September 15th, 2007

初心に帰る!


 昔の「聖母の騎士」が出てきました。1984年5月号です。
 私達の結婚式の後の写真が出て、主人が記事を書いてました。
 本当にこの頃の初々しさのなくなってしまった私達です。
 家庭環境が違い、生きる価値観の違う私達は同じ方向を見ているというより、それぞれ自由にって感じです。聞こえが悪ければ、勝手にしろでしょうか?

 私の娘が私達がラブラブだった頃の小学生時代の話をいつもせがんで、創作を織り込み毎日話して聞かせるのが日課でした。「毎日来るもんだから情におされて。」とか「あまりにも幼すぎてみる目がなくて失敗した。」とか言ってます。
 
 しかし、25年のシルバーがもしかしたら来年の春かも。の年になると、惰性とか寛容とかで繋がってるかもしれないです。二人ともあまりにも忙しく恋に生きる娘は毎日「もっと二人で話なさいよう。」とか「愛があるの?」とか干渉してきます。
 幸い彼は充実した日を送っていて、私も自分の仕事が後から後から続きます。
 私は1度も主人を裏切ったことはないですが、主人は誰にでもやさしいからなあ。
でも、裏切ったことは無いと思う。私はこれでも主人に悪いことはしないつもりだけど
通じてるかどうかはわからない。性格はあまりにも違うので。

 私は友人との会話で昨日、びっくりしたことがありました。
 富士山や私の実家でもよく見え、晴れた日は窓から富士山が見えるのは普通のことでした。
私の20代前半に出会った人に京橋の「此花画廊」経営者の池田清子さんという人がいました。
池田さんは猫が大好きで、画廊で猫を飼っていて猫の嫌いな画家には個展をさせないといってました。美人で育ちのいい独身の方でした。「ちいさな恋人」という可愛く洒落ていた4コマ漫画を描いていた漫画家のトシコ・ムトーを世にだした人でもあります。その池田さんが、易を私に日常的に見させるのが好きで、そこれあった村田陶さんが「日本経済新聞」の文化欄に私を紹介してくれたのでした。そのときは易カルタは商品化されてなかったと思うのですが、
記載された1月の新聞に私の記事の横に奥村土牛の「富士山」があったのでした。
 池田さんのこだわりでは、1月に土牛の「富士山」を右に出たのは(私の記事)とても幸運なことだと喜んでくれました。ふと、昨日気がつくと「此花(コノハナ)画廊」なんですよね。画廊の看板は川端康成が書いたとのことでした。
 それで、昨日、友人と私は「コノハナサクヤヒメ」をどう売ろうと考えていたものですから、それに気がついて鳥肌がたってしまいました。

 気がつかなかったけれど、コノハナサクヤヒメにもっと前から援助をうけていたんですね。

 更に嬉しいのはアマゾンでコノハナサクヤヒメって検索すると
1に、
「空とぶブッダ」正木高志 ゆっくり堂 600円

2に、
「コノハナサクヤヒメ」縷衣香 而立書房 1500円と消費税

 が出てくるんですよ!

 正木高志さんの本は「木を植える」とかが好きでドーム・パラダイスにプレゼントしましたが、アースデイで六ヶ所村でお見受けしました。浄化塾の佐藤君が前に「空飛ぶブッダ」を郵送してくれて最近ようやく読んでいたのですが、コノハナサクヤヒメが出てきて感性の近い方なのでびっくりしました。正木さんもアメリカ帰りなので感じるところがとても似てるので驚きでした。

 こうして、自分の仕事も出会いも神さま、マリアさま、コノハナサクヤヒメがはやくから
導いてくださったことを最近知りまして、とにかく自分なりに一生懸命励もうと思ったのです。