September 4th, 2007

おひさしぶりに自由時間!

朝早く、娘と姑がお出かけ!
ちょっと嬉しい自由時間の日が3日間もある。

 午前中はお洗濯、掃除、お風呂、朝食と昼食をあわせての肉まんを戴き1時から中国語のレッスン。今日の先生は台湾の大学で日本語と中国語の比較文学を習ったそうで凄く真面目で教育熱心。昨日、受付嬢からアンケートの書き込みを頼まれて、「語学の勉強を中途でやめる人が多い。」と聞いた。子供はかえって長く続くそうだ。それで、「世界中で仕事をしたいし、英語なんかはキープの為に週に1度、スピーキングを取っている。」という話になった。話の成り行きで、絵本2冊持っていった。「コノハナサクヤヒメ」「宇津保物語」。

 中国語の練習中に話が来年の北京個展になったのだが、先生は娘さんがニューヨークでデザインの勉強をしているそうで、娘さんに送って日本のことを勉強にするようにしたいと、「コノハナサクヤヒメ」の本を買った。ご主人は日本人なのだ。


 語学をいろいろやって覚えたことは必要なことは続けることだということ。
 自分は英語は大嫌いであったし、語学の才能があるのは思えないが、それでも世界中で個展をしたいという夢がある。

 パリで個展したときは37歳だった。小さな娘を抱いて10ヶ月の準備で個展に辿りつけ、一応作品も売れ、美術館で買い上げられたからまあまあだったと思う。しかし、フランス語では泣いた。20代の中ほどから始めたが貧乏絵描きで、お金を作り作りアテネフランスや上智大学の寮や研究室で学んだ。最後にはビザをとるため9時から3時までパリでレッスンをした。

 水道もガスも電話も拙いフランス語で引いたし、フランス社会で子連れの緊張でも毎日へとへとになった。でも、個展の始まる前日までフランス学校に通い何だか楽しくて楽しくて仕方がなかった。フランス人の画家達がお家に呼んでくれたり、子連れの旅行でも冗談が言えたりもした。これが私のスタンダードだ。

 だから、中国で個展ができるときは中国人の画家とも中国語で話したいし、専門家とも芸術論を話したいよね。例え、発音に問題があってもね。

 3時になって、3時間の授業が終わると「コモ エスタス?」とお久しぶりのスペイン語の先生の声。ペルー人の女の先生。小柄で可愛らしいやはりお嬢さんがいる人だ。受付嬢にも絵本を見せて、「本当に暇とお金と頭がついていったらアラビア語だってやりたいくらい!」
「アラビア語もあるんですよ!」「でも、今は駄目!頭がスペイン語と中国語で一杯で、それもごちゃごちゃしているもの。」

 私は夕飯を中国料理にした。お八つはプリンとイチジクと桃。
 帰って、洗濯機が終わっていたので次のものをいれ、食洗機にも別のものをいれてボタンを押した。日常生活は主婦が70%くらいで、片付けても片付けても終わりがない。そして、評価されない仕事。「働けど働けど楽にならず。」
 それでも、ひと通りの家事を済ませば、主人が帰るもでは至福の自由時間だ。

 中国語に2時間。読書に2時間。「世界遺産」中国編のビデオを観よう!

 台湾の先生が言うには、台湾では子どもを月曜日から土曜日まで預かって呉れる保育園があり、月10万円くらいかかるが男性と同じ仕事ができるという。中国の近代化は男女平等なのだ。日本でも有能なごく一部の女性はそうでしょうけれど子供が小さいときはなかなか両立は大変だ。まして、霞を食べて生きている画家のお仕事は無理でしょう?台湾事情を聞いたら、
台湾でも絵ではたいてい大学や小学校で教えている人が多いとのこと。
 先生は墨絵が大好きとのことで私の絵本をとても愛でてくれたわけだ。

 自由時間の幸福は好きなフランスのオーで・コロンを振りかけて。
 自分のサマー用のシーツを毎日洗いたてをソファーに広げ、
 寝転びながら始める。
 氷を入れた中国茶か珈琲をテーブルに置いて
 楽なルーズ・ワンピースを着て
 足を片方の肘掛に伸ばすと誰もいないので
 お行儀も気にしないで自由の限り

 夏のディスカウントの中国語レッスンが木曜日に終わるけれど、次のレベル2をまたここで続ける費用は私にはない。一人で復習をして、要らぬ本でも売ろうなどと考える。

 自分は変わらないな!
 いつも語学をギリギリの費用で挑みながらも
 フリーの宿命で仕事が入れば休んでしまう。
 女性にしては衣服を持ってないほうだと思う。
 いつもこんな風だった。
 余るなかでやってはいなかった。
 節約の方法としては?
 請求書など書いてみようと思う。
 

 神様は公平だ。
 こんなにやっとの思いで作るお金なので語学を勉強できる時間は幸せ!
 そうね。
 きっと、若い時は親御さんが授業料出してくれるから続かないのではないかと思う。
 私もそうだったかもしれない。
 中学や高校で親に頼めば出してくれたかもしれない塾の授業料も行こうとはしなかった。 
 娘はなんともったいないことをしているのだと思うけれど、私もああだった。
 案外、与えられたものには気がつかないものだ。

 そろそろ、洗濯機が止まる。
 今度は入院中の母の汚れ物だ。
 こうして、日が暮れ、年を取っていく。
 誰でも同じようにね

夢開く!国際的アーティスト?

「宇津保物語の原画」を見る人たち。
画家のお家に招待された。37歳の私。若かったですね。娘と母と姑。「パリ個展のポスター」の前で。
 今、友からの電話があった。お嬢さんがパリのホームステイ先で「宇津保物語」「コノハナサクヤヒメ」の本をお家の方に渡して、大変喜ばれ是非、美術館に行って「百人一首」を見たいというので一緒に行きそうだという。それで、いろいろ質問の電話だった。

 いいなあ。パリかあ。
 あの2歳の娘を連れてのパリは私の人生で1番頑張ったときだ。子は2歳で大変だったが、絵描きで生きていく以上、パリで認められなかったら希望を失いそうだったので、死ぬ気で個展をした。私は37歳だった。怖いもの知らずだったが2歳の娘はいつも抱っこと言って歩かなかったから肉体疲労は相当なものだった。何のコネもなくただ運だけを頼りに生きた。
懐かしいなあ。あの時展示した宇津保物語の原画は、1昨年に本になった。そして、「宇津保物語」に9月16日と17日に吉岡孝悦さんが作曲してくれる。ビデオを作ってくれるからパリに郵送してみようか?


今、おたえちゃんの紹介してくれた山田さんがナレーターのお稽古をしてくれている。15枚の絵をプロジェクターで投影して30秒づつ物語をナレーションしてくれるのだが、原文のままでは無理なので2度にわたって縮小した。それで、更にわかりやすい物語になった。
1枚づつ秒数を計って山田さんも読む速度を速めたり遅くしたり大変な労苦のようだ。やはり、人間は誠実が一番大事!今までの経験でも素人かプロであるかより人間の心がけのほうが仕事のできがいいことがわかった。ひたむきな琴への情熱と日々の訓練の尊さ!この物語を語る人はこうでなければ!山田さん、ありがとう。頑張ってね!


 私はなんとなく疲れていて、すっかり忘れていたパリだが、元気を出さなければと思った。