July 11th, 2007

スタジオワーク「祈り椅子」。「蚊帳教会」に向けて!


 「祈り椅子」をテーマにグループ展なのでそんなに場所がないので小品を制作中だ。



 今日は午前1時に帰ってた。スタジオの中はビーズをひっくり返したり,油絵のチューブを出したりで大変なことになっている。小さな額に釘を打つのだが、そんな簡単そうなことが簡単ではない。ずいぶん工程があるのだ。小さい釘なのでハンマーを打つとき手でおさえられない。それで、大きめの針で穴を開けて釘を入れて打つのだが、3分の1は折れる。幸いなことに裕福?なときに材料を買ってあるのでスタジオ内で制作が進む。
途中は夕飯の支度や洗濯、掃除などで家に帰るのが気分転換といえば気分転換だ。

 自分の中で「祈り」の意味を考える。
全ては良きもの。そして、なにもかもが美しいと私は思う。
人間社会で勝手にイメージされたものが美しくないわけでもない。
かわいいプラスティックの豚ボタンとイミテーションの真珠。
「そんなにムキにならなくっても!」というのが私の考え!
世に恐ろしいことが1方にあり、世に魂を振るわせる気高さがある。
その両方ともが私を通過していく。
この世に生きてる限り。

 今日も素晴らしい日だった。
北海道から風舞さんから電話があって、縷衣香本を置いてもらうべく書店巡りをしてくださるそうだ。なんと暖かい人との出会いだろう。
そして、ロザリオつくりの小川さんに電話。在庫はなく生産に追われているという。秋田の聖体奉仕会のロザリオがレンズの中からマリア様とイエス様が見えるロザリオで修道院に直接注文とのこと。でも、北軽井沢で「祈り」のイヴェントには歓んでくださった。「信者でなくてもロザリオから入れる祈りはいいですから。」と私。小川さんも嬉しそうだった。

 今日はあまりの忙しさに東急での買い物も必要なものだけを買った。チキンライスとアスパラサラダ。ブラッドジュース。黄色の西瓜を娘と食べてからスタジオに入った。

 材料は10年分あるだろう。
よくも集めたりの各種のもの。私が愛して探して購入したものはどれも出番を待ってるようだった。捨てるものは紙パレットと油を拭くぼろタオル。折れた釘。セージを焚きながら制作する。魔よ。去っていっておくれと。
 そして、多少の不手際があるのだが、ちいさな作品が生まれるのだ。
 小さいので見えないが天使の羽が並んでいたり、帆立貝が気の中に埋没していたりする。
帆立貝は人生巡礼。
天使は導き手。
薔薇は命の水。
糸は綾、しがらみ、誘惑。

オリジナリティーを追求するのは、冒険の連続。
常日頃の考えが作品ででてくるのだ。
安物?どうしてホカスことができよう。
あのちいさなスタジオに入ると食べることも飲むことも忘れる。
追われるようにだ。
そして、よろよろになって2,3軒先の自宅に帰る。
台所仕事より、掃除より、疲れるのは制作だ。
制作中は結婚したことを後悔するほど他のことをするエネルギーをとられる。

それでも、作品を見ると会心の作には程遠い。

Lovely Coffins and an invisible flying church!



アメリカで作ったミニチュアの「祈り椅子」と教会と聖母マリアです。
棺桶数えてみたら100個ありました。1つの棺桶のサイズ縦2センチくらいでしょうか?
今日は朝から銀行、郵便局、クリーニング屋、スーパーととても忙しかったです。4時には英語で夕飯頂いてスタジオ入り、掃除をしました。油絵のパートは終わりにしようと思います。貝型豆本、墨絵極小額2点くらい作りたいと思います。来週の土曜日搬入で案内状の発送を今週中にしなくてはならないのでちょうどいいでしょう。

 この「祈り椅子」と棺桶シリーズは時間をかけているせいかとても静かな感じがします。
祈りには透明な生きることへの信頼がある。
濃紺のベルベットの「祈り椅子」は私のスタジオ部屋にありますが、晴れた日に庭で撮影してみたいと思います。

 毎日毎日、新しい展開です。
「易カルタ」も新しいバージョンを作ることを決意。
英語の時間のティムとその話。30年も前に書き、描いた易カルタは少し時代にあわなくなっているかもしれません。
次から次へと目白押しのスケジュール。明日はお掃除隊。しあさっては母の病院。土曜日はバスケット教室と所沢である金沢の写真家と故クレア祐子さんの写真展に友と行く。その合間を縫って、食事、洗濯、掃除をするのですが私にとってはどれもこれも同じように大切なものです。比べられない、決して。祈ることも描くことも生活することも皆大事なのですから。