December 6th, 2007

目に見えない光が集まる!

 昨日は一睡もできなかった。でも、元気に朝風呂で髪の毛を洗う!
 S君に頼まれていた「コノハナサクヤヒメ」と「宇津保物語」。別のSさんに渡す「マリア・コード」にサインと印を押す為にプチ・スタジオへ行く。あわてていたのでカバーを黄色の絵の具で汚してしまったが幸い別のを幾枚も持っているので問題ない。

 旅行で一緒だったSさんがもてあましているようだった少林寺拳法の中国人形を4体、S君がもらってくれるので郵便局で箱を買い梱包し本6冊と郵送する。
 S君は私の本を贈ったり、寄贈しているようだ。私が忙しくて自分で働けないので大いに助かる。

 私がいろいろと読書をして「この人とは生きてる感性が似てるな。」と思う人がたまにいる。
縁を大事にしてるので、特別手紙をだしたり、お会いしても自分から名乗ることはまずないのだが、S君はその中の気にしていた人に本を送るようだ。

自分の意思でないのに流れがある。

「マリア」の映画を観ましょうとMさんから手紙がきた。封を開けたときに彼女が同封した「マリア」のチラシからとても芳しい気が昇った。Mさんは香水か香を焚いたのかしらと思っていた。
しかし、それはMさんではなかった。天上からの香りだったのだった。
マリア様の思いが出会いや集いを祝福しているときにそんなことが起きる。いつもだ。
「愛の賛歌」の幼きイエズスのテレーズのバラの花弁の雨のように!
しかし、そのときのマリアの香りはとても東洋的だったのだ。だから私は香を焚いたのだと思った。

 父の家を掃除して父と話を終えると今日は家に帰るのが6時頃で、中国語に行くのは断念した。留守中に「愛の茎」通信がきていたのだ。郵送時にいなかったので電話をし、今夜中に届けてくれるように依頼した。

 「愛の茎」通信からファイルやDVDが届いた。
 
 イエスがこの世に生まれた時に、彼の存在を怯えた人がいた。
 自分たちの権威や存在が脅かされると思ったのだ。

 イエスはただ「愛」をといたのに愛に生きなかった多くの人は彼を憎しみ殺害した。
 
 愛に生きてない人はそのイエスが邪魔だったのだ。

 しかし、神は愛である。
 愛は力である。
 愛は与え、愛は誇らず、愛はゆるす。

 「愛の茎」で病める人が癒されるならそれは善。
 「愛の茎」で貧しい人が富めるならそれは善。

 私は古い観念の奴隷であることを恐れる。
 
それはイエスの登場に似ている。
愛は地球を救うけれどいまだ地球は救われない。

パンのみに生きるにあらずだが、腹が減っては戦ができない現実がある。

大自然の贈物をいつも神は用意された。
モーゼの出エジプトのときの天から降って飢えを癒したマナ。

イエスの御降誕のときでさえ、3博士は贈物を持って来た。
没薬、乳香、黄金。
イエスが聡明に育つまでそれらは必要なものだったからだ。

東洋が世界を救う。
なぜなら私達は争いを好まないからだ。
私達は獣ではないのに獣だと世界から言われた。エコノミック・アニマル。
しかし、東洋人ほど自然と調和を知ってる民族はいない。
私達は自然の恵みから病を癒し、健康をしり、長寿に恵まれた。
私達は本来とても優れていて誇り高い民族だ。
しかし、私達は自ら自分の尊厳を低くした。
私達はまやかしに惹かれ本来の輝きを忘れた。
私達は気付け薬を飲むように「愛の茎」から目覚め、永年の毒を流す時期がきたのだ。
それは誰もが幸せになれる道を助けるだろう。

私は静かに光に集まる魂を感じた。自分を無にして光を受け止める魂。
天上からのクモの糸が誰一人拒むことなく垂れているのが光の愛の茎。

繋がり、ひとつになり、大きな愛になる日まで。
 
 イエスは愛を説いたのに!