October 20th, 2007

「グラナダ」イメージの遊び展終了!と今後の課題!

 今日はドーム・パラダイスからみおさんと昨日いらしたMさんと11時に待ち合わせていたので急いで家を出ました。
毎日、都立大学に出かける暮らしは結構疲れがでて、昨日は夜の中国語を休みタクシーで家に帰ったほどです。

 誘われグループ展に出るようになって結構忙しいのと自分の仕事ができなくなるほど時間をとられるので、少し今後は対策を練らなければならないと思いました。

 最後なので、いろいろな懐かしい方が訪問して嬉しかったです。
 夏に村上慶子さんの個展でお会いしたイヴェント企画なさってる方や出版関係の方。
 「マリンバ・イン・ギャラリー」でナレーションをしてくださった方もいらして同窓会のようですね。

 白い少しピンクの百合の花の芳しいこと!梨と林檎も嬉しい!Mさん、ありがとう!
 軽井沢からお菓子や石鹸やお野菜など盛りだくさんの贈物もありがとう!
 ブリザードの小箱に入った御花や和菓子!
 そして、昨日「宇津保物語」を購入して下さった方がお電話で「コノハナサクヤヒメ」の購入の喜び!
 携帯スクラップも見本で作ってくださってすぐに2本とも売れてしまいました!こんど注文します!
 本は仲間からもお客さまも結構買ってくださって、ずいぶん消えました。15冊くらいでしょうか?
 地味な良心的な本なので爆発的に売れることはないですけれどゆっくりずっと売れたらいいなと思います。

 絵は自分のお宝のちいさなビーズやボタンをつけているので売りたくなかったですね。
 それで、祈りが通じたように売れませんでした!(笑)
 自分的にはもっと掘り下げて同じテーマで同じ額やサイズで作り続けていきたいです。

 ☆
 私の尊敬する先生のアドバイスは「絵を売らず散逸を恐れなさい。」というものでした
 彼はポール・ストップホスと言ってロンドンのロイヤル・アカデミーを出て南アでアパルトヘイトに反対の絵を描いて作品発表をできないようにされ、アメリカに亡命した人です。ホワイト・アフリカンといって白人です。

 彼は日本の原爆図を描かれた「丸木位里・俊」を評価し、草間弥生や横尾忠則の作品集を自分の研究室に持ってました。とても謙遜で、アフリカ人のアートの作品をたくさん見せてくれましたが民族のそのままの絵を尊重している方でした。

 彼はどのような思いで「絵を売らないで自分で持ってなさい。」とおっしゃったのでしょうか?
 私にはその意味がわかるのです。

 ものには時期があるのです。
 どんなに素敵な作品でもその時期でないときは評価されないのです。
 しかし、その時期が来たら作品をちゃんと見せれるようにしておきなさいということです。

 それは自惚れでしょうか?
 それは誇大妄想でしょうか?
 ほとんどの絵描きが名も出ず売れず評価されず死んで行くのです。

 ★この間「ミニキタニの猫」というドキュメンタリー映画を見ました。
84歳のニューヨーク在中のホームレスの絵描きさんです。
彼は「自分は偉大な画家だ!」といってました。ホームレスさんではあっても乞食ではないのです。彼は絵を売ってたけれどお金を恵んでもらったことはないのです。

 9・11のテロの日。
 もくもくと彼は記憶の広島原爆体験や日系人の為の収容所に入っていた記憶を描いていました。ドキュメンタリー作家のリンダさんが「私があなたの為にできること何かしら?」と訊いたら「カメラを回して。」といったそうです。それで、ホームレスさんの汚い姿のときから、毎日街頭で絵を描いている彼の姿の写真が映像があります。リンダさんは自分の家に住みこませて、半年後に社会福祉の力を借りて老人の為の部屋を提供させ彼はホームに移ります。
そして、リンダさんのドキュメント映画はあちこちで受賞し、ミリキタニさんは広島や昔の収容所跡に訪れ、絵本も出ました「ピース・ミリキタニの猫」。

 彼はただの絵の好きな極貧の人だったのでしょうか?

 彼はただの売れない貧しい絵描きだったのでしょうか?

 いいえ。

 私は彼の絵本を読んで感心したのですが、ニューヨークにいて国吉とかアンディ。ウォホールとかにあっているのです。そして、ちゃんとアドバイスを受け評価もされ、本人も誇りをもって自分の時節を待っていたのです。

 彼はもう、収容所や広島の原爆ドームは描かないそうです。
 死んでいった同胞の声を描くことが使命だったそうですが、映画になり脚光を浴びてからはもう描かないのです。今までも猫は描いたそうです。子どもの頃から。
リンダの家にいた猫。彼の猫はそれなりの評価をされてきたのです。

 私の先生のポールは、私にいつかその日が来ると信じてくださっていたのに違いがありません。そして、私も夢見て描いているのです。

 ゴッホの絵も死後20年まで、弟のテオの妻が信じて往復書簡を英訳にし大切に保管して時節を的確に待って出されていたので日の目を見ることができたのです。

 夢っていいですね。

★ 今日まで4日間自転車に乗って訪問したガーベラばかりを描く女流作家も同じことを言ってました。
 「やはり、描き続ける人が勝つのだと思う。」
 「だから、描き続かねばいけないと思う。」
 「少しでも多くの作品を描かねばならない。」と!

 雑用と多趣味の私にも反省があります。
 身内の老人介護は人間としての勤めですから私はその時間を惜しいとは思いません。
 その疲労もマイナスとも思いません。

 しかし、あまりにも制作時間が少な過ぎるのです。
 私は能率が悪すぎるのです。

★このような小さなグループ展の参加は今年が最後になると思います。
 もう少し深く。
 もう少し厳しく。
 私にしかできない仕事を。
 残る仕事をしなくては!

 今回のグループ展には参加をしても会場に来ない作家もいます。
 訪ねる人のほとんどない作家もいます。

 ふと、命がけで個展をしたパリを思い出します。
 多くのプロフェッショナルの訪問者。
 そして愛のあるアドバイス!
 そして、豊な実り!

 やはり、いつのまにか自分を甘やかし軽いところに置いていたのです。
 反省しなくては!
 まだ間に合ううちに!

モラのバッグと「コノハナサクヤヒメ」!

 今日は「グラナダ」のグループ展でご一緒だった光彩さんが、千駄木画廊でグループ展をなさっていると知り
今日が最後の日と知り訪れました。12人の明るい作品がいっぱいです。
作品、全体がとても安いのでどうしてかと訊くと画廊がコミッションを取らないからだといいました。
 壁にかけられた小さな額に入った布の作品に目がいきます。
 そこにはこう説明がありました。

モラとは?
中米パナマのサンブラス諸島に住む、先住民クナ族の女性達が作る手芸品がモラです。
モラはパッチワークでもない、刺繍でもない手芸品。布を何枚も重ね、切り込み、縫製することで色のラインを作り出し、絵柄を構成しています。
自然に恵まれたカリブ海の島・サンブライスの環境から生まれた、奔放で素朴なデザイン。島や動物、花、植物から伝統模様、幾何学模様など、ユニークで美しい絵柄のモラは、生命力にあふれ、見るだけで私達を元気にしてくれます。

 すると画廊の方が玄関に近い部屋にはバッグがあるからと導いてくれました。
可愛らしいバッグです。北海道の作家さん。北海道で習っているのですが、オリジナルが要約できるようになったのでアーティスト達と展示したいと作品を送ってきたそうです。
「その心意気を買ってください。」とのことでした。
 それで、その手仕事の綺麗なバッグをゲットしました。

会場では、昨日までご一緒だった沢登みよじさんとも会いました。




 千駄木駅から地下鉄で東銀座まで行きました。G2画廊に行きました。群馬から来た女流ア^ティストさんがアクセサリーや絵や置物など展示してました。蝋染めのような独特の金属への染めのようなエネルギーあふれた作品。七宝焼きのようでした。画廊主の狩野珠ちゃんが私の絵本を2冊出してきて彼女に見せます。彼女はロシアやアルメニアの富士展でご一緒だったようでした。私と同じ59歳で3人のお子さんのお母さん!女の方は皆強く元気で有能な時代です。私の絵本を評価してくれ珠ちゃんから1冊買うことになりました。ありがとう!

 どうしてか女が格好いい時代です。
 私も主人との生活で大変な思いで制作してきたので、女どうし痛み愛です。
 二人で「40年。」って言ってしまいました。
 40年もの長い間、子育てや家族の雑用の中でささやかな時間を作りやり続けたのがよかったのかも。あまり恵まれすぎたら制作をやめてたかもしれません。

 それからギャラリーGKに寄り、搬出日で取り込み中だったので、別の日に用を回し、銀座教会の画廊を訪ねました。クリスマスの2週間のグループ展示の要綱を戴きました。自分の分は会ったのですが、友人の分を取りに行ったのです。信者であることが望ましいとのことでした。

 娘との夕食の準備をしながら思い出すと、女達皆がコノハナサクヤヒメで花を咲かせる為に頑張っている姿が見えてきました。
中南米の原住民の女達も同じように子供や家族の問題を抱え、闘いながら制作しているのかもしれません。女が虐げられていた時代。弱い者が徹底的に犠牲を強いられていた時代。そんな時代が美しいものを愛する人間の目や人との繋がりを大切にする縁から変わっていったらいいなと思います。

 モラのバッグを見ながら、制作している日本の北海道に住むというモラ作家に少し元気を与え、そして大きな元気を貰った私はなんとなくいい週末を迎えた気分になったのでした。