January 6th, 2009

奇蹟のりんご!



PAPASさんのブログのコピーです!
東京、広尾にシェ・ノグチというレストランがある。
昼に一組、夜に一組しかお客をとらない店だ。

当然のごとく素材にこだわり、今、楽しめる食材のひとつが「りんご」という・・・。

そのりんごは、ただのりんごとも言えるし、奇蹟のりんごとも言える・・・




突然だが、
りんごを無農薬、無化学肥料で育てる
大変さは、何度か耳にしたことがある。
でも、当たり前だが私には、その大変さは何もわからない。

りんごに虫がいれば、当然、薬(農薬)をまきたくなる。
でも、無農薬ではそれをやらない。
生活の糧になるりんごが虫に食べられても、
指をくわえるだけだ・・・。

NHKの番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」で紹介された
青森県のりんご生産者の木村秋則さんは、
自らの手のかぶれから、
無農薬、無化学肥料栽培へ切り替えた、という。

しかし、無農薬に切り替えても3~4年はほとんど収穫がなく、
キャバレーの呼び込みで糧を得る・・・。

そして6年。

絶望的になった木村さんは、
いっこうに改善されないりんご畑を後に、
自殺をするためにロープを手に岩手山へ・・・。

だが、そこで目にしたドングリの木で
栽培のヒントをつかんだという。

「なぜ山の木に害虫も病気も少ないのだろう?」

疑問に思い、根本の土を掘りかえすと、手で掘り返せるほど柔らかい。
この土を再現すれば、りんごが実るのではないか?と。

そして8年目。木村さんのリンゴ畑に奇蹟は起きた。

リンゴの果実が確実に実ることを
約束する花が満面に咲いたという・・・・。


・・・・・冒頭の東京・広尾のレストラン、
シェ・ノグチのりんごは、まさに、木村さんの畑のりんごだ。
そして、いまでは、木村さんのりんごは、
収穫後(収穫前から?)、即、完売となるという。

私などには、その想像も絶するような体験はわからない。
ただ、一見、物語のようにも聞こえる「自殺」と「ヒント」という
隣合わせの言葉は、哲学者・ニーチェの言葉を思い出させた・・・。

~あなたを殺さないものは、あなたを強くする~


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by papas8559
(2006/12/09 23:59)
未分類
タグ=りんご,木村秋則,シェ・ノグチ

☆パパンダさんのブログ・コピー
マジで感動しました。いっきに読んでしまいました。
無農薬でりんごを生産することは常識では考えられないことらしいのですが、
その不可能を可能にした木村秋則さんの記録です。
失敗つづきで出口のみえないなか、あることがきっかけで糸口をつかみ、また挑戦し、
ついには、りんごの花が咲いた話にはとても感情移入してしまいました。

無農薬でできたりんごも奇蹟なら、木村さんの探究心、挑戦する気持ちが
持続しつづけたこと、これもまた奇蹟です。
生かし生かされながら、存在するということ、言葉の上では知っていても
本当に知るということがどういうことなのか、木村さんは極限の状況の中で
ついに掴み取ったのです。

大げさではなしに、木村さんは人類の未来にむけて、とても大切なところに
たどり着いたのではないでしょうか。
普通では到達できないところであると思います。

科学の進歩の美名の前に、切り刻んで成り立ってきた現代の文明、自分で
自分の首をしめているような現代文明、何かが間違っているとかんじながら
突き進んできた文明、そのなかで、今いきる私たちはこの木村さんの経験は
とても意義があることであると思います。
また、教育の分野にもこの木村さんの視点を生かしてくれる教育者がでると
いいですね。ぜひ多くに人に読んでいただきたい本です。
posted by パパンダ

☆お弟子さんの作られた林檎を購入された方のブログより
すべてを投げ出し夢を追うこと
 青森の農家は自分家用に米をつくり、現金収入用にリンゴをつくります。
 木村さんは普通の農家(婿養子になり農家を継ぐ)でしたが、福岡正信さんの「自然農法」の本に出会い、りんごの無農薬農法をおもいたちます。最初は試験的にやっていったのですが(4分の1の樹で試す)、のめりこんでしまい、すべての樹を無農薬農法の開発に使うことにします。これで現金収入がなくなり、ホームレスのように日雇いをしたり、キャバレーで働いたりしながら、なんとか生活を紡いでいきます。家族は大変な境遇におちいってしまいます。あまりの貧乏に自殺さえも考えますが、その場でヒントを目にし、俄然やる気がおきるのです。
 最終的に畑に生態系を築くことで、無農薬リンゴが完成します。この成功物語は、「時間をうまくつかって成功しよう」というスマートなビジネス読本とはかけはなれたものです。木村さんはすべての力と心をリンゴに集中していました。「人生を壊してもいいから、やりとげたい」という自己破壊的とも思える執念で、このリンゴを完成させました。
 このレビューを見ていると、「感動した!」という言葉がいたるところに見られます。「すべてを投げ出して一つのことに賭けたい」という願望は男性なら誰だってもっているでしょう。しかし、実際問題としてはできません。家族を路頭に迷わせることも、今の生活を変えることもできません。
 しかし、秋山さんは推し進め、やり遂げたのです。秋山さんは、一度無農薬栽培を辞めようと考えます。そのとき、貧乏で文房具も買えなかった娘が「こんなにがんばったのだから、辞めないで」と懇願するのです。秋山さんの夢でもあり、家族の夢でもあったのですね。
■ 無農薬栽培に対する壮絶な思い
とにかく読んでください。

壮絶な本です。

普通に無農薬栽培と聞くと、「少し大変そう」ぐらいな知識しか僕らにはない。

僕もそんな調子で本書を手にしてみたが、とんでもないことがわかった。

基本的に「りんご」の「無農薬栽培」というのは、人類が何も食べないで生きていくぐらい難しいこと。

ともすれば、超異端であること。

当時の農家の人々からすれば、全員が全員、100%無理!!!。

という問題を、木村さんとその家族のどん底貧乏、餓死寸前になるまで、「りんご」の「無農薬栽培」に取り組んだことの壮絶な死闘が描かれている。

まさに、一人で、宇宙船を作って月面着陸するぐらいの、とんでもない作業を要するのです。

それも何年もかけて、何年もかけて。

年々木村さんに忍び寄る「絶望感」

「りんご」の「無農薬栽培」はやっぱり無理だった!ことがわかったときには既に家族は貧乏どん底、死ぬしか道が残されていなかった。

が、

主人公のとんでもない「絶望の底」、「絶望の向こう側にある絶望の淵」まで行った木村さんの壮絶なリンゴの無農薬栽培にかける思いが伝わってくる本。


最後には、「無農薬栽培」とは、

そして人間と自然が共存することとは?

植物、農作物が「生きる」とは何なのか?


それを学ばせてくれた一冊でした。

http://blog.goo.ne.jp/makemehappy_2006/e/91c579253b7354fc0cd1b02ce6f68843
■ 名産品紹介・・・・じゃないよ。
 番組がワザワザ木村氏だけを本にした理由はなんだろうか?
 同番組は、100回以上も放送済みであり、前番組の『プロジェクトX』のように何回か放送分をまとめて本にしてもいいはずだし、木村氏以外は本にするほどでもないのなら、放送内容の質を疑われるだろう。
 断定はしないが、幻冬舎が、木村氏の苦労の物語のみに灯を当て、感動もので売れる、との読みで、本書の刊行に至ったのならば、興醒めである。

 「感動した」とのレビューも多いが、内容については、執筆者の筆力もあり、安っぽい感動物にしか仕上がっておらず、木村氏の自然に逆らわない無農薬農法の主体を置いた『自然栽培ひとすじに』が、本書より1年半以上も前に刊行されながら、レビュー・評価数ともに本書より圧倒的に少ないことから、前述の出版社の意図に乗せられている読者の姿も窺え、再度興醒め。

 私は、りんご農家ではないので、本書がそのまま使えるわけではないが、近い趣旨の耕作を共同で行っており、米作りの際、土の塊が残るぐらい荒く耕し、代掻きも適当に2,3回かき混ぜただけの方が、根の張りが良いとか、田植え1週間後から1週間おきに3,4回、苗の間にタイヤチェーンを引きずって歩くと、雑草が殆ど生えなくなった、との箇所は、大変参考になり、来年は是非試してみたいと思わせた。
 また、実る地上部より、根を張る土地の大事さにも、既に理解していたがうなづいた。


 多分、木村氏の口調や暖かさが直接会えば、本書の何倍にも魅力溢れるものだと実感できるのだろうが、本書ではその表現を仕切れておらず、読者の興味を農よりも、新しい旨いりんごという商品へ向かわせてしまっているのが残念だ。

 ところで、隣のりんご農家などで、木村式に追随する所は出てきたのだろうか?
 それが広まることこそが重要で、木村氏もあえて自慢のりんごを高価格で売らぬまでして望んでいる事なのだが、木村式が汎用されぬなら、氏の苦労はなんだったのかともなりかねない。
■ 苦労話ですら、ぬくもりがある
現在のリンゴはニュートンの時代にあった野性のものとは違い、大きく甘くなるよう品種改良されているため農薬なしでは90%以上も収穫が減ると言われています。
そんな農薬不可欠のリンゴ栽培に無農薬で挑戦した木村秋則さんを追った本です。

無農薬に挑んだものの、木にリンゴが全く実らなくなってしまう。
一家の生活は困窮していき、カマドケシという津軽弁で最悪のあだ名を付けられ、結果を出せない焦りから悪循環に陥り自殺まで考えるようになってしまう。
ところが、自殺場所を求めて入った山の1本のドングリ木を見て木村さんは愕然とする。
農薬を撒かなくても健康な葉。雑草は生え放題だけれど根がしっかり張っている土。
木村さんはこの土は生物の合作なのだと気付く…。

リンゴ畑の雑草を生やすなど、壊れてしまっていた土中の生態系を戻すことから始め、荒れた畑がどんどん回復して、一つまた一つと花が咲いて行き、やっと木に花が咲き誇ったシーンでは感動してしまいました。

その後も模索は続く中で、リンゴを買った人たちや家族・周囲の応援のエピソードにまた感動。
立派な無農薬リンゴが誕生秘話にすっかり魅せられてしまいました。
■ 感動です♪
これを読んで一度無農薬りんご食べてみたいと思い
検索していたら、ありました!
明日届く予定なんです。
ワクワク、ドキドキしながら期待を膨らませて待っております♪
※木村さんのお弟子さんがつくられた物です。

板橋美術館と北朝鮮の収容所脱出青年の本。

今日は良く晴れた日。
父の病院と父の家の掃除に行くので、早めに家を出て板橋美術館へ向った。
西高島平。初めて行く町だ。
しかし、三田線で1本だったのでSPAを読みながらすぐ着いた。
SPAでショックだったのは子連れのホームレスの記事。
乗用車で暮らしている家族もいるそうだ。ストリート・チルドレンも日本でもいるとのこと。
虫歯いっぱいの心ちゃんのことが記載されていた。親がかまってあげなければ虫歯の治療もできないのだ。誰でも。心にひっかかる。
自殺の多い高島平団地を通って何かものかなしい。

☆これは紹介のコピー
20世紀検証シリーズNo.1
新人画会展
戦時下の画家たち 絵があるから生きている

 「新人画会」は、第二次大戦末期の1943年に靉光、麻生三郎、糸園和三郎、井上長三郎、大野五郎、鶴岡政男、寺田政明、松本竣介の8人の画家の交友により結成されました。

言論や表現への制限が敷かれた時代であっても、彼らは描きたいものを描き、空襲警報の鳴り響く銀座で展覧会を開きました。戦争による混乱やメンバーの死により、展覧会はたった3度開かれたのみでしたが、彼らの作品や活動は今も語り継がれています。

 本展は、新人画会展出品作のみならず、貴重な戦前の作品や戦後の日本の美術史に残る8人の作品を一挙に公開いたします。また、新人画会展の開催された画廊の再現と共に、当時の写真や資料も展示し、新人画会の時代の空気もご紹介いたします。

 「絵があるから生きている」これはメンバーの一人、寺田政明さんが戦後、新人画会について語った言葉です。自分の描きたいものを描き、生きること、新人画会の8人の画家の作品から考えてみませんか?

☆帰りの地下鉄電車の中で読んでいた本。


☆父の病院に行ったら、ようやくシャワーが浴びれたそうで4時に夕食?を頂いていた。
父の家までタクシーに乗って着いたら、弟の話では「看護婦を騙して無断で外出下のがばれて、医者に叱られた。」そうだ。外出理由はご飯がまずいので外でお昼を食べたそうだが、
医者からは「それだから、心臓が悪くなる。偏りすぎて偏食の傾向があるので病院食を食べなさい。」とのことで、4時ごろ食べていたのはお昼とか。
医者や看護婦にマークされるのはまずいかも。

 しかし、お風呂の工事が有るので当分来れないと言ったら、2月の中旬には老人ホームに行くので必要ないとのこと。父の家はこぼす人がいないので綺麗に片付いていた。
弟が衣類も洗濯して畳んでいたので、整理しやすい留守になっていた。

 弟の話では、父は89歳までついてきた人生のつきが落ちたと言ったそうだ。
株での大損と時代の不況で多く失ったそうだ。
89歳までツイテイタのは随分ツイテイタということではないかしら?
道理で私に「事業をしろ。」と言ったのね。
でも、今は絵が売れる時期ではないもの。弟には納得してもらえた。

☆家に帰って娘と夕食。主人が帰ってきたのでカステラとオレンジ・ティーでお茶。
そして、オバマさんに読ませたい本を読んでいた。
本当に凄い人生がある。そして、彼はそれを世界に示す為に生きてきた感じだ。
彼のような人生。反動子の親から収容所で生まれ、虐待されて育ち母と兄の脱出失敗から公開処刑を見た青年。彼が脱出して中国、韓国に逃げられたのは奇蹟だ。
父のツイテイタ人生とは比較にならないツイテナイ生い立ち。

今、全世界に起きているあらゆる不平等と権力の横暴をこの過酷に生きてきた青年が健康的に告白するのが奇蹟のようだ。
多くの同輩は疲れ、無気力に生きて死ぬだけ。
若い女性の強姦やちょっとしたミスで殺される働き手。
なんだか信じられない、現実にこのような地獄が地球にはあるのが、不況と言うレベルより遥かに過酷であってはならないことだ。

肋骨を切除するアート!いろいろあるんですねえ。わからん!

中国現代アート「自分の肋骨を切除」=行為芸術の第一人者
【コラム】 【この記事に対するコメント】 Y! 2008/12/24(水) 16:13
写真:大 / 写真販売
  中国現代アートのインタビュー連載。中国では絵画、撮影アート、インスタレーション(装置)とともに、パフォーマンス(行為芸術)も盛んである。今回は現在の中国パフォーマンスアートの第一人者である何雲昌さんに、今年8月に開始した自分の肋骨を切除するパフォーマンスを中心に語ってもらった。


――最近はどんな活動をしていますか?

  いや、特に何もやっていません。ゲームで遊んだり、酒を飲んだり(笑)。ぼくは年に1、2回ぐらいしかパフォーマンスをしないのですが、やる時は企画や海外の基金会との打ち合わせも含めてじっくり時間をかけて準備するので、終わったら重いものがぬけたような空白の気分に陥ります。一般的に数週間から数カ月間はだらだら過ごします。今も8月の行為が終わってしばらくは休んでいます。

――8月8日に自分の肋骨を1本抜いたやつですね。痛くありませんか?

  今はだいぶおさまりました。最初の2、3週間は激痛で息をするのも苦しかったです。今も重いものは持てません。残った破片が肉に突き刺さるので。肋骨を失った感覚にまだ慣れていない感じです。

<自分にとって大切なものと向き合う>

――8月8日というのはオリンピック開幕式の日ですが、何か意味があったのですか?

  手術で肋骨を切除してもらったわけですが、アートのために肋骨をぬいてくれという発想を理解してくれる病院はなかなかありませんでしたから、仕方なく友人である医師に頼んだのです。その日に手術をすることになったのはたんに彼のスケジュールの都合だったのですが、ちょうど開幕式の日と重なるのであればそれもいいだろうと思いました。

――それもいいだろうと言うのは?

  中国は「発展、発展」で来ていて、自分と向き合うことが少ないです。もっと自分自身と向き合うものが必要だろうと思ってパフォーマンスをやっているので、「発展、発展」の象徴のようなオリンピックの日はふさわしいのかなということです。

――自分自身を見つめることと肋骨を切除することの関係は?

  骨は死んだ後で残すものですが、骨をいかして生きていくことはできませんし、骨自体が残って活動していくこともありません。骨はあくまで死んだ人の過去でしかありません。 ぼくは自分の過去を大切にして、抜いた骨を残し、活かしていきたい。この骨は自分にとってとても大切な過去なのです。

――この骨はどうしていく予定ですか?

  しばらくは見ていたいので、何もせず側に置いています。ただ今回のパフォーマンスはこれで終わりではありません。これから自分にとって馴染み深い女性たちにぼくの骨を首にぶら下げてもらい、写真を撮っていきます。

――馴染み深い女性とは?

  母親、妻、以前の妻、それに昔の彼女たちです。

――彼女たちもまた何雲昌さんにとっての大切な過去だということでしょうか?

  そうです。ともすれば現在、現在ばかりを見て、過去を大切にしようとはしません。社会変化の急激な中国では特にそうです。そうした中で見落とされる過去の自分を大切にしたい。この構想は5年前から温めていたのですが、何よりぼく自身が自分の骨や過去の女性と向き合っていきたかったのです。

――それにしても、肋骨をぬくというのは恐ろしい気がしますが、前日に不安になったりはしませんでしたか?

  これまでのパフォーマンスの時もそうですが、やる前に不安になる性格ではないですね。予定にしたがって遂行していくタイプです。

――痛いのは平気ですか?

  平気ではありません。痛いのは嫌いですよ。でも、自分の思うことをやりたいわけですから仕方がありません。ただ、意外と心がすっきりするとは言えるのではないかと思います。(聞き手、文責:麻生晴一郎 企画:サーチナ・メディア事業部)

■現在の中国パフォーマンスアートの第一人者である何雲昌さん 前編|後編

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※本文中の写真は、上は首輪に仕立て上げた何雲昌さんの肋骨。下は「抱柱之信」(2003年)。この姿勢を24時間続けた。

何雲昌(フー ユンチャン、通称“阿昌”)

1967 年、雲南省出身。雲南芸術学院油画系卒業。93年から昆明でパフォーマンスアートを始め、99年より北京で活動。コンクリートの箱の中に24時間閉じこもったり、112日間かけてイギリスを徒歩で一周するなど肉体を駆使した超現実的なパフォーマンスを続ける中国の第一人者。
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