September 22nd, 2007

夢を語る!

 今日は、父のところに持っていく寝具を買って、スタジオの家賃の支払いで銀行に寄ったりしながら、父の家に行った。
 暑い日で生成りの麻のパラソルで歩いていると汗がたらたら。

 ひととおり掃除を終えシーツ類を換えていると父が帰宅したので、この間のマリンバ・イン・ギャラリーで来てくれたのに冷房が利き過ぎていたのを詫びる。「病人はでなかったか?」「病人はでなかったけれど、皆から苦情があってずいぶん温度を上げたよう。」と私。

 親も88歳を過ぎると、来てくれるだけでも嬉しい。姑も現代音楽を聴きながら絵を鑑賞しなければと長く感じられた次の絵までの2分だったという。辛口の娘は、ピアニストはプロで凄い。マリンバ奏者はナルシスト。ママのナレーターつき「宇津保物語」は1分ごとに絵がかわったのと、人間の声が聴こえたのが良かったとのことである。

 石響の座長(オーナーさん)は、お世話になりそうだと帰ろうとすると、「あなたの宇津保はわかりやすかったのだが、他の絵はよくわからなかったので、今度来て説明してもらえないだろうか?」と言われる。山本ファミリーは素敵だ。奥さんの打つ上げの料理は最高だったし、お嬢さんも「宇津保」と「コノハナサクヤヒメ」を買ってくれて、幼稚園児にお話をきかせてくださるようだ。奥さんの挨拶は「私は吉岡さんにこきつかわれてます。」としおらしいものだった。アーティストの家族って大変だと思う。私も「宇津保」の原画を銀座教会に弟に運んでもらったときに、教会の人から「良く、お姉さんの為に働く弟さんですね。」といわれた。「なにも、かえせないんですけど。」「そうだと思いますよ。」でも、大変な荷物だったから、ナレーターの山田さんと教会の人も手伝ってくれてタクシーに乗せてくれた。私のように比較的に小ぶりの作品だってそうなのだ。大変な人のお世話でいつも生きてるわけだ。


 父は冷房が寒すぎたのと椅子が硬すぎたので、途中で帰ったのであったが元気だったので安心した。

 私は野尻湖の土地を買いたいことと、そこで自分の美術館を建てたいことを思い切って父に話した。
勿論、これから働いて建築費を作るのである。しかし、その土地は父は知っていて、「それはその辺で一番いい地だから、こんど見に行ってらっしゃい。」と10月にある野尻湖の「きのこ狩り」のパンフレットを呉れた。黒姫と妙高が見える高台の400坪。湖にも近い。歩いて10分くらい。子供の頃遊んだ思い出がある。土地が開発されないので、なんとか買える値段の土地なのだ。

 父は私の「コノハナサクヤヒメ」は今までの作品の中で一番いいという。
「1家に1冊あっていい本だ。」
「そうよね。日本人なら知ってていい話だものね。」
 親はありがたし。
それで、どれ出版してるかとかどのように売るとか質問があって、こちらの考えを話したら、非常に納得した。
父に認められると、上手く行きそうな感じである。
若い時は父は忙しかったし、私も父は素人だからと絵の話などしたこともないのだが、結構、楽しんでくれるので、そんな話ができるようになった。

 4時に上野の都美術館で待ち合わせ。「東京展」があり、案内状を戴いたのと親切なメールを2箇所から戴いたので行った。少し遅れたけど、会場は広いので松岩さんと高師さんが入り口で待っていてくれた。お二人とも出品してられるのである。その他にも知人の作品がたくさんあった。400人くらい出品しているそうで、松岩さんは今年は審査員だそうだ。偉ぶらないけど、大変なことだ。

 3階にわたって、各分野の仕事が展示してあるのでエレベーターで行った。手創り絵本の部屋もあって4年が狩りの大作もあった。時間がないので、全部読みきれないが、それぞれの思い入れが。

 お二人はイラストレーションの部に展示していた。
 私はなんとなく立体がいいなと思った。
 いいなと思った作品が賞を貰っていたから、感じることは一緒なのだろう。

 高師さんのは柔らかくて和的で、他の作品とは違っていて着たら気持ちのいいような優しい絵。
 松岩さんのは、精密でこの間、マリンバ奏者の吉岡さんがフルート奏者の買った松岩さんの絵を見て、フルートを吹いている妖精から音色が聴こえてきて、それが、「マリンバ・イン・ギャラリー」の始まりだと聞いた。
松岩さんの絵はメルヘンで物語で異国情緒もあるけど突然赤いポストが現れたりする不思議な絵。テンペラ絵だから、時間がかかるけれど丁寧に描かれてあちこちの画廊から展示要請があるよう。

 今度は10月15日からのグラナダで3人ともイメージの遊び展に参加。
 東京展の絵本の部にどうですかと誘われましたが、丁重にお断りを。
 やはり、時間には限度があるし、来年は9月に日本にいるかどうか?

 5時に終わるので、アメ横の近くの丸いのレストランのイタリア料理やで食事をする。
 ピッツア、スパゲティ、サラダをシェアして赤ワインを。
 マリンバ・イン・ギャラリーの打ち上げの話やそれぞれの夢や現実の生活を語る。

 夢はたくさん。
 やはりね。世界に進出したいね。
 国外で発表をすることに力をかけている人。
 そして、国内で人育てをしている人。

 松岩さんは「コノハナサクヤヒメ」を石響で買ってくれたので、
「どうだった?」と聞いてみた。
「宇津保物語より良かった?」
「力を抜いているのがいい。さらっと描いていてそれがいい。
 色がきれい。
 品がある。
 宇津保物語よりいい。」

 高師さんが、「絵本をいつも作っているのですか?」と聞いたので、
「一応、1年に1冊出版予定。同じ形式で英訳をつけて。」
「でも、来年は北京で個展する予定なので、秋に下見に行っていい感じだったら、北京向けの写真集を出版する予定なの。
 それは、『100個の棺桶と蚊帳教会と祈りの椅子』の写真集。翻訳つけてね。」

「大抵の人は構想は練るけど、実現しないよね。」と高師さん。
「う~ん。私って実現することしか考えないからなあ。」

 なんとなく皆元気がでてきた。
 私達、それぞれお母さんだったり、お父さんだったりの普通の人。

 「絵ってあってもなくてもいいもんだよな。」と松岩さん。
 「私もね。子育てが面白くて仕方が無いときは絵描かなかったし、子供が大きくなってあまりべったりだと、いけないように思って再開したのよね。」
 「早々。私もこの頃再開。」

 「でもね。私素人でもね。無名でもね。成功してない人でもね。絵書きさん大好きなの
  だから、応援したいよね。」
 「そう、応援したいよ。」
 「応援するの好きな人っているよね。
  それが、喜びの人って!」
 「それで、皆の夢がエネルギーになって大きな力になって広がるんだよね。」

 「さあ、家に帰って絵を描きたくなった!」
  と上野駅で別れたのでした。

まっすぐに!志高く!

 毎日、毎日やることがあることへの感謝。
 今朝は、電話で起こされた。
 自分の不摂生が悪いのだが、寝たのが4時40分頃だったので、9時くらいの電話でもキツイ。
 しかし、それも多分、神様から託された仕事なので誠実に対処。

 画壇の在り方についてのお話だった。
 例えば、団体展に入選してほっといたら入選止まりなのだけど、それなりのお礼をした人は今度賞が取れるという。そんなことに気が付かなかったという訴え。

 私はそうゆうこと大嫌い!
 人間の政治的力で一時に賞を取れても、その人がいなくなったら、別の時代になったら作品に力が無かったら消えてってしまう。ゴッホやアンリ・ルソーや権威に反対した画家は賞など取ってなかったが歴史に残った。

 私は人間の工作が好きではない。
 いいものはいいし、悪いものは悪い。
 それは感じればいいし、それだけのものだ。

 今日、電話を下さった方は神様を信じたことはなったが神様は本当にいるんだと思ったという。

 一生懸命やってれば、神さまが援けてくれる。

 きれいな純粋な気持ちでまっすぐに進んでいくときに神様は微笑む。

 私は何も持ってないに等しかったが、神様を信じていれば大丈夫だと思った。

 そんな体験話を電話でしたのだが、その人がそれがわかるようだった。

 私達、アーティストはただいい作品を作るだけに専念し、自分ができる善意をやるだけでいいと思う。

 絵の道に入ってよかったと思うのは、言葉は通じない世界だということ。

 作品に人柄、想いが出てしまう。

 残念ながら、嫉妬深い人が多い世界だ。集まって成功している人を中傷をする人たちがいる。

 でもね。私は中傷する人より中傷される人のほうが好きだな。

 自分のやるべきことをしっかりやる。そんな人は他人の中傷をする暇はないと思います

 夕方に同じ絵描き仲間の友からのメールが。それで、続きのような会話が始まった。

 人生って選べるのよね。どんな道も。

 嘘ついて、他人を腐して、自分がますます悪くなってしまう道も。

 あるがまま、正直にひたむきに生きる道も。


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 今日の新聞に、神戸の滝川高校の自殺した青年から恐喝未遂していた事件で同級生が逮捕されたと出ていた。

死んだ青年は携帯の名を見るように遺言した。生きて彼らを告発することは本当に難しいのだ。

私もずいぶん、そんな体験をした方だ。やはり、自分が正しくても恐喝されてることは言えないものだ。だか

ら、それを見通して恐喝したり、食い物にするわけ。勿論、苛めでね。劣等感や面白くない日常の鬱憤を晴ら

すのであろうか?

 例えば、貧しい新婚生活が始まる前に、私はある故人の聖職者に「お小遣いをくれてもいいのよ。」と言われ

た。その人に特別お世話になったりした覚えはなかったが、私は20万円支払った。私達の月の収入は20万円

足らずだったから、ずいぶん驚いた。知らない人は「あげなくてもいいじゃないか?」と言うかもしれない。

でも、聖職者に逆らったら生きていかれない世界があるし、結婚式には祝儀をいただけるので路頭に迷うことも

無いのも知っている彼らはプロなのである。

 私は大学のときからやはり、同級生にたかられていた。それってやはり誰にも言えない。言う方が恥ずかしく

なるからだ。低次元過ぎるからだ。


 しかし、神はいるのだ。

 私はタカリヤさん達と離れた。嫌な想いすること無いもの。

 何年も経って、そう7年くらい経って、その中の一人が電話をしてきた。

「軽蔑しないで。」と言う。「いろいろな体験をして、自分が悪いことをしてきたことを知った。」と言う。

 もう一人のある人は、「馬鹿にしないで!」と私の顔を見ると怯えた顔をする。

「どうして?」

 私は人間を軽蔑したことも馬鹿にしたこともない。

 でもね、他の人が見ていないときを見計らってグループで有り金残らず取り上げた人たちもいたけど、

 驚くのよね。

 私は訴えたこともないし、訴える気もないし、死にもしないけれど、

 何も失わなかったと思います。

 死んだ高校生からグループで恐喝するような人って意外と多い。

 人生を狂わすようなことをする人って多い。

 私はずるい人は好きではない。

 見てないところで手を抜いて、見ているところでラッパを吹く人。

 一事が万事ですよね。

 きれいごとを言っても何もしない人。

 他人の働きを自分の手柄にする人。

 他人を利用することばかり考えてる人っている。


 神さまはいる。

 神さまはとても公平。

 私が人生で一番幸せだった日は4月7日。神に会った日です。

 神のみを見ていると、人間界の醜さ、卑しさ、どうでもよくなるのよね。

 噂に寄れば、私は離婚しているそうです。(笑)そんな調べれば分かる嘘を撒き散らして、それを真に受けて

 質問してきた人は、私が「その方は家に突然来て、玄関で『おあがりください。』と促すと、土間で殴る蹴る

をした人だった。私はその方とは絶交した。そして、その方が現われるところ一切出向くことを辞めた。

だから、どうしてあの方と付き合わないのと尋ねた人に、「実は言うとね、殴る蹴るの暴力を、家まで突然来て

なさったのよ。」と話ますと、大層驚いていた。「それは立派な犯罪じゃないの?」とその方は言う。

 山ほどありましたよ。20代半ばのことだったけど、自分にその人とは付き合わなくてもいいと思って赦し

た。ずいぶん、楽になりましたね。以降、暴力を振るう人とは付き合わなくてもいいと思いました。


 私は上手く行ってない人のために苦しむのは止めました。

 毎日、4時間から5時間しか寝ていない。家事も完全とは言わないけれど掃除をし、洗濯物を終え、食器類を

片付けるとどうしても夜中の3時頃になってしまう。昼間はね。老人介護2人分でしょ。それと、毎日どこかか

らやっていくる相談事にお答えしたり、日々のお付き合いに誠実に答え、ほとんど美容院に行ったりお洋服買っ

たりの時間無区やってるのにね。人間ってそんな詰まらないことをやったり言ったりしてくるのよね。


 私は死んだ青年は、絶望したのかもしれないと思った。

 あまりの学友の卑劣さ低次元さに生きる意味を見出さなかったのかも。

 あったことをなかったといする教職員は論外ですけど。

 私は神様もがっかりなさっていると思います。人類ってどうしてこんななんでしょうね

 そして、地震の噂や洪水の噂があるけれど、まっすぐに志高く生きて、消滅するのならそれも良い人生ではな

いかと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今朝、電話をかけてきてくれた人がいうのには、

 芸大の教授は生徒に「結婚するなら、金もちの女か尽くしてくれる人を選ぶべきで、くれぐれも容姿で選んで

はいけない。」 と言ったそうです。

 私は芸術家ってエゴイストだなあと思いました。

 そして、つい銀座教会の画廊であった、編集の方との話題を思い出しました。

 彼女が言うのには、スピリチュアルの人がともすれば、他人を巻き添えにするほどエゴイストで霊的メッセー

ジを自分に都合よくとり、 人間社会に通用しなくなってると言うのです。そのため、離婚になったりした人の

例を挙げて話してました。

 思い出すと、「神の啓示で縷衣香さんからお金を貰え。」と言われたと無心してきた人いましたよ。

 「前世、召使だったから今生も自分のために働け。」というのもありました。おふたりとも、若くして亡くな

りましたが。テレビで話題になり、本も出されてる人でした。

 ◆つまり、高校生の世界に限らず、芸術の世界にも宗教の世界でも不当にお金を無心知るというのはザラにあ

ることなんですね。多分、私達は麻痺してしまって、この自殺した高校生ほど純粋ではないんだと思います。

私もほとんど諦めですもの。

もう、神様に任せるほかは術がないかもしれません。

神さまは人間を正す為に何をなさったとしても、私は正しいと思います。