September 7th, 2007

人生の厳しさ!仕事だって!結婚だって!

 20歳の頃、ヒルティの「幸福論」から抜き取って書いた。「人生は厳粛」という言葉

 人生は厳しい!
 本当に私達は目に見えないものにどれだけ守られてるか?
 例えば両親。

 私は自分で絵の道で生きていこうと思った時から現実社会の多くの敵と戦った。
 既成概念もそのひとつ。
 私は娘なのに、いつも汚い格好で出かけるので母親は嫌って中国の「紅衛兵」のようだと言ってました。
 美しくしていると趣味で絵を描いてると思われるので、自分なりに本気さを見せていたのです。両親とも芸術家はやくざのような生活をしているの信用してませんでした。とくに男は女を食い物にするような一般社会の人間からははみ出してるとして、そんな人たちと一緒にはさせられないと女子美術のデザイン科に限ってしか受験させてくれませんでした。
 綺麗な着物を見せてくれたり、デパートに洋服を見に行く時間が私にはくだらない時間だと思えたので、断ってある日、妹から「思いやりがない。」といわれました。

 生きることの厳しさはここです。
 自分の信念を生きれば、娘をいいところにお嫁に出したいと思ってる両親を傷つけるのです。
 でも、このとき「自分の幸福は神にあり」と思ってましたので、親より、神をとりました。そのため、家庭は修羅場でした。アーティストとの懇談や演劇を観て遅くなれば、家は内側から鍵をかけられいれてくれませんでした。それで、朝まで庭で過ごすことはザラでした。
母は大変強いわがままな性格だったので、自分と違う価値観はないのです。どんな電話も私に伝えず、機嫌が悪ければ電話相手を罵ることも傷つけることも容赦しません。そのため、苦情が殺到して、いつも母親の事で謝って歩いてました。父親はビジネスマンですので、結果主義です。結果を出さないと評価しないです。「頑張った。」とか「運が悪かった。」と弁明する子はひとりもいないし、誰も親に意見するとか逆らうとかはありません。絶対的なのです。

 しかし、これはかなりいい教育だったと今思います。
 私は1日も早く自立することが課題で、早く絵で食べていけるようになりたいと思いました。それで、学生のときからよく働きましたし、卒業してからすぐにフリーのデザイナーになりました。そして、知ったのは世の中の厳しさです。学生アルバイトの比ではありません。
学校出たての若い娘ですから、向こうから見れば甘ちゃんです。増して、企業のバックがないのですから、安く使おうとかできればタダで働かそうとか思うらしいですよ。それで、辛酸を舐めたのですが、逆に誰でもできる仕事をしたくないと思っていたのですから、何もかもが経験として面白く怖いもの知らずの20代でした。おまけに神のこともあったので、私なりに理想主義者として納得のいく仕事をしたいとずいぶん厳しいものを架していたのです。

 バブルの只中。世にはエネルギーが満ち勇気あるアーティストが時代の舞台に登場してました。それは憧れでもあり、時代は作られるものだと日々学んだものです。決して裕福ではなかったですが、やはり念力のように形になるまでやり続ける性癖がありましたから、次々と発展していきました。やはり、親に無視されたり妨害されたのが良かったです。
 初めての個展で英字新聞に写真入りの記事が載った時に、父親が欲しいといったので、「困ったときに応援してくれないのだから、売ってあげる。」と2万円で売りつけましたが、喜んで買いました。若い時は親も若かったので、しっかり応戦してきて面白かったです。両親は極最近に個展に来るようになりましたが、20代のときは文字通り1円も貰ったことはありませんでした。ブック・オフのない時代で読んだ本を古本屋に片っ端から売って日々の自由業を支えてました。ですから、よそ様のお家が親掛かりで芸術家を応援していたりするのを見ると不思議でしたね。私はアーティストってもっとも過酷な仕事だと今も思ってますから。

 30代になったら、恩返しでした。好きなことをしてきたから、少し世に返そうと思いました。それで、浄化塾をして絵を休んでましたね。二つは無理です。結婚も私には縁がないと思ってました。ですから色気なしです。それも良かったんですね。道を誤らないですみましたから。

 結婚してからも貧乏でした。でも、それはどうでもいいことでしたね。
しかし、主人には変わっていただきました。やはりしっかり働いて生活費を稼ぐのは基礎ですもの。世の中の厳しさを知って変わりましたよ!

 鬼姑とも認め合う中です。主人の文句は全て訴え、「製造元の責任を持っていただかないと。」と思ってます。そういえば大姑はお世辞で「あなたほどの素敵な方がよく、こんな孫のところに来てくれましたね。」と言ってくれたので、「騙されたんです!」と返事したときは、あんぐりとされてました。孫の不出来に死んでも死にきれないとおっしゃっていたので、「私のお任せあれ。」と使命感に燃えたものです。安心して?帰天されました。
それで、我が家はいつの間にか人並みの生活ができ娘以外が1人前になりました。これはまだ不出来です。

 ここまで生きてきて思うのは、どの道も厳しいということです。
 手抜かりあればすぐ落ちる。すぐ壊れる。すぐ失うのです。
 絵の道も相手にされないときもある。
 辛いけれど、徹底的に自分を傷めて傷ついたほうがいいのです。
 ごまかして、他人のせいや運のせいにすると伸びないのです。
 家族が皆は幸せの花を咲かせるのには知恵も努力もやさしさもいる。
 しかし、一人が不幸であったら家族は幸せとはいえない厳しい現実。
 そのためには折れなければいけないし、絵も捨てていいのです。
 余力があったら、神の道です。
 地上に溢れる不幸な人のためにすることは山のようにある。
 そのために力は合ったほうがいいのです。
 困ってる人にはお説教よりパンです。
 おなかが膨らんでからチクリチクリ言ったほうが親切です。

 今日の最後の中国語のクラスで
「中国は60%が農民だけど、義務教育だけど子供達は学校に行かないで働いている。
税金も厳しいし本当に気の毒だ。」と先生。
「国はなにもしないの?」
「何も、教科書も無料でないし、何の援助もしない。」
「本当に幸福な人は少ないのよ。」
 先生は大学生のお嬢さんのいる美しい華奢な人で、四方山話になってしまうのだけれど
「本当に。幸福な人は少ないのよ。」という言葉が余韻のように私に残った。

 風が強く、私の頂き物の傘はオチョコになって壊れて終った。
家に帰ると、台湾の先生からメールが入っていて「自分が台湾にいたとき4つの台風があり、自分が日本に着いたとき、後ろから台風を連れてきてしまったようです。今夜の中国語クラスはなしです。」とあった。それで、私は週刊誌をよく読んで、繕い物や洗濯をした。明日から主人が台湾でラッキーと思ったものの、姑と娘が帰ってくるのである。神様は楽をさせない。
必ず次の仕事をくれるんですよね。でも、その厳しい人生が私は好きです。やりがいありますもの!

 

すぴりちゅある詐欺と裸の王様!

 いつまでたってもスピリチュアルなものへの信用はなかなか育たない。
なぜなのだろう?
本物もあるのに!

 多くの聖人や愛の体現者、マザーテレサとかガンジーとかキング牧師は素晴らしい。
チェ・ゲバラとかジャンヌ・ダルクとかいつまでも私達に訴える愛のメッセージもすてきだ。

でも、そんな真似事をすると現実の不信感にかえって遠のくことがたくさんある。

 目に見えないものを信じて愛を実践する当人は問題ない。
弱さと闘い謙遜に自分の否を認めながら、やるだけのことをして死んでいく人達。

 しかし、知れば知るほど、現場で生き聖人の写真やヴィデオを撮影する人たちが愛より功名心だったり、お金儲けだったりしているのも現実。つまり、彼らは本当に愛の体現者を尊敬するよりは、安心して名の売れるカメラマンになれたりだったり本を出したりの野望があったりする。そして、その中で小競り合い。中傷、やっかみがあるという。

 マザーは「わざわざ、インドに来なくても日本の皆さんの身近にいる人に愛を伝えてください。」とおっしゃったが、人間はなかなか評価されない愛の行為はしないようだ。

 言葉って怖い!綺麗なことを言えてしまうもの。でも、行動が伴わないのはどうでしょう?

 人が困っている時に援ける人が本当にいい人だと思うけれど、イエスさまは「良きサマリア人」の譬え話で、嫌われてる職業の方であろうと嫌われてる人種の方であろうと困ってる人のために時間や労力やお金を割いた人を称えていらっしゃる。

 私はよく贅沢な人を見る。何万円の食事をする人達。でも、その人が一生懸命働いたお金で食べることが趣味で自腹を切って食べるなら、私は誰にでも責める権利はないと思う

 しかし、人に驕らす人いますよ。おねだりでね。他人のお金で贅沢するのが自分が偉くなったと思っている人。私は若い能の先生が「何百万円出して、舞台で舞わせてください。」とおねだりじみたことを言ったときにぎょっとしました。それで、私は長期お休みなんです。確かに、「京都から出て、東京でお稽古場が欲しい。東京に進出しないと成功できない。」と言ってると聞いて、友人を誘って最低4人いれば東京に新幹線で通えるというので、東京のお稽古場を作ることに協力しました。でもね。何百万を出すほど応援したくはないですよね。第一、私に何百万円はないです。日本文化を応援したいとは思いますよ。でも、何で、すぐ特権階級になるのかわからないんです。

 そんなことはたくさんありました。そのために皆、自分で汗を流さないで他人から何百万もただで出してもらおうと思えるの不思議でした。宗教家も福祉家も医者も教育者も袖を引っ張って「金もちを紹介してくださいよ。寄付を集めてくださいよ。」と言うのです
「なぜ?」

「困ってる人を助けるために!」
「貧しい人を助けるために!」
「差別されてきたんです!」
「辛い思いをしてきたんです!」

 それで、朝から晩まで休まず働いている人から巻き上げるのを正当化しているようなんです。

 貧しい人を助けたかったら、自分の働いたお金で貧しい人を援けたらどうでしょう?
 困っている人を助けたかったら、自分で困っている人のためにやれることがあるはずです。
 差別されてきたんなら、差別しないことです。
 辛い思いをしてきたら辛い思いを他人にさせない努力をするしか仕方がないではないですか?

 働くときは、お金を払う立場の人に満足してもらうべきです。
 浅見ソロンさんも小林正観さんも「給料の3倍は働くべきだ。」と書いてます。

 「あなたのおかげで儲かっちゃったわ。」とよく言われました。
 私はそれで、運を買ったと今は思います。

 同情心をあおり、ただ働きさせた人たちのお店は皆、倒産しました。
 凄いですね。ただひとつの例外もなくです。

 自分は凄いと法外な請求書を出す人たちは怖さを知らないんです。
 お金ってとても怖いですよ。
 最悪は命を失う代償を払うそうです。
 宝籤を当たった人の多くは働くことを忘れ人生を誤るそうです。
 ただほど怖いものはないのです。

 目に見えないもので食べてるスピリチュアル・ワールドの人たちを見ていると、常識がないのですね。かってに霊格をランキングして色々な試みを施してお礼を請求するようですが、
幸福な人が少なくて驚きます。そんなに他人を高めて幸福にしたら、施している人が不幸になるわけないんです。占いはありとあらゆるものがあります。どの角度から100%いい人はいません。それで、追っかけだしたら、お金も精神も疲れてくるのです。ですから、遊び心までがマナー。そのためにお財布を空にさせる人は偽者。

 私は自分でできる範囲の寄付を少ししますが、それは運気を悪くしないためもあるんです。

 裸の王様が多いです。
 自分は普通の人だと思っていると、安全だと思います。
 自分は特別で特権的な暮らしや優遇される権利があると思うと、裸の王様であることが皆に知れるまで神さまに恥をかかされます。

 誰にでもできることをミラクルと言ったら怖いですね。
 適正価格というのがあるそうですから、材料の3倍くらいまでが良心的で30倍、300倍
で売っているとしたら、もはや詐欺だと私は思います。
霊感商法というのがあったそうですが、今でも形を変えてやっている人っていますね。
イエス様は、奇蹟を起こして、病人や貧しい人をお助けになったけれど収入を得たとは記述がないですね。聖書に、「浄い。」といってお金に走ったり、人を騙したらたちまちのうちに倒れることになりそうです。

 自分は聖なるものが本当に好きなので、聖なる物を偽って使う人、お金儲けする人、好きになれなくて苦しいです。