September 19th, 2007

出会いの神秘!

 今日、ヨシアさんに「蚊帳イヴェント」の写真を頼んだ時に、おまけに贈られたDVDをようやくみれた。
 私はヨシアさんの十字架の写真は好きだが、時々「?」という危惧を感じていた。
 4年前にルルドで青山圭秀博士ツアーでご一緒した縁だが、私もルルドには数回行ってとても敬虔な気持ちで関わってきていたので、ある種の軽さが気になっていたのだ。

 貧しい聖女ベルナデッタが、誘惑に負けることなく聖母マリアのメッセージを伝え人生を神に捧げた。その恵の恩恵が聖水として私達を心と肉体の病から癒し続ける。それで、関わる人が誰でもその聖女の清貧と謙虚さを忘れてはならないのだと思うのだ。

 「蚊帳教会」と「祈りの椅子」。それは、私のどこの場であっても想いによってルルドになるという考えの証明であった。私と浄化塾の生徒だった青年達は、現地の巡礼で「ファチマ」「アッシジ」「サン・ダミアーノ」「フォージア」「不思議のメダイの聖堂」「幼きイエズスのテレジアの故郷リジュー」など訪問を重ね、それこそ、神にしっかりたたきこまれた教えだった。

 だから、遊び半分とか儲け主義にみえるようなやり方には抵抗があったし、反発もあったのだ。

 それでも、ヨシアさんにはやはり導きがあったのだろう。私達が「蚊帳教会」を21世紀の償いに捧げ、9.11に壊れたものへの再生を7年目の8.11に託すイヴェントに、神は招いたのである。

 あの日、車の鍵を社内に入れたまま、ロックしたヨシアさんは帰ってきたのが午前2時だったので、私の求めていた人が寝ている姿の写真も朝日の写真も撮れなかった。私は寝ている気配のようなものを早朝か深夜の写真でほしかったのだ。私のデジタルカメラの乾電池は切れ、別のカメラスタッフとしてビデオ撮影と写真を撮って現場で1日中働いていた塾生だったIも、過労でダウンしてドームで休んでいたのだった。

 私は20代の終わりから30代の始めに浄化塾をやっていて、男の子を愛の鞭でしごいていたので、どうしても特にスピリチュアル的なレベルで間違ってると正さずにはいられないのである。ヨシアさんにも青山先生にも間違ってることは間違ってるという。なぜなら、それだけ大切なお役がある方達だと思うからだ。私もわざわざ、嫌われ役をやってるのは自分の意思ではないと断言できる。それが、多少とも多く聖母マリアに関わってきたものの使命だと思うのだ。それで、個人メールで厳しい問いかけもした。

 それで、なかなかCDが届かなかったことや、あまりにも多い食べ物の写真や、紫色になってる祈り椅子の写真に大変不満であった。プロとして大きくなってもらいたい私は事なかれ主義者ではない。それで、説明にお会いしたいというので、銀座で4時間あまり、写真説明を聞いた。それで、償いかどうか分からないが、ヨシアさんはたくさんの「おまけ」を用意してくれた。

富士山写真セット
アルバム帳(小型の赤い表紙のもので。ヨシアさんが選んで作った写真長)1冊。
面白いのはデジタルのCDを喫茶店で取り込めなくて空のままケースをくれたところである。
そして、ヨシアさんはアヴェ・マリアの音声の3分のDVDもプレゼントしてくれるということであった。

CDはなかなか届かなかったので「何だかなあ。」という気持ちがあった。
なんとなく話術でごまかされてる気がするのだ。
私は絵描きだから、求められなければ説明はしない。
それで、説明がこれほど必要な写真に少なからず疑問だったのだ。

 最近ようやく、CD2冊とおまけのDVD1冊が届いた。CDはいいのも悪いのもあり不満もある。
これは、プロフェッショナルとしての意見なのでヨシアさんの人格を否定するものではない。

 ようやく今日DVDを観る時間ができた。
 ヨシアさんはDVDをつくりながら涙が止まらなかったようだ。
 泣いて泣いて作ったという。
 ヨシアさんの撮った写真を動かしたり、アップにしてイタリア語の甘いアヴェ・マリアの歌が3分入っているものだ。
 イタリア語で歌われてるので、マリア様ありがとうの意味でグラチア・マリアと聴こえるので私の霊名に聴こえてしまう。本当に美しい歌声だ!

 このDVDは実にいいのだ!
 ヨシアさんの魂は涙によって相当浄化したようだ。
 そして、その浄化波動が繰り返し繰り返しエンドレスで流れるアヴェ・マリアの曲と映像で部屋まで澄みわたる。

 光と希望。そして愛。人間の優しさ。神への信頼。

 何かが彼の中で起こったのだ!
 それで、彼自身が数段高められたのを感じた。

 私は酷なことを要求しただろうか?
 否。
 彼がもっと信頼されよりよい仕事をするために
 より広く受けいられる為に確信を持っていったのだ。

 そして、このDVDを見た時、彼の中のわだかまりや汚れ(人間が誰もが持っている)がきれいになったのを感じた。

 彼も救われただろうが、私も救われたのだった。



銀座教会で武田京子さんの個展をしていると聞き、銀座まで出かけた。
北海道の武田さんはドーム・パラダイスのみおさんやヨシアさんに広島個展でお会いしているようだ。かわいい天使の作品や花の絵。写真があった。写真集やカードセットも出されている。お幸せな年配の女性。光の写真やメッセージを自然や花や雪の妖精の中に見出されて、お元気な方だ。私は「マリア・コード」を持っていたので、武田さんにプレゼントをした。

 受付で芳名帳にサインをしていると、どこかでお目にかかったお顔に釘付けになった。
天使ビルでヨシアさんの「最初の晩餐」で中森じゅあんさんの本を出された編集の人と紹介された方だった。彼女は本の編集を長くされてる人での個人出版の手伝いをしたり、武田さんとは北海道時代(彼女自身の)からのお知り合いとかだった。編集の彼女は「マリア・コード」を本屋さんで買って読まれていて、実に丁寧に記憶されているので嬉しかった。又、彼女の訪問した私の知らないブログで「コノハナサクヤヒメ」絵本の紹介があったと教えてくれた。

 私達は場所を変え、スピリチュアルの世界に潜む危険性について同意見な事に安堵した。
あまりにも裾野が広がりすぎ、質の悪いものもあるからだ。

 結論は誰にでも神からの働きはある。それは公平で誰が優れてるわけでも選ばれてるわけでもない。自分が特別だという考えは可笑しい。

 本人の気が付かないうちに霊に操られ、人生を棒に振る人がいる。
惜しいと思う。彼女は小学生のお子さんのお母さん。ふと、気が付くと、ドーム・パラダイスで中森じゅうあんさんの本を読んでいたので「じゅあんさんにお会いしたら、よろしくね。」と言って有楽町で別れた。私はビッグ・カメラでインクを2セット買った。

 家に帰って自分の名を検索したら、いろいろな図書館で「コノハナサクヤヒメ」が購入されているのがわかった。有難いことだ。誰かが注文してくれ、貸し出されていた。
目に見えない美しい方の行為がこうして、静かに世に出してくれている。
コノハナサクヤヒメも聖母マリアも多くの人に現れ、地の浄化を促されているようだ。

 帰って野菜と魚介類のてんぷらを娘と戴く。