July 24th, 2007

「チェ・ゲバラ」

 美しいチェ・ゲバラ!
 私は映画を観た時から、チェ・ゲバラの本を集めだした。
 「モータース・ダイアリー」だっただろうか?

 医学生の時に友と南米を駆け回ったゲバラは貧しい人たち、ライで苦しんでいる人たち、無知な人民に会った。ブエノスアイレス大学の医学部を出てから、からは貧しい人を助けることを自分の使命、人生の目標にした。1967年10月8日にボリビア大統領バリエンストの命で機銃掃射によりチェ・ゲバラは処刑された。赤いキリストと呼ばれる人。

 1928年、7月14日生まれ。アルゼンチンのロサリオ・ダ・フェに生まれる。
     裕福な家に生まれるが喘息のため7歳くらいから学校へ行けず、母親が自宅で教える。
 1945年、医学部に入学。
 1951年12月、アルベルト・グラナドとともにバイクで南アメリカの旅へ。チリー、ペルー、コロンビア。
 1952年7月、べレズエラに着く。
 1952年11月、アルゼンチンで医学の資格を取得。
 1953年7月、友人カルロス・フェレールとともに、再び南米の旅に出る。ボリビア、エクアドル、グアテマラ。グアテマラでペルー人の亡命者イルダ・ガデアに合う。後に結婚。
 1954年9月、メキシコに着く。病院での仕事に就く。
 1955年7月、エルネスト〈チェ・ゲバラ〉カストロに会う。キューバのバティスタ独裁政権の反乱軍の軍医になる。
 1956年2月、長女イルディア誕生。
 1956年6月、仲間のキューバ人亡命者とともに1ヶ月余り刑務所に拘留される。
 1956年5月、イルダと離婚。
 1959年6月、ゲリラ戦士アレイダ・マルチと結婚。キューバ大使としてアフリカ、アジアに。
 1960年10月、ソ連、中国歴訪。
 1961年2月、工業相に。
 1961年4月、バティスタ支持者からなる傭兵1500人がキューバに上陸するが、すぐ捕虜に。
 1961年8月、ウルグアイのプンタ・デル・エステで開催された米州機構会議で反帝国主義の演説。
 1963年7月、ベン・ベラ政権のアルジェリアを訪問。
 1964年12月、ニューヨークの国連総会でラテン・アメリカの解放について演説。
 1965年1月、アフリカ諸国歴訪。
 1965年10月3日、カストロ、チェへの別れの手紙を公で読む。
 1966年11月、革命ゲバラを率いる為、ボリビアに向かう。
 1967年10月8日、チェ・ゲバラ捕らえられ、尋問する。質問にいっさい口を閉ざす。
 1967年、10月9日、処刑。