々の生活の中で協調性とか献身とか犠牲を実践するのが家庭である。もう銀婚式も近いのに今だに主人の給料もボーナスも知らない。「お子さんまでいるんですか?」きっと、家庭生活が希薄なのだろう。「結婚しているように見えない。」とのことである。


 今日は興味があってAmmaの来日の集いに行ってきた。5月28日と29日の午前と午後2度づつ、味の素スタジアムに私は午後6時半からの集いに参加。
仕事をして、家の中をざっと片付けて行ったので、6時半ギリギリで1階の直接アンマの見える場所ではなく2階の映像でお姿の見える席だった。座ってる人は若い女性が多かった。時々バギーで子連れの親子もいた。又7時過ぎにはサラリーマンの男性やOLたちが次々と顔をだして、2階もいっぱいになった。ボランティアの誘導に従い静かに平和に時が流れる。本人の顔が直接見れなくて、時々画像が消え、声だけになった。
 しかし、波動はとても心地よく、着てよかったと思った。靴を脱いで、座る。聖水をカップにいれて配られる。飲んでみたらいい香りがした。

 映像のアンナは50代の女性でふくよかな笑みが温かいインド人。
私は知らなかったが、世界中で大学や孤児の施設、病院など建設し、貧しい人の学力向上に努め、ダルシャンをし、ハグをして回っているという。ブラザー・キング賞を受賞されたようだ。

 今、世界中で苦しんでいる人々のことを思うなら、
私たちは、どんな形であれ、1日30分だけでも、
そのために捧げる努力をすべきではないでしょうか?
 -これがアンマのお願いです。-
今日、世界は、言葉と行為において
善を表現する人々を必要としています。
そうした尊い先駆者たちが他者の模範となるなら、
今、社会を覆っている闇も晴れることでしょう。
                          -アンマー
アンマは母の意味のようだ。


 私のように初めての人は少ないらしく、今日はオールナイトで明け方まで続き、ハグのための整理券によると12時ころにハグの時間がまわってくるのだそうだ。

 講演は「カルマ」の話から始まった。
不幸や貧困は前世のカルマであるが、だからといって放っておくのではなく手を差し伸べるのが「愛」という彼女の宗教である。まことに然り、然りである。なんとも心地の良い空間だろう。やはり癒された。そうであっても、主婦の道を選んだ私はいつまでもここにはおれない。
1時間たった頃、おいとました、(京王線の飛田給は私の家からは1時間半はかかるし。
帰りにアンマの足という名のクッキーを買った。そして熱いチャイを飲みながら駅に向かった。
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 自分が捨ててきたもう1方の世界の奉仕を見た。
アンマの言葉は聖母マリアの言葉のように聞こえた。
たいそれたことはできないけれど、私に自分に出来る無償の行為を求められている気がした。

 夫は今帰ってきたが、結婚記念日のことは忘れてるようだった。