September 8th, 2007

聖母のお誕生日!




 今日は聖母マリアのお誕生日である。
 人間の罪深さをのシンボルとして表現される原罪のイブに比して、聖母マリアは無原罪の御宿りといわれる。つまり、イエス様を宿すに相応しい罪のない方だといわれる。それゆえに、カトリックでは崇敬を受けて、祈りは聖母の薔薇の冠を編む「ロザリオの祈り」や天使が受胎を告知したときの賛美も「めでたし」と呼ばれ、とても大事な祈りとされている。

 聖母マリアへの祈り

 恵みあふれる聖マリア、
 主はあなたとともにおられます。
 主はあなたを選び、祝福し、
 あなたの子イエスも祝福されました。
 神の母聖マリア、罪深いわたしたちのために、
 今の、死を迎えるときも祈ってください。アーメン。

 聖母マリアの祈りが有効だとされるのは、罪がないお方だからだ。
 聖書には義人の祈りを聞き入れられるとある。
 逆に義人でない方(エゴイスティックな祈り)は聞き入れてくれないようだ。

 コノハナサクヤヒメを検索すると、姉のイワナガヒメを選ばなかったニニギノミコトは人間の原罪だという表現があった。美しいコノハナサクヤヒメと醜いイワナガヒメを父親から差し出されて「美しい方だけを娶ります。」と言った。
これは、人間性の問題なのであろう。「いい方だけをとる。」「美味しいものだけをとる。
「いいおもいだけをしたい。」「嫌なことはしたくない。」「嫌なことは他の人にさせたい。」「嫌なことは弱い人におしつけたい。」
そんな考えが奴隷船や貧困な路上の人を作ったのだ。
確かに原罪である。

 美しいものはなぜ好まれるのか?
 昨日読んだ「婦人公論」に、綺麗のために努力していると運気が上がるとあった。
 小林正観さんによると、神様は美しい人が好き、次に心の美しい人、最後に身の回りを美しくする人とある。そして、トイレ掃除を誰でもできるもっとも効果的なものだと奨励している。

 どんな物語も美しい人は気立てが良くて、醜い人に虐められても最後に幸せになるという。

 子供の頃から、神様も罪作りなことをなさると思ったものだ。

 どうして、物語は「美しい人もそうでない人もお互いを尊敬しあい互いのいいところのみ見て幸せに暮らしました。」とはしなかったのだろう?

 聖母マリアは大工の奥さん。ヨセフは箱などの小物を作る人だったようだ。
 それは素敵ですね。きっと、手仕事が丁寧で芳しい香りがして家中に香っていたでしょうね。小さなイエスに木の玩具を作ってくれたかもしれない。
そして、イエスは父親の手がかんなを当てる姿や綺麗な椅子などが組み立てられるのを見て、少しずつ、順を追って作り上げることの尊さを学んだでしょうね。

 聖母は絶世の美女だったでしょうか?
 感じのいい素朴な方だったでしょうが、振り返るほどの美人だったかどうかはわかりません。むしろ、気が清らかで、そばに寄っていたいと思われる方だったのではないでしょうか?

 「婦人公論」には美容整形手術の体験者の手記が2編ありました。目を二重にしたようです。世の中がその人を見る目が変わり、自信がもてるものの、人には知られたくないそうです。手術を知ってる人の中傷で傷ついたり離婚したりしてました。

 最近、山口小夜子さんという日本人として有数の国際的なモデルさんが急死したと記事がありました。57歳で急性肺炎で死後2日後に発見されたようです。お一人でお住みだったようです。日本女性の美しさを世界に認めさせた初めての方のようでした。個性的ですが美に献身したといわれるような生き方のようです。

 人間は公平なのは美しい人も美しくない人も同じように亡くなり同じように幸福も不幸もあることだと思います。

 私には美醜のことを言うのは悪いという観念がありました。
 やはり、それぞれの美しさを見つけるのがマナーだと思うのです。

 最近、ある方に「品良く。」の意味がわからないと質問されました。
 「女性の品格」という本が売れてるようです。
 「人間の品性」というのはもう少しわかりやすい表現だと思います。

 私は乱暴な言葉の人も多少のお行儀の悪さも気にならないほうです。

 でも、品というのは確かに存在しています。初めて会ったかたでも敬語が出てくる人をなんとなく軽く扱ってしまう人との差。どうしてでしょうか?品のいい人は大事にされるし、逆に下品というと低い評価をされがちです。
言葉遣いでしょうか?
身の振る舞いでしょうか?
生き方でしょうか?
「品よく。」とは?


日本舞踊やお茶やお花のお稽古をして良かったと思います。
 色々、学べます。
 最初に扇を前にして、お辞儀をする。襖の開け方、閉め方にも理由がある。
 お茶も器や花や軸を愛でる。お客様を迎える準備のためにどれほど労をおり心配りをされたかがわかることは大事だとおもいます。季節の絵や字のある書画を愛でるときに、教養が出てしまいます。そのためにお庭に季節の花を植えるのです。花1厘挿しても、どれだけの心くばりがされているか?お金の扱い方にも品性が出てしまう。放り投げたりしてはいけないのです。

 品は大事かもしれません。
 而立書房から本を出版しているのは、宮永社長が下品ではないからです。
 下品とはポルノやお金儲けの本を売るとかなどを言ってるのではありません。
 私は六本木の森ビルの美術品ショップで本を購入し、在庫のいくつかを選んで電話で注文しました。個人ですから5冊くらいだったと思いました。でも、その電話の応対や郵送されていた本と一緒に入っていた封書の手紙が実に品性を感じるものだったんです。
そして、個展のときに持ってきてくださったナポリの哲学者の写真集も「サロン・デ・縷衣香」ができたときに下さった花束も「マリア・コード」の出版のときに持って来てくださった夫婦箸も気配りのあるものでいちいち人に尋ねたりなさるようです。そして、塾生達に「縷衣香さんのこと応援頼むよ。」と発言したり、善を感じたのです。

 品は善である。
 品は他人を批判しない。
 (他人をそのまま認めるのです。)
 品は他人に恥をかかせない。
 (自分が背負ったことを言わない)
 品は合理的である。
 (欲を出さないことです。)
 品は平和である。
 (争わないことです。)

 育ちは選べないかもしれません。でも、心がければ品は良くできるのです。

 私は育ちのいい多くの友人がいますが、エレガントですよ。
 ある年齢になったら、多少のエレガントさは必要ですよね。
 「自分が。自分が。」というのは品がないです。
 ですけれど、自分が主人公でいい場所では皆があなたの意見を聞きたいのですから「自分が。」でいいのです。
 口に出さなくても、人の美しいところがたくさん見えてるときは品性が上がっているとき。
 逆に、他人の悪口ばかり言い、欠点ばかり見えるときは品性が下がっているとき。

 人間は誰でも、品性が上がったり下がったりです。
 私がこうありたいと思う利他主義は品性を最もあげる生き方だと思います。

 整理すると、
 品をよくするには、
 自分中心にしない。
 他人に花を持たせ、他人の意向に忠実であること。自分はそっと舞台の裏にいれたら素敵ですね。
 やるだけやったら誇らない。忘れる。
 できれば、報酬も得ない。
 
 
 聖母マリアは結婚式に呼ばれ、お酒がなくなってお客様の前で準備がない家だと笑われないように、イエス様に告げるんですよね。
「お酒がなくなりました。」
それで、イエスさまは黙って、水を葡萄酒にされたんですよね。
公での初めての奇蹟は思いやりからされたようです。
マリア様は、「私が口をきいた。」とか「あらっ、お客様にお出しするワインを用意なさらなかったんですか?」ともおっしゃらなかったですよね。
イエス様やマリア様の品の良さがここからもうかがい知れます。
結婚式で皆が楽しく無事終えられることを考えられたんだと思います。
そして、それだけの思いやりをかけるに相応しい招待者だったのかもしれません。
「カナの結婚式」のシーンです。

 得するから寄っていく。
 得することだけ考える。
 お金にならないんならしない。
 これは、かなり品の悪い生き方だと思います。

 しかし、生身の人間はいつも赤面するようなはしたない行動を重ねている気がします。
 品のある老人を目指して私も心したいです。謝。

「ミリキタにの猫」と「コノハナサクヤヒメ」のご活躍!

「ミリキタニの猫」を観にいった。今日は初日だ。(週刊新潮のスクリーンから転載)
世界中の映画祭で賞を重ねつつあるドキュメンタリー映画。

1920年にカルフォにアで生まれた日系アメリカ人の路上画家。ジミー・ツトム・ミリキタニ。18歳まで母の故郷広島で学ぶ。兵学校に行くのを嫌い帰米。41年に、日本軍が真珠湾攻撃をしたときは姉一家とともにシアトルに住んでいた。
 ニューヨークでドキュメンタリー制作にかかわっていたリンダ・ハッテンドーフが、ソーホーの路上でダンボールなどの切れ端に絵を描いて売っている老人の路上画家に目をとめる。
9.11の日も老人はもくもくと絵を描いていた。テロの跡に、中近東の人に憎しみが高まるような背景の中でりンダは、自分のアパートに老人を誘い住まわせる。80代後半の老いた老人。
 世界で異人種間の優しさのようなものが求められたときに、老人が画家としてのプライドを失わず、絵と交換にお金を得ていることや、若い時に収容された日系人用のキャンプや広島の原爆で燃えるドームや爆破された貿易センターを描いているコマーシャリズムでないアーティストに敬意と理解をし、家を貰う権利や年金のような生活に必要なお金を政府に要求する手続きをする。長く会えなかった彼の姉も生存していることがわかり、詩人として本を出していることを知り、連絡をとり再会させるよう協力する。

 ドキュメント映像をリンダに頼んだのは誇り高い老人のミリキタニだ。三力谷と書いて源為朝の血の流れの侍の埃を持っている。彼はどんどん、誇りを取り戻し、頼まれて成人たちに墨絵を教えたりする。猫が好きで「ピース・キャッツ」という絵本を出している。


 日本人が平和を主張する為に、彼は生きてきたようでもあり、時代が来た感じだ。

 私の憧れのニューヨーク。
 移民の息子でしかも、収容所を経たり父親を早く失ったり、映像に見えないところで、過酷なことがたくさんあったと思う。
 しかし、彼は5歳のときから独学で絵を描き、東洋と西洋を結ぶ使命と気概を持って生きてきた。ドキュメンタリー作家のリンダも素晴らしい。ニューヨークっ子らしい狭いアパート。彼は居候しながら、どんどん誇りを取り戻す。第二次大戦中、昔いた日本人収容所にバスで行く。 アメリカで生まれながら戦争中に収容された。市民権も放棄し、アメリカ国籍も放棄した。ソーシャルセキュリティも要らないといった。それで、保険も選挙権も所有しなかった。

 絵を描きながら、貧しく朽ちていく人はザラだ。
 リンダに会って、広島と収容所と世界貿易センターの生き証人のミリキタニは、今世界中の平和を愛する人たちに知られ始め、この映画は実に多くの賞を貰っている。


 セブン アンド アイで8月に出たミリキタニの「ピース・キャッツ」の本は私の「コノハナサクヤヒメ」の前に紹介され、私の後に、10月に出版される「へミング・フジコ」さんの絵本が紹介されている。

 映画を5時10分から見て、7時前に終わり、本屋で絵本を探して彼の「ピース・キャッツ」を買った。


 家に帰り、娘と冷やし中華を戴いていたら北海道から電話!
 中身がびっしりのいい電話だった♪

 北海道の紀伊国屋がサイン本を20冊に、コノハナサクヤヒメに援けられているという
自然レストランでサイン本20冊。更に、来年の蚊帳イヴェントにいい場所があるとのこと!
シュタイナーの学校の敷地の「響きの森」とか!!!
伝えてくれたのはクレアゆうこさんの縁で知り合って、札幌であった風舞さん!
猫のお母さんのにゃンママと相談してこのような運びになったそうだ!

 今日は聖母マリアの祝日。聖母のお誕生日。彼女達は札幌にある大きな神社でお祈りをしたそうである。天では、聖母マリアとコノハナサクヤヒメが連結して、地球の浄化をお助けしてくださる。

 今日は友人二人に「マリンバ イン ギャラリー」のチケットを郵送したほか、「宇津保物語」を、20冊購入してくださった京都の画廊に「コノハナサクヤヒメ」を1冊郵送した。
やはり、買っていただく努力をしなければと思ったからだ。

 とっても、忙しい日だったけれど励ましの多い日でもありました。
 天の聖母マリア、コノハナサクヤヒメ!
 ありがとうございます。