January 8th, 2009

日々の感謝!

人様のブログ「松明」に私の本3冊の映像があった。そしてこんな記事が!

『コノハナノサクヤビメ』より : コノハナノサクヤビメは、日本神話に登場する神女神。一般的には木花咲耶姫と記される。また古事記では木花之佐久夜毘売、日本書紀では木花開耶姫と表記する。コノハナサクヤビメ、コノハナサクヤヒメ、又は単にサクヤビメと呼ばれることもある。古事記では神阿多都比売(カムアタツヒメ)、日本書紀では鹿葦津姫または葦津姫(カヤツヒメ)が本名でコノハナノサクヤビメは別名としている。
オオヤマツミの娘で、姉にイワナガヒメがいる。ニニギの妻として、ホデリ(海幸彦)・ホスセリ・ホオリ(山幸彦)を生んだ。
天孫降臨で日向国に降臨したニニギと笠沙の岬で出逢い求婚される。父のオオヤマツミはそれを喜んで、姉のイワナガヒメと共に差し出したが、ニニギは醜いイワナガヒメを送り返してコノハナノサクヤビメとだけ結婚した。オオヤマツミは「私が娘二人を一緒に差し上げたのは、イワナガヒメを妻にすれば天津神の御子(ニニギ)の命は岩のように永遠のものとなり、コノハナノサクヤビメを妻にすれば木の花が咲くように繁栄するだろうと誓約を立てたからである。コノハナノサクヤビメだけと結婚したので、天津神の御子の命は木の花のようにはかなくなるだろう」と言った。それで天皇の寿命は長くないのである。

☆時間がある時に検索すると、少しづつ図書館などに私の本が入っているのを知る。
最近では国学院や飯塚の図書館。
又、ネットの本屋さんで「投資用」に紹介されていたり、硬い研究機関にあったりする。
私の仕事はほとんど古典のわかりやすく視覚化されたものなので原本は極めて由緒正しい
それで、宣伝もせず売り込みもしないまま放置してあるのだが、こうして良心や考え方がどこか近い人たちが本を買ってくれたり、宣伝してくれているのは本当にありがたい。

☆☆☆
 時代が移ろうが変わらないものがある。
 子を慈しむ心。
 親を労わる心。
 自然を愛する心。
 神を畏れる心。
 争いを好まぬ心。
 美しいものをめでる心。
 省みて衣を正す心。

だから、今の不況は左程悪くない。
贅沢をしなくても生きていける。
質素に物を大事にすれば生きていける。
余れば足らない人に分ければいい。
壊れれば繕えばいい。
笑えば楽しい。
泣けば浄化される。
怒ればおなかがすくでしょう。
淋しければ人を大切にすることを覚える。

いい時代ではありませんか?
戦争中のことを思えばなんでもないと識者は書いた。
私は戦争を知らないこどもたちですが、でも絵を描いていたおかげで貧乏は度って言うこと無いです。
他国にいたおかげで何はともあれ自国に住むことは楽です。
独身も結婚生活も知っているとどちらもいいのよね。
貧しいときは聖人の清貧を思うと心が洗われてきます。
富んでるときはいかに有効にお金を使うか考えて賢くなります。
ブスといわれて日には痛みを学びます。
美人と言われた日には神に感謝です。
バカと言われた日にはおバカの時代に感謝です。
聡明と言われた日にはさらに磨くと頑張れば希望が大きくなる。

この世に哀しいことも嬉しいことも淋しいことも苦しいことも
本当に深い神の恵なんですよね。
欠乏が有るから埋める努力をする。
痛むから大事にするんですよね。新鮮な時を!

神さまは気前がよくてとても寛大で公平ですよね。
皆、望んだんですって!失敗すらも。
神様は具体的には人間におまかせですから!

※オキナワの那覇市のRITMOというブログよりコピー、(「マリア・コード」を扱っているようです。)

完璧な人間がいないように
完璧な親もいなければ
完璧なこどももいません
カナダ政府のガイド

 縷衣香も同感です。私の子供も完全では泣く私も完全ではないです。

良心の問われる時代へ!

 今日は明日から買い物ができなくなるので、クリーニング屋に行って洗濯物を出したり、夕食のおでんの材料を買って一度家に帰り、大根を煮てしっかり味の浸み込んだのを確かめ夕飯をセットして有楽町に行った。
 まず、銀座教会に行ってマトリョーシカを受け取り、隣のビルに預けてある「宇津保物語絵本」40冊をカートに入れ、無料の映画チケットがあったので「みゆき座」で「ポニョ」を観た。
日比谷公園に程近いせいか疲れた様相のホームレスさんたちをたくさん見た。「ビッグ・イッシュー」を売ってるおじさんがいたので「表紙がチェ・ゲバラの映画に俳優さん」だったので迷わず買った。
時間は中途半端に1時間くらいあるので真中の席を予約してあるのだが、早めに入って観ていた。
しかし、ガラガラで空いてる席も凄いいい席だった。



☆可愛い女の子がテーマ音楽を歌いながらロビーにいた。5歳の男の子が主人公なので本当のお客は彼女でしょう。しかし、殆どが大人の観客。
 主人公とポニョの声が子供の声なので可愛くて素敵だ。海が汚れポニョちゃんは人間になりたくて人間の住む陸に来る。空き瓶の中に閉じ込められたのを割って救い出してくれた宗チャンのお家に。
宗ちゃんは金魚のポニョを大事にしてお母さんの働く老人ホーム「ひまわり」の隣の保育園に行く。お父さんは汽船の船長さん。
 この崖の上の住む家ではお母さんもお父さんも名前で呼び合う。しゃれた若い夫婦は愛し合っているし、宗介君は初めて会ったポニョを「護ってあげる。」と約束する。
宗助君の愛はポニョのお母さんの「魚でも半人魚でも人間でも愛してくれますか?事実を知っても愛してくれますか?」に「ハイ。」と答える。
 人間であることをやめたお父さんはポニョが人間になるのに賛成ではない。
でも、お母さんは彼女が望むならと許す。
人間になったら魔法が使えないという。それでも人間になりたいという。

☆嵐になり月が近づくと地球は危険だ。
 魚の時代の太古に住む魚が泳いでいる世界。
 ポニョのお父さんは生命の水から魚を生んでいる。
 生命が魚から生まれ、魂が泡になっても始めが泡だったのだからいいではないかとお母さんは言う。
 美しいお母さんよりも生まれた海よりも人間になって宗介が好きだと一緒にいたいポニョ。

 こどもたちはこの映画からどんなメッセージを受け取るのだろう。
 
 人間に生まれた幸せ。
 好きな女の子を護る男の子の真実。
 他人の子も自分の子も同じように受け入れる宗介のお母さん。
 海の不思議。
 自然を護る心。

☆子供は説明するとわかるのだ。
赤ちゃんはスープは飲めないけれどお母さんが飲めばおっぱいになって赤ちゃんはそれを飲めると。
年よりは子供が好きで子供を愛して本当に若い時のように元気になりたいのだと。
お父さんとお母さんはライトで会話を交わす。海の遠方からのお父さんの光と崖にある家のライトからの会話。淋しいけれど皆仕事であるから耐えるし、耐えなければならないものだと。


そんな風に育った子供は幸せだ。
今朝の新聞でお母さんが好きな男とパチンコをしている間に子供3人が火事で死んだとあった。若いお母さんで世帯主が女性だったので3人もの子供の世話は大変だと思った。

☆帰りの電車で人身事故のニュースが流れていた。東尋坊でも飛び込みがったそうだ。
 銀座の街も淋しい。訪れた教会も葬儀が終わったばかりとかで沈んでいた。
 どこも閑古鳥だ。

 クリーニング屋でも今の子供は希望が無いのでかわいそうだと言う。
私達の世代(ベビー・ブーマー)までが、質素とか倹約とか忍耐が大丈夫なのだそうだ。

 映画館でポップコーンを買って娘が好物だからと半分残して持って帰ったら、「要は食べたくなかったんでしょ?」と言う。「本当に食べたかったけれどあなたが好きだから取って置いたのよ。」
お昼の買い物ではおやつはハーシーのアイス・クリームだったのだけど、寒かったので御菓子屋の焼き芋にしたのだが、それは喜んでいたが。

 私達の子供の頃は出されたものに文句を言うとか親に逆らうとかは考えられなっかったが、この頃はどこでも子のほうがエバっていますよね。

 私も毎日、滅私奉公してますが娘の時代のほうが大変なのでしょうかあまり感謝されません。

☆ビッグ・イッシューは5万部くらいの発行部数だそうです。ポニョは大ヒットでしたよね。
 子供達が健やかに育ち青年たちが希望を持つためにはやはり私達大人がもっと真剣に取り込まなければならないのでしょう。解雇の問題や老後の問題や教育の問題も。

派遣切りは身近に。

 この間板橋美術館に行った時に三田から西高島平まで地下鉄に乗った。
3時頃の暖かい日だった。文庫本を読んでいる恰幅のいいサラリーマンが終点までどこにも降りなかった。
私が終点で降りた時に彼は降りなかった。折り返し南北線に接続しているので神奈川県にまで再び載るのだろうか?
電車の中は暖かくて混んでいるわけでもないので座って読書をするには都合がいい。喫茶店のようにお金もかからないし、路上のように寒くは無い。

 昨年の秋に、絵を描く人から手紙で「いい仕事があったら教えてください。」とあった。5000万円も借金があって区も相談に載ってくれないとあった。私は何もできなかった。

 私も絵描きだが、もはや格好つけていられない。
お客様は大事で大切にしますよ。又、買っていただきたいもの。

☆1昨年前のこと、派遣で働く40代の方に専門職を身に着けて貯金もあったらいいとアドバイスしたところ、嫌われてしまったようだ。
今も怒っているかもしれない。年賀状の返事もないもの。
でも、こんなに酷い不況になって私と同じことをブログで書いている人もいた。

 私が結婚した時は主人はまだ正規の雇用ではなかった。
赤ん坊が生まれて私は職場を選ばないでほしいと言った。そしていつの間にやら生活は安定し正規の雇用で暮らしている。

 私は若い学生の時にアルバイトを始めた。
どこでもこき使うものだと知った。しかし、世間を見るのが楽しくて面白くて私はそのお金で絵を描く材料も買ったし、どこの展覧会にもお金の心配をせずに行ける習慣がついた

 絵の世界は貧乏がつきもの。
皆、貧乏だ。絵が売れる人が絵が最高と言うわけでもなく売れない人が絵描きとして駄目なわけでもない摩訶不思議な世界だ。

 でも、いつも不思議だった。
 絵を描くことが特権のように思っていて周囲に無心を知る人が多い。
 それは、違うのではないかといつも思った。

☆生きることは厳しい。
もし、同じ能力のある人を片方だけ首切らなければ成らない時に、残るチャンスを譲れるかどうか?
いつも他人が親切で自分のために犠牲になるのを当たり前であるかどうか?

☆私はさらに不思議でしかたがなかった。
私なりに多くの人にチャンスを与えても、大事にしない人が多い。
せっかくの仕事も手を抜いたり、騙して上乗せしたり、その場限り。
そうすると、もう2度と頼まなくなるのよね。

 手っ取り早く大金を得ることよりも納得のいく小金をずっと払ってもらったほうが長い人生では大きな得である。信用と言うかけがえのない富には多くの人が安心してついてくるもの。

☆世の中を舐めたらいけませんよね。
 仏の顔も3度までらしい。
 イエスさまは7倍の70倍もお許しなさいと教えてくださいましたが。

☆家の近くの公園で老人と若い母親が姥車をひいて立っていた。
お金を節約するのは歩いたり無料の公園で花をめでればいいと思う。
私もお金のない若い日には古本を本屋で売って出かけましたよ。
本当に部屋はいつも空っぽでした。

 この間、板橋美術館で絵描きのアトリエ写真の本が半額で売っていた。
見たら、どの画家の部屋も片付いてい無かった。妙に安心しました。
私だって10年20年前の絵の具を使っています。
又、パレット代わりにプラスティックの使い捨ての容器をたくさん洗ってしまっています
そんなに高価な筆を買うわけでもないし、キャンバスだってそんなに余分には買ってはいない。
節約に節約して描いている。

 長く続けている人は皆そうだと思う。

 そしてこれからは土砂振り不景気で絵描きさんはどうなるのかなと思う。

 もう、長く続いていた由緒あるヨーロッパのブランド・ショップが軒並みにだけだというのだから。

 名も無い描きの私はせめて誠実であろうと思うのだ。
 生きることにも絵を描くことにも。

☆わずかなタクシー運転手のお金を刺してもって行く人がいる。
 弱い年寄りや若い娘を切ってバッグや財布を持っていく人がいる。
 もう、こらえられないほど方法が無い時代なのか?

 食べ物と住むところは余っているとも言うではないか?
 廃墟もたくさんあり、食べものも賞味期限を言わなければ随分美味しく食べれるそうだ
 
 私の家でも、新聞は1誌。
 牛乳も1週間に1回にした。
 今日の焼きサツマイモだって1本を3人で分けるのよ。
 やり方があるのではないのか?

 私どもは姑と同居しているが、同居すれば安く済むものもあるのではないでしょうか?

 他人ごとながら一人で住まずに3人くらいで部屋をシェアしたらアパートだって借りられるホームレスさんもいらっしゃるのではないでしょうか?
私達もそれなりに他人と住むことで譲りあったり我慢したりはしているんですが。