June 28th, 2007

お金は不思議! いつも試されるお金との付き合い方。

 私は聖書の中の食べることや着るもののことに心配するな。神様は必要なものはみなご存知だから、心配しなくても与えてくださるという箇所が大好きです。

 未だ、大学生で自分のお小遣いが両親から毎月貰う5000円だった頃、私は世の中が知りたくて知りたくて仕方がなくて、アルバイトにせいを出したものです。伊勢丹のバーゲンセールのレジのバイト。テレビのイラストを描くバイト(出演も)。おめかけさんの経営するジャズ喫茶やカラー写真の現像所で結婚写真の修整。森ビルのオーナーの娘さんの結婚写真を有名なヘヤーデザイナーの宮崎さだおという人がやり、スタジオを覗いたのを覚えています。その上、実家の稼業のレジもしていたので、学生としてはお金持ちでした。

 そのせいか、否か、同級生からよくたかられました。芸大の学生からも日常的に無心されてました。私は聖書の教えを実践してましたので、万遍なく応じました。聖書には「上着を求めるものには下着を拒むな。」とあったからです。幸い私の下着を望むものはなく学生らしく交通費や飲食代が多かったです。

 しかし、ほぼ4年間、毎日でしたので馬鹿になりません。私は鈍感を装っていたので嫌な感じを誰も受けなかったと思います。私は宗教的美徳から何も説教じみたことも言わなければ、毎日の労働から得ているお金だと特別説明もしませんでした。ただ、とても不思議でした。「この方達はほぼ、同じ様に健康で同じ様に好きなことを選んだ学力も同じくらいの方なのに、どうしてそんなことをするのかしら?」

 ある日、芸大の学生から「5000万円を自分にくれ。」と言われて驚いたものです。そんな大金があるわけもありません、まして、あってもその方になぜあげなければならないのでしょう?私は咽喉から言いかけそうになりましたが、黙ってました。「私が朝から晩まで、ダンボール工場で働いたお金ですよ。」と言ったら、バツが悪いだろうと思ったのです。日本の社会で厳しい差別を受けてきた青年に私は何も言えなかったのです。私は去る方がその方のためになるのではないかと去ることにしました。又、同級生たちも顔を合わせる機会が卒業とともになくなり気持ちよく清々しくなりました。

 大学を出て、フリーのグラフィック・デザイナーとなった私はいろんな人に会いお金のことを学びました。一流企業のオーナーの方は私の決めた値段の2倍払ってくれたり、貧乏な劇団やアーティストは無料チケットやパンフレットに名前が載ることが報酬のこともありました。
なんの不満もありませんでした。楽しくて面白くて、お金のないときは歩けばいいという考え方で生きていました。着るものも食べるものも困ったことはただの1度もありませんでした。
聖書の教えを実践することを第1にして、困っている人にはお財布をひっくり返してはたきました。それでも、毎年個展が開け無視されず、新聞や雑誌に評価が記載されました。

 ある日、毎日たかっていた学生時代の隣人から電話がありました。
「軽蔑しないで!自分は学んで今まで間違っていたことがわかった。」というのです。私は仕事上の待ち合わせがあったので「すいません、出かけなければならないので、電話を切ってください。」と言いました。「学生のとき、一緒に写真を撮った!もう、付き合ってくれないのか。」とのことで、感情的な言葉が出てきました。何もおわかりではないようでした。

 他の毎日たかっていた隣人はとても怖い目にあったそうです。「ふん!あんたみたいないい人!」と言っていたのですが、私を食い物にしたように(毎日)他の人にして、暴行にあったとのことでした。それで、彼女はもう、他人を食い物にしなくなったようでした。

 芸大の学生の方も他人の持ち物に手を出し、袋叩きにされたと聞こえてきました。

 聖書に「人を裁くな。天が裁く。」とあり、それは本当のことなのでした。

 私もいつも正しいわけではないのです。しっぺ返しもしたことがあります。自分の罪は罰があると見えてきました。どうしようもないですね!


 浅見ソロンさんとう神道の方がいらっしゃいます。不思議な本をたくさん出されています。その20冊ほどの本を私は熟読しました。アメリカにも持っていきましたよ。2セット買って、日本の会に寄付しました。
ソロンさんは「お金を怖い」とおしゃいます。
人を食い物にした人は食い物にされるとあります。そして、具体的に彼の経験から見つけた真理を書かれてます。
 例えば、香典泥棒をすると命を失うそうです。
 又、人のお金を盗んで被害者が困って自殺した場合、世間に知れなくっても、因果応報が子供やかわいい孫に出て辛い人生が待っているようです。
 ソロンさんはお金はおあしと言って、不始末があると足に出てくる場合が多いといいます。
 どんな人でも、どんな悪いことをした人でも反省すれば皆いい人になれると書かれているのが救いです。

 「復讐するは我にあり。」
 聖書に書かれているこの言葉はずいぶん深い生きる指針を与えています。
 天に任せて置けばいいのですよ。

 仮に闇の勢力があっても魂を奪うことは誰にでもできません。
 永遠の生命というものには地上の死よりも、魂を地上でどう磨き浄化するかしかないのです。

 お金の話は本当に不思議です。
 マザー・テレサのところで働いていた友が言います。
「10年お傍にいたけれど、マザーがいつどこでお金を得て来るかだけはわからなかった。マザーの傍にいるシスターは皆お金持ちのお嬢様たちで掃除や介護しか出来ないの。それに、マザーは自分の名で寄付を募ることを誰にでも許さなかったもの。」

 私はお金が沸いてきたと思うのです。
 イエスさまのように。
 小林正観先生の本にありますが、必要なお金がその額ぴったり出てくることがある人たちにはあると書いてます。誰にでもではありません。よく生きて人のためにお金を使い人助けのためにお金をいる人たちです。

 私はずぼらな人間ではありますが、お財布からお金が沸くのをよく体験します。
娘が「ママ、かわいそうね。1万円札1枚しかもうないよ。」といいます。別に困りませんが、後で開くと2枚になってます。更に3万円ほど増えることはザラです。

 どう考えても吝嗇な主人が入れてくれるとは思いませんから、天の父と母が入れておいてくれるのでしょう。私程度でこれですから、マザーテレサともなると尽きぬ泉があるはずです。

 ですから、お金って与えれば与えるほど増えていくのですよ。
反対は悲惨です。貪れば貪るほど、減って財産無くします。

 だから、私は明日の心配はしたことがありません。ケセラセラです。
心意気は江戸っ子です。綺麗さっぱり遣い果たします。そして、明日お財布を開くのです!
やることをやっていれば困らないはずです。
 今日来た郵便にこのようなものがありました。
 寄付は求めないが、寄付には応じてきました。払えないときは払わなくてもいい時です。

 山谷に住むホームレスさんたちのためにお金やお米を送るのです。
1度、マザーテレサのところで10年働いていた友にお願いして連れてってもらいました。ボランティアのおにぎりを握っているいる人たちが全国から送られてきたジャムの瓶を山分けして持ち去るのを見て驚いたことがあります。しかし、躓いてはいけないのです。梅干やお米券、毛布など送ります。現金が助かるでしょうから現金も送ります。
もし仮に、わたしたちの贖罪をポッポする人がいても関係ないことです。
天の父と母がそれ様にしてくださいます。肝心なのは自分の心です。
できることをしたか?
しなかったか?