July 14th, 2007

「寺山修司と生きて」を読む


 昨日から「寺山修司と生きて」を読んでいる。新書館、田中未知著。
寺山のマネージャーをしていた女性が書いた本である。寺山修司は俳句を読む人であり、「天上桟敷」という劇団を作った人であリ、多くの映画も作った人である。

 私は特別大ファンというわけではないが私の大学時代がまさに、活気のある実験劇や映画が作られていた時で情報として大体知っていたので面白かった。寺山は東北弁のなまりでテレビで競馬の解説もしていたし、人柄が「いい人」そうだった。寺岡初という名の母親の書いた本も読んだことがある。父親がなくなり一人息子であったから極めて濃い関係の母親だなあと思ったのだが、今回の本で、母親の強烈さに非常に驚いた。おじさんに子供を預け働きずくめの母親は印税なんかには極めて干渉したらしい。それこそマナージャーだった未知さんの寺山の私物を返せとかいくらで売るとかどろどろした話が満載だ。

 寺山さんには九条さんという結婚した人がいたが、私が知ってるだけでもずいぶん多くの恋人がいたらしい。そして、優しい性格のためか誰もが寺山さんを今にいたるまで愛しているようだ。凄まじい仕事量で現実にスタッフが必要で、いろいろな形の協力者がいたようだ。そして、母親も息子への執着で、漫画みたいだが「天上桟敷」のあるビルの非常口を壊したり、火をつけると日常的に脅かしていたようだ。そんな濃い個性の人たちの中から、カルセール・マキとか丸山明宏の「毛皮のマリー」などの演劇が話題になった。田中未知はカルセール・マキの歌った「ときには母のない子のように」の作詞をしたそうである。イラスト展のとき寺山に案内状を出した縁から始まったというから才能豊かの人なのだろう。

 寺山修司の作品はコラージュのようだと書いてある。
「書を捨てよ。街に出よう。」家出青年たちがマネして寺山の門を叩いた。劇も街に出て行く劇だった。海外では日本より評価されたという。母親をヌードにして写真集を出したり、タブーとされている障害や醜いとされるものを表に出した。彼は人間理解の達人だったから、それが人間を解放し、より自由にすると信じていたのだろう。
横尾忠則の描くポスターも刺激的で唐十郎と葬式の花輪を送ったとかで警察沙汰にもなった。元気のいいひとである。

 彼は病弱で長生きしなかったが、スランプはなかったそうだ。
アートといえるかどうか常に話題の中にいて、最後に近所の家の「覗き」でセンセーショナルになった。近所の家に人が成功を妬んで週刊誌に売ったり警察に密告した。
彼は真摯な人で、「くすりと他人をあざ笑う人がいたら、私はその人とは口を利かない。」という意味の言葉が記憶に残っている。

 病者、地方訛りの青年。父親がなくて母親が働いている極貧の暮らしを知っている人。
とてつもなく優しい人なのだと思う。それで、若者が家を出て彼を訪ねたのだろう。

 いろいろな人が一人の人のある面を書く。その人にとって彼はそうゆう人であったのだ。
田中未知さんは今はオランダにいるという。自分の仕事を終えて思い出になった生活を書いたのだ。

庭のカサブランカが咲いた!kazesanとクレアゆうこさんの写真展

 雨が降っている。台風が来るそうだ。
庭のカサブランカが咲いたから切って置くといいと主人が出かけに娘に伝言。
台風が来るからそのほうが花にやさしいかも。
玄関は芳しい香り包まれた。
ゆうこさんへのプレゼント!
友人と五反田駅で待ち合わせ。乗り換えを間違えたものの新所沢へ着く。ガラリエ「道」はほんの2分のところ。予約してあったカレーライスとサラダを頂く。kazesanにお会いできたので写真集を買ってサインを頂く。ブログでおなじみの「かぜのあやさん」がご主人といらっしゃる。2時からのハーモニカ演奏が始まって波木克己さんが10ホールズ・ホーモニカで「上を向いて歩こう」や「ジョージア」などなつかしい歌を吹く。ハーモニカも暖かく強い音で迫力のあるものだった。小さな子供だ出て来ると、その場で「ちょうちょ」も吹き、子供が本当に喜んでいるのに驚いた。Kazesanアメリカ・インディアン・フルートで恋人に捧げる歌を吹き、涙ぐんでおられた。
 天界におられるクレアさんが昨年10月に個展を申し込まれ、11月に写真展を終えると2週間後には帰天された。癌の末期だとクレアさんは「道」のオーナーにおっしゃったという。今日は「道」オーナーのご主人の9回忌とのことだった。それで、レイ・チャールズの歌や黒人の悲しい歌「サマータイム」など聴くとしんみりして、なんとなく悲しくなってしまった。
ゆうこさんのご主人から電話が入り「食中毒で娘と自分は会場に行けなくなった。」という。

 Kazesanも風舞さんもクレアゆうこさんのご縁で知り合い、ブログを通し彼女への賛美と生きてる私達の仕事を確認することになった。

 ゆうこさんの写真はゆうこさんにしか写せない光の写真だ。
kazesanの写真は行動範囲の広さとプロフェッショナルの写真技術と思いのはせる自然のものへの発見があって、あらためて自然はなんて美しいのだろうと思われる写真だ。

 ゆうこさんは最後の日に自分の作品展をした。
彼女の光のメッセージは私達に届き、融合し薄く広がり波紋を投げかける。
それを受け止めたKazesanの2年間の充実したクレアさんとの日々。

 「遠いから来たくは無かった。」と正直なkazesanのコメント。
金沢から6時間のドライブで明日帰り、最後の片付けのためにもう1度来られるという。
人との出会いの不思議さ。ハーモニカの音との出会い。初めての新所沢。


 家に帰り、スタジオでバスケット教室だった。
作ったばかりの小作品を気に入り、2点予約を頂く。
2時間奮闘して、バスケットは最終パート。
明日に来る台風に備え主人は早く帰っていた。
てんぷらを食べる。心地よい疲労の日も終わった。