August 16th, 2007

「マリアのメッセージ」と地上の常識についての考察


昨日は、家の大掃除の予定だったのだが、みぃちゃんからのメールで朋ちゃんが銀座のニューメルサで作品を出品している最後の日なのでご一緒に見ましょうとのお誘いでお出かけだった。
みぃちゃんも朋ちゃんも私のこの7月終わったばかりの「文月のメッセージグループ展」に来てもらったばかりだもの。勿論行きますよ!それが私の常識!
 滅多に行かないニューメルサに着いて,エスカレーターに乗ると、右側に竹の籠ショップの出展が。青山のお店らしい!そこに朋ちゃんの卵が二個、ありました。じっくり見ると他のものも面白いものばかりです。私は竹のちいさな丸い円柱型の鳥籠を買いました。私も自分で編んだ夏の貝が5個載ってるバスケットを持ってお出かけでした。黒にピンクの薔薇のシナ服にピンクのガラスでできた蝶々のブローチでした。久しぶりにヒール・サンダルを履きました!

 本をたくさん出されている陶芸アーティストでもあり絵かきさんでもある男の方に朋ちゃんは代官山の彼の個展で会って、感動しお教えを乞うために今日来て貰ったとのこと。みぃちゃんと私は別のお話もあったのだけれども男の人も御一緒でもいいということで4人で軽井沢本店のおいしい珈琲屋さんに行きました。
 彼も私も名刺を持たないタイプで後でアドレス交換することで今も名は知らず。
しかし、たくさんの仕事をしている京都の方で、4年前から単身赴任で東京でたくさんの本を出す仕事や陶芸やお地蔵さんや招き猫の絵を描いているらしい。

 朋ちゃんは30代後半の大学院生で今年のテーマは絵で自立することで何がそのために大切か教えを聴くために彼を呼んだらしい。
 私も絵本を出したり、陶芸やバスケットを編んでるので、似たようなところがあり、まずお互いの作品を見せあった。折り紙の本や算数のドリルなどを1冊纏めて制作するらしい。イラストもレイアウトもカバーデザインもする器用な方だ。猫とお地蔵さんの葉書サイズの絵もみせてくれて「猫」をみぃちゃんに、「お地蔵さん」を私にプラスティックの額(無印)入れでくださった。

 話は経費の節約から例をあげて始まった。
 卵と自称する朋ちゃんにはもっとも必要なものだ!
 100枚の葉書サイズの和紙が半端な裁断カットの耳であるという理由で100円。
 つまり少しでも節約が大事なこと!
 朋ちゃんはメモをしていた。
 私は画家の方とこうゆうお話はしないが、必要なことで実際にいつもしていることだ。
 それで、安いユザワヤで材料を買うのだが、それでも私は20%引きなのである。年間30万円以上の買い物をすると自動的にカードでそうゆう扱いがあるのだ。
 
 その〇〇さんと私の考えは似ていた。
 私は多くのものつくりアーティストたちに
「生活が苦しい。」「家がない。」「困ってる。」と作品を買えといわれたことがあり、
 その人とそれ以上バツの悪い状況でいるのがいたたまれないので、根負けして買ったことがあった。

 でも、心の中でいつも、どうして健康なんだから働かないのだろう?とか
 同情でお金をもらうのとアーティストとして好みで買った貰うのとずいぶん差があるなと考えていたのである。
 アメリカに居たときに、いろいろな奨学金がもらえる制度があったが、絵を見せて良かったら応援する制度で、「お金がない。」「お金がほしい。」だけでは貰えないのである。
しかし、日本でもアメリカでも、いいアーティストがいたら応援する人はたくさん居て、他人のほうから自発的に「こんなプログラムがあるよ!」とか「使って!」とか無料で学校に行けることはたくさんある。

 私はハーバート大学の1学期、無料で授業を受け、ボストン美術館付属学校で奨学金を1000ドル貰えたが、全部先方から行ってきたことだった。
 私は頼まれたボランティアは喜んで、無料で持ち出しで全部してきた。
小学校、中学校での折り紙ボランティアや正規の授業での百人一首や油絵の授業、大人の授業の墨絵や和紙創りの教授。張子や和綴じ本など。全部、ちゃんと帰国の際に人間国宝やその道のトップの人に教えをこいて、アメリカでもその方のビデオを見せて紹介、教授した。

 交通費も材料も自腹切ったよ。だって、日本人が日本文化を紹介するのは誇りですもの。
それで、ハーバートの学長ハウスの中で個展をするために年に3人しか選ぶことができないから、ぜひ応募するように言ってきた人が、締め切りや募集規定を伝える為に電話をくれ詳細を説明してくれ応募して個展を企画してくれたのだ。

 だから、日本に帰って「自分だけいい思いをしやがって!」って同じ画家仲間に言われたときは本当に驚いた!自分で個展をしたいと言ったかな?
銀座教会の画廊だって他の画廊だって「やってください。」と言ったからやったんですよ。
自分でたくさん或る画廊を歩き回って決めたのではない。頼まれたからですよ!

 だから、朋ちゃんの会った〇〇さんと久しぶりで楽な話ができた。
 絵かきが絵を売るのは当たり前。絵が売れないときはバイトをして働けばいい。
 同情で売るのはおかしい。
 売れないには理由がある。
 彼は価格が適正でないという言い方をした。
 
 朋ちゃんは街でいい教師に出会いましたね。

 彼は器用に折り紙でリップ(唇)や蝙蝠を折った。
 それを絵を買った人にプレゼントをするそうだ。
 付加価値をつけるのが彼のやり方!

 朋ちゃんはメモをとる。年内自立が成功するといいね!
  これから、お掃除隊にでかけるので後は帰ってから!
                            続く

 
  さて、お掃除隊から帰ってきたのが5時頃です。
  暑かったですよ。でも、気持ちいい汗が流せました。
  おたえちゃんも同じことを書こうと思っていたようですが。

 私はもう59歳なんですが、まだ59歳なんですが、
 今日になるまで、両親にお金の無心、おねだりをしたことがないのです。
 
 それで、知らない人が無心するのがとても驚きなのです。
 画廊に入って、気の行ったものが無いとき出ようとすると、怖い視線を感じいたたまれなくなって買ったことがあります。作者はあんなふうに自分の作品が売れたのは知らないでしょう。そして、自分の作品も嫌がる人に無理に押し付けられたかもしれません。

 絵は無くても困るものではありません。
 陶芸のオブジェも無くても誰でも生きていけるのです。
 そのようなものを作って生きようと決意したときから、誰でも人生の厳しさを感じるでしょうね。

 でも、好きなことをして生きる選択をした以上。
 好きでないことをして忍耐強く生きてる堅実な人から、
 何か援助してもらうのが当たり前だとは思ってはいけないと思います。

 せめて、負い目と感謝が必要だと思います。

 若いアーティストや同世代のアーティストに、
「買えよ!」と言われたこともあります。
 初めて会った人や、さほど親しくない人にそんな風に言われ、
本気で機嫌を悪くすると、場を濁してしまうのです。
だから、私は買いますよ。
でも、なかなか敬意や愛情がその作品には持てなくなるのです。
そこが辛いのです。

 私はかなり、貧乏なときに或る女性作家の陶芸作品を買ったことがありました。
そのときは、「この人の作品を買わないのは罪だ。」と思ったのです。
そうですね。とても高価でした。炭代が年に80万円とかかかると聞いてました。
一生懸命仕事をしている人でした。だから、応援したかったのかな?

 
 珈琲店がラスト・オーダーになって4人はその店を出ました。
 皆で、新橋まで歩き朋ちゃんと〇〇さんは、駅に向かい私とみぃちゃんは夕飯を一緒にするため、てんぷらの「天国」に入りました。夏野菜のてんぷらにご飯を頼みました。
みぃちゃんは「今日は聖母マリアの被昇天だからこんな本を持ってきました。」と差し出しました。
 1995年11月30日「マリアのメッセージ」著者アニー・カークウッド
 著者はアメリカの子供の母親でカトリック信者でない普通の人です。

 p9、
 聖母はなぜアニーを選んだというと「私と同じようにこどもの幸せを一番の考えているからです。-しかし、一番の理由は、神の真実を求めるあなたの純心さと動機の純粋さです。
そして、あなたを選んだのはどこの教会にも、どの宗教団体にも属してないからです。」

 私が心から語ることを書き留める人は、私ばかりでなく聖霊や神御自身によって選ばれた人で、希望と真の回帰のメッセージを伝えるのです。
その人が選ばれたのは、どんな見返りも求めてないからです。

「マリアのメッセージ」2

 前ページより続く。
 
  聖母マリアはアニーがどうして私なのかと抱いた疑問にこう応えます。

 「ユーゴスラビアの子供たちを選んだときと同様、あなたは慎重に選ばれました。
私があの子供たちに惹かれたのは、その無邪気さとまったく孤立した状態のためでした。
あなたはその反対でした。なぜなら、あなたは幼くもなく、かといって、それほど年を取っているわけでもなく、自分の言葉を大切にする年齢だからです。あなたには3人の子供があり、看護婦という立派な職があり、自己紹介もこのようにすればよいのです。」

 世界の人々に届くよう、私はさまざまな人を用いるつもりです。全ての人がカトリックというわけではありません。私色々な場所に姿を現します。私のメッセージを全ての人にとどけなければならないからです。
 宗教や文化の違いというものは表面的なもので、人々が考えるほどたいしたことではありません。
 自分の心や精神の中の願いや望みを見つめるように皆さんに伝えてください。
 自分の心や精神の中で行う礼拝が大切なのであり、教義や儀式ではありません。
 しかし、祈り、瞑想するために教会に行くことが役立つなら、是非そうしてください。
どんな姿勢でも言葉でも場所でも、祈ることができさえすればかまいません。ロザリオの祈りが役に立つのなら、ロザリオを使ってください。しかし、祈る場所や言葉やロザリオや教会が問題なのではありません。唯一の神との交わりこそ、最も大切なのです。p12

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私は昨晩、この本を明け方まで読みました。
まさに私への被昇天の祝日のプレゼントだったのだと思います。
みぃちゃん、ありがとうね。

 私の蚊帳教会もそのようなものでした。
 宗派も形も関係ないのです。
 自然の中の神と対話する必要を感じたのです。

 この本の中の聖母マリアの情報はカトリックのものとはずいぶん違いました。

 私はいつも、聖母マリアが処女懐胎とか幼子イエスは一人子とかはどうでもいいことだと思ってました。それより、聖母の愛は母が子を思う気持ちに尽きると思ってました。
それは、神のおつくりになった生命全部と言っていいでしょう。
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 私はみぃちゃんと常識について話しました。
 人間界のルールのようなものにです。
 普遍的なものへの約束事といってもいいでしょう。

 私達は誰でも、決して楽ではない日常生活を送っています。
 快適な生活を望めば望むほどルールが必要だと思います。
 そのルールが多少個人差があるかもしれません。
 しかし、皆が快適な生活をする権利があるのですから
脅かす存在にしては、やはりそれなりの忠告も必要だと思いました。

 たまたま、みぃちゃんも私の主婦です。
 私もみぃちゃんもそれぞれの主人から月々のものを戴き、やりくりしているわけです。

 私の家の場合、10日毎に銀行から一定額を振り込んでもらいます。
 もし、出かけたり留守の場合、家事をしなければその日にち分は私は戴かないのです。
 つまり、働かない場合はいただかないのです。
 その代わり、決められた以上のものも戴いたことはないのです。
 未だに給料額を知らないのですが、ボーナスも特別貰ったことはありません。

  自分のアート、自分の趣味、自分の交際費は全部自分の働いたお金でまかなっています。
 スタジオ代も教会やボランティアの寄付も全部自分の働いたお金で支払ってます。


 みぃちゃんと私はそうゆうところが似てました。
 主人はアートのお金を1円も負担したことはなく、
「ご主人がお金持ちで、いくらでも奥さんのアートにお金を出してると思った。」と出版社の社長に言われました。
「え~っ?家、貧乏ですよ。それに、私の働いたお金を家に入れろといわれこそすれ、応援してくれることはないです。」
 よそ様は知りませんが、他の女流アーティストもなかなか両立するのに大変な思いをしている人がほとんどです。ですから、それなりに努力をした方が両立をしているのだと思います。


聖母のメッセージは地震や噴火や異常気象が続き、霊性だけが人間を救うというものでした。今日もペルーや千葉で揺れたニュースが告げられました。世界中で暑さで人が死に、若い者が家の中で暑さで亡くなるニュースが新聞に載ってます。

 霊性と品格は似たようなものですね。
 祈って浄化されればされるほど、その方の人格は輝かしいものになるはずですから。

 私も未だ誇れる人格を持ち合わせてません。
 そして、祈りつつも災いに揺らぐ自分を感じます。

 「蚊帳教会」イヴェント。
 今後、続行していく場合の多くの反省がありました。
 あと、1週間遅かったら、雨のようでした。
 天はこれほど援けてくださったのに、人間である私達はまだ、祈りも
 霊性も磨きがかかってないのです。

 私は昨晩のみィちゃん、朋ちゃん、〇〇さん、今日のおたえさんとの会話の中に
いくつもの鍵を見つけました。
今日も「聖母のメッセージ」を再読したいと思います。