July 17th, 2007

「宇宙の法則」と宇宙からのメッセージ「易」777の奇蹟!

 昨晩から「富と宇宙と心の法則」を読んでいる。
 この本は世界的ベストセラーでサンマーク出版からディーパッグ・チョプラ著出アメリカ在住のインド人の本だ。どういうわけか「マリア・コード」と合わせて買いましょうとアマゾンを検索すると出てくるのである。ABC順にシンプルな富(お金だけでなく)の法則が書いてある。
 宇宙は「鏡の法則」だというのもあるが、本能的な経験で私は著者と同意見だ。

 人間の心が曇りなく宇宙にいると宇宙には美しい秩序があるのがわかる。
 「お金はどこからでもこの瞬間に出せる」とマハリシ・マへーシュ・ヨーギーが質門に応えて言ったと書いてあるが同意見。
  必要なものはどこからでも必要なときに現れる。
  それにはどんな心がけが必要か書いてある。
  ほんに1歩足を前に出せばいいのだ。

  例えば、人の成功を喜ぶ(妬まない)。
      収入の1割は寄付。
      他人の望みを叶える為に働く。
      お金は宇宙に捧げた奉仕の結果として私達に与えられる生命エネルギー。
      自分と出会う人をすべて幸福にする。
      意思を持つ。
      最初に最高の目的を掲げる。
                             など

 私は目に見えない世界を馬鹿にしていたきわめて普通の人だった。
 それに、宗教も弱い人たちのものだと思い大嫌いだった。
 しかし、若い大学生だった私はこの世には確率を超える不可思議があると気がついた。
それが、「易経」との出会いだ。
西洋のバイブルと対比して易経を「東洋のバイブル」ともいわれる。
何千年もかかって多くの哲学者によって、研鑽され洗練されていった易経は最初は文帝が牢にいるとき書いたものだ。それを最後に完成したのが孔子である。孔子は「もし、私が若い時に『易経』を知っていたら私の人生はもっと完全だっただろう。」と言った。晩年に出会った孔子。私は20代の初期に易に出会った。孔子に言わせると、私の人生はより完全に近くなければならない。

 私は何か大きなことをするときだけ自分の卦を見る。他人のは今はほとんど見ないが、皆良く当たるといってくれる。たとえば「夫に内緒で1000万貸したお金は戻ってくるだろうか?」「少しずつだがかならず戻ってくる。」そうなったと言う。
 なぜ、今占わないのかというと、溺れるものは藁をも掴むで切羽詰まった人たちの要求の深刻さをそのまま受け取ると自分の画家としての心境を乱すのだ。魂を平静にしておきたいからである。そして、人助けを収入にしたくないからだ。

 私は若い日に「易カルタ」を作ったときは、よく占った。
誰でも自分で自分の人生を「易」で占える為に作ったものだ。
そして、簡易に作ったせいか易はとてもシンプルな構造で出来てることを知った。
しかし、世間でな「難解な書」と言われている。

 私の役目のひとつは難解なものをわかりやすくすることだ。
 「ダンテの神曲」
 「宇津保物語」
 「古事記」
  これらは真理を書いている最高峰の文学なのだが、難解で読みにくいのである。
  最近、角川で「宇津保物語」の文庫が出版され「宇津保」もずいぶんメジャーになった。
  ダンテもブームらしい。
  私の仕事はいつもタイムリーだ。

 北軽井沢のドーム・パラダイスのみおさんとゆきさんからメールが来た。
2007年7月7日にイギリスに易の形の宇宙人が書いたと思われる地上絵が出来たという。
エハン・デラヴィさんのブログを早速訪問した。陰陽のマークのミステリーサークルだ。
 凄いシンクロだ!
 なぜなら、2007年7月7日に私の「易カルタ」の再出版が決まったからである。
それも「修道院への寄付をするつもりだったが縷衣香さん使って!」との7月7日の電話で決まった。
 それは私の勘違いのようで
 後で、修道女が正しい社会に貢献する会社に投資をしたいと言っていたので「縷衣香さんに使って!」と言う意味だったとメールが。投資?(どちらにしても宇宙の助け)

 みおさんが教えてくれた中国で現れた7色の虹オーラーのお釈迦様の写真は美しかったが、私は地震が起きるのではないかと危惧していた。なぜなら、私の義理の大姑が若い日に7色にたなびく雲の上にお釈迦様がお弟子さんを引き連れて現れて下界を見て「駄目だ!!」というように手を振られて雲を降りられてすぐに関東大震災が勃発したのだった。

 その大姑は「コノハナサクヤヒメ」の生まれ変わりだといっていた。
とても綺麗な人で96歳でなくなるまで大層身だしなみにも気を遣っていた。その大姑が「易」を占えたので、私は彼女のお道具を全部姑から頂いた。どれも高価なものだった。もっと、本などあったので取って置けばよかったと姑は言う。私は六ヶ所村にはその形見の真珠の指輪をしていったのだ。コノハナサクヤヒメに援けていただければならないことがあったから。

 宇宙には自然界にはいつも告げている真実がある。
問題はそれをしっかり読みとることだ。
 朝、10時代に地震があった。妙に気持ちの悪い日だった。
 新潟と長野で起きた地震だった。
 そして、夜の11時にスタジオにいた私は疲れからめまいがしたのかと思った。そして、家に帰ったとき、地震が北海道、東北にあったことを知った。
お釈迦様が現れてそれを告げてくださったのね。

ニュースを見れば見るほど、自然の強さに打ちのめされる。
私ができること。
波動を良くする。
祈る。そして、自然界の声を聴いてと言うこと!
それが私の「易カルタ」
そして、「マリア・コード」たま出版
「宇津保物語」而立書房
「コノハナサクヤヒメ」而立書房だ。

私の意志で動いているわけではない。
宇宙からの指令だ。
昨日の「富士山バスケット」の横形の写真には天使や鳩が写っているようだ。光?を発見した北海道の直にゃあさまからのご指摘だ。私はそれで拡大してみると、確かに天使2位のお姿が見えました。鳩?も写っているかもしれない。
地球を包む富士山バスケットなので宇宙も助けてくださるのでしょう!
ありがとうございます。皆様、天使様。

地震「今日は淋しい。」

  今朝は10年以上前に「百人一首」を贈られた人から電話があった。
 ご縁があって、パリ個展の案内状に住所と名があったので電話をくれたのだった。
 絵は「エスプリがある。」とのことでメッセージが伝わっているという。

 
 今日は雨、涼しくてしのぎやすいのだけれどもなぜか哀しくてやりきれない。
スタジオに行って昨晩作った小さな作品と手直しした作品を撮影した。


 月と太陽。白薔薇と赤薔薇の作品。家にあった円形にカーブした紙製の額縁に描いた。


小さな小さな額縁にも描いたが未だ未完成だ。スタジオの掃除もしたいので、今日は終える。

バスケットも違う角度から撮影した。

 娘が歯医者から帰ってきた。
頬がはれているので今夜のお出かけはパスにするそうだ。
私は1階の掃除から始め、2階に移行するところで中休み。要領の悪い私は家を綺麗にしようと思ったら、毎日8時間かかるだろう。

「平凡が一番いいんだ。」と父が言った。
兄弟にも独身のキャリア・ウーマンもいれば、子のない夫婦もいる。
私はなにもかも普通の生活だ。
私も主人も娘も「中ぐらい。」なのだ。全てが!

 そんな普通の人の暮らしが地震で壊れる。
年寄りばかりがどうしてなくなったのだろう?
休日なのに。
家具が倒れて怪我した人が多いという。
せめて情報が前にあったらと言うが、どこに逃げていへばいいのだろう?

 戦争も自然災害も弱い人間は無力だ。
 どうしても許せない人。どうしても欲しい人。どうしても勝たないと我慢できない人がいる限り、譲る人も穏やかな人も巻き込まれる。

 愛。
 奉仕。
 神。
 と言いながら、実践の厳しさに耐えられない人が他人を攻撃する。
 
 地震でひび割れた道路。土砂で封鎖された駅。上から踏みつけられたようにぺちゃんこになった家。同じ築40年でも倒れる家と安全だった家がある。


 日曜日、日経新聞を読んでいたら、夫がもっとも傷つく妻の言葉は「家にはお金がない。」だという。本当に必要なものはそうはないはずなのに、ぜいたく品、ブランドを漁りだしたらいくらあっても足りないだろう。よく聴く縁談の不満はお金のことが多い。健康で頭がいいのだから働けばいいのだというのだが、楽を少しでもしたいと思うらしい。結婚後に相手の家が倒産したとか実家から持ち出しが多いとかの不満が本人の人格より優先して「詐欺」に引っかかったように訴え裁判するような類だ。ものしか見てない!
 なぜか、人間の心がひどく低くなっていてそんな想いが災いを招いている気がする。
そんな私達にたいする神の警告が地震だ。永井荷風が関東大震災は神の怒りだったと書いた。
私達が弱いものを無視し、脇に追いやって生きてるときに思い出させるように起きる出来事。
心細さ、不便さ、そして悲しみが覆っている。

 昨日あった友人は離婚しているのだが、「結婚はセキュリティだ。」と言う。
結婚によって守られるものが多いと言う。
私は独身でいいと思って生きてきて忙しかったせいか、結婚しない選択も自立して心をコントロールして自由時間を生かせば素晴らしいのではないかと思う。いずれも失って知る安全なのかもしれない。

 地震で家屋や健康、人を失った人たちが前向きに希望を持ち生きていくことを祈る。

 私達の教訓。
 もののはかなさ。
 人間の分限を知る。
 自然をむやみに壊さないことだ。
 そして、
 神に祈る。
 これから、どうすればいいのか?
 私達が世界に目を向け、身近にも年寄りがいたら気をつかうこと。
 新潟の年寄りは東京の身内が引き取ってといいいたくなってしまう。

 愛の波動を育てる。
 神様が怒らなくてもいい波動だ。
 人間が皆で共存して倒れる家と倒れない家の格差をなくす努力をすることだ。

 1人500万の借金をかかえる赤字のある村では、住民がこれではいけないと立ち上がった。
有志が10万ずつ出資し、利子のでる事業を始めたという。そして、できる人から他所より人が来て貰える様に、放って置いた湧き水を飲みやすくし、無料の自然の湧き水を水汲みに車で他県より評判をきいてくる人を誘発したり努力を始めた。人が来れば、村の野菜も買って帰るかもしれない。村の財政の不届きを文句をゆうより改善の努力を始めた。

 これが大切なのではないだろうか?

 ユニセフとフィリピンのタラのライ村から寄付依頼があった。
アフリカの子供達のワクチンや学費、井戸が掘れるそうだ。
タラのライ村では子供達の学費や貧しい人の自立を助けている。
よく考えて私は両方に郵便局から少し痛い額のお金を送った。

 世界に一瞬一瞬起こる出来事に誠実に対応することは個人の力では知れてるが、
できることをし続けないとやはり人を動かせない。

 今日「百人一首」をある人から贈られた人は私がお会いしたことはない人だったが、
縁があったのだろういい話がたくさんできた。魂が喜んでいるというお話をされた。
「あなたはルルドの聖母を見た人のようなお役目があるのではないですか?」とおっしゃるので、私もルルドに行ったときからの話を話してしまった。

 人間の権威は知れている。
魂が神をしっかり見ているとき本当にしなくてはいけないことがわかるはず。
とにかく天を仰ぎ見ることだ。