June 16th, 2007

騙すこと騙されること!

 毎日、毎日、情報が溢れその中で本当に大切なものにどう出会うかが課題である。

 最近、英語のNOVAが看板に偽りありで制限がかけられた。
自分のしたい時間にレッスンが受けれなかったり、多額の納めた額がクリーニング・オフできなかったりしたようだ。

 私は経験主義。他人の評判よりも広告の誇大な利点でもなく自分で見た体験を重要視してきた。スペイン語をしたいと思ったとき、NOVAも覗いたことがある。いろんな外国語の教師たちの態度や品格を見て、ちょっと違うなと思って階段を下りてきたことがある

 語学学校もピンからキリまで。教師の力は大きい。いい出会いがあれば結果がでるし、逆にお金だけ捨てる出会いもある。語学は苦手だが、それでもわかったことは続けなければほとんど力が存続できないことである。逆に考えると語学学校は美味しいのだフランス語の学校の最近のニュースで不正があって廃校になっていた。えらくフランス人が銀座でチラシを配っていたことがあって、「そんなに需要があるのかな?」と思ったのである。

 商売は常にある期待のある博打なのだろう。
何がしかの利益を得る限り奉仕とか善意とかお助けしたいと言わないほうが誠実だと思う
どう、きれいごとを言っても、「儲かるか儲からないか。」かもしれない。
 
 教育がすでにマネーに毒され過ぎていると思う。
 もはや、公立学校の教育では受験は間に合わないのだ。塾や家庭教師の質までもお金がかかるのである。親が健康で何がしかのエクストラルのマネーができれば過酷出ない人生の最低ラインが保障される。そうでなかった場合、母子家庭で母親が病人だったり父親が博打や女に入れあげて余計な学費が払えなかったりしたら、ごく一部の天才に恵まれた子以外は人生レースの不利過ぎるハンデ戦を生きなければならない。なんという世界なのだろう。福祉はこの末端まで働いてないのである。

 それで、皆がマネー、マネーというようになってしまったのであろうか?
お金があれば何もかも買えると思わしてしまった消費文化に騙されてはいけない。

 テレビを見ると、例えば美容に凝ったら大変だ。肌のお手入れ、髪のケア、スタイルをよくする通販から、センスよくコーディネイトするための講演会や茶会の数数でそれほど、皆収入があるのかと思ってしまう。整形美容医師は高収入者の上位にいるが、失敗に人生を棒に振った人も情報に流すべきだ。リスクもあるはず。多くの同業者が「肌が荒れてるのは女のたしなみがない。」とか「髪のお手入れで差が尽くセレブ度」とあおっているので、脅迫概念で「太っていたら恥ずかしい。」とか「ブランドを持ってないので貧乏。」とか思わされてしまう。単に趣味の問題ですけと。

 それで私などは、「そうかしら?」「それで?」と思ってしまう。
好きなものを食べて長生きする人。健康オタクで早死にする人。あまり根拠の無いことで本では「蜂蜜が体に悪い。」というのを知って「えっ。」という人が沢山いた。「体にいいと教えられてきたから子供にも多く食べさせてきたのに。」とか、いちいち騒動になる。「好きで食べてきました。」というのがいいのではないかしら?「からだに悪いそうよ!」「でも、好きですから。」「減らさないと!」「好きなものを止めてまで長生きしたくないです。」とか。

 ほとんど真ッ反対の意見があると観て過言でない情報過多の社会。

 騙された?
 騙されてみたかったではないかしら?
 騙されて時間つぶししていたのではないかしら?
 学歴があると幸福になれると信じて全てを削って勉学にいそしんできた人が自殺したり
 美しくなれば幸福になれると信じて自分磨きをした人が裏切られっぱなしだったり。

 だから、趣味だったらどう?
 「あんたの発音は悪いね。」
 「別に通訳になろうとか翻訳家になろうとか思ってないただの道楽ですから。」
 「あなたの体型は醜いわね。」
 「別にモデルになりたいとか女優になりたいとかおもってませんから。誰にも迷惑はかけてないと思いますよ。」
  情報に翻弄されるのではなく自分の楽しみだったら、腹は立たないと思う。

  とにかく、騙されたとかでカッカとなったり騙してやろうと犯罪者になったりしないこと。騙して幸福になっている人見た事ないもの。騙して受け取れるものはマガイモノだけ。代価を払ってないもの。

 こんな問答をしてみたくなる昨今の出来事でした。