January 22nd, 2009

卑劣な事件が起きるのはなぜか?

★愛知女性拉致殺害事件(あいち じょせい らち さつがい じけん)とは、2007年(平成19年)8月24日に愛知県名古屋市内で発生した強盗殺人事件。闇サイトが犯行グループ結成に利用されたことから、別名を「闇サイト殺人事件」ともいう。
目次
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* 1 事件の概要
* 2 事件のその後
* 3 公判
* 4 外部リンク

[編集] 事件の概要

2007年8月24日午後10時頃、名古屋市千種区の路上を歩いていた31歳の女性を、被疑者男3人(現在は強盗殺人罪で起訴され刑事被告人)は道を尋ねる振りをして、強盗目的で拉致した。犯行グループ3人は日常生活で面識はなく、知り合って犯行を行うきっかけとなったのが携帯電話サイト「闇の職業安定所」という犯罪者を募集する闇サイトである。「犯罪の素人」によるにわかつくりの犯罪実行グループであった。

この闇サイトで40歳の無職の男が投稿し、朝日新聞の新聞拡張員だった36歳男と無職の32歳男の2人の男が参加し犯行を決め、女性を殺害して現金を奪うことにし、8月24日に決行。被害者の女性は偶然見かけただけという通り魔的犯行であった。

8月24日午後10時頃、名古屋市千種区で帰宅途中の路上を歩く女性を車に連れ込んで、手錠をかけて拉致。約6万円とキャッシュカードを奪う。さらに包丁で被害者を脅して、キャッシュカードの暗証番号を聞き出し、8月25日午前0時頃、愛西市佐屋町の駐車場で被害者を殺害する。被害者の女性は「殺さないで下さい」「話を聞いて」と何度も命ごいをしたが聞き入れられず、容疑者は被害者の顔に粘着テープを巻きつけた上にポリ袋をかぶせ、ハンマーで頭をめった打ちにし、遺体を岐阜県瑞浪市の山中に埋めて逃走した。女性の死因は窒息死とみられている。

この男ら3人以外に1人も一連の犯行に参加しようとしていたが、一緒に犯行前日に名古屋市内の事務所に窃盗目的で侵入したものの、途中で怖くなり逃げ出し犯行直前の時間に警察に自首した。女性を殺害した翌日の8月25日午後1時になり、被疑者のうち1人が愛知県警に犯行をほのめかす電話をし、逮捕に至った。警察に事件に関与したことを話した理由は「死刑になりたくなかったから」とのことだった。

なお、当該事件を報道で「犯罪の温床」と大きく取り上げられた闇サイト「闇の職業安定所」は8月27日に閉鎖された。また被害者の女性は趣味のブログを公開しており、そこには被害者に対し哀悼のコメントが殺到した。

[編集] 事件のその後

被害者の母親がマスコミ宛に「もう少しで自宅につけたのに」「犯人を絶対に許せない」という趣旨の手記を寄せた。のちに母親は容疑者らを極刑にするために陳情書の署名を集めるホームページを設立、2007年10月1日に10万人、2008年12月18日に目標の30万人を超える署名を集めた。なかには海外に住む日本人や外国人の署名もあったという。

[編集] 公判

容疑者3名を、強盗殺人罪、営利目的略取罪、逮捕監禁罪、死体遺棄罪、うち1名に強盗強姦未遂罪を加えて起訴。2008年9月25日に名古屋地裁で公判が開始した。公判のなかで容疑者3名がお互いに罪をなすりつけ合い、被害者に対し反省する態度を見せていない。また、容疑者1名が知人に対して手紙を出し自身の意見を述べるブログを掲載した。2009年1月20日検察は容疑者3名に死刑を求刑。判決は2009年3月18日。

ちなみに1名を殺害して容疑者2名が死刑になった例として福岡病院長殺人事件がある。

★東京都江東区のマンション自室で昨年4月、2部屋隣に住んでいた会社員東城瑠理香さ
(当時23歳)を殺害し、遺体を切断して捨てたとして、殺人やわいせつ目的略取、死体損壊などの
罪に問われた元派遣社員・星島貴徳被告(34)の初公判が13日、東京地裁で始まった

星島被告は罪状認否で「違っていることはございません」と述べ、起訴事実を認めた。検察側は
冒頭陳述で、わいせつ目的で東城さんを襲った星島被告が、犯行発覚を恐れて東城さんを刺殺したと述べた。

検察側の冒頭陳述によると、星島被告は女性を暴行し被告の言うことをきく「奴隷」にしようと、
犯行約1週間前に東城さんを襲おうと決意。4月18日夜、帰宅直後の東城さんを殴り、
包丁を突きつけるなどして自室に連れ込んだ。

東城さんを暴行しようとしたが、約3時間後の同日夜、自室ドアがノックされ、玄関外に
警察官が立っているのに気づいたことから、東城さんが行方不明になったことにしようと
東城さんを包丁で刺殺した、と主張した。

星島被告は、その直後から5月1日までの間に、浴室内で、ノコギリなどで遺体をバラバラに切断。
ゴミ置き場に捨てたり、トイレに流したりした。

これに対し、弁護側は冒頭陳述で、東城さんを殺害しようと考えたのは、警察官に事件を察知された
と思った後だとして、犯行に計画性がなかったことを強調。「被告は、幼い時に足に大やけどを
負ったことを負い目に生きてきたが、拘置中に自殺を試みており、今は被害者の冥福を祈りながら
写経を続けている」と、反省の情を強調した。

この裁判では、初公判前に争点を絞る「公判前整理手続き」が行われ、争点は量刑に絞られている。
被告人質問などを経て、26日に検察側の論告、弁護側の最終弁論が行われ、2月10日
第7回公判で判決が言い渡される。

星島被告はこの日、黒のトレーナー姿で、坊主頭に眼鏡をかけて出廷。傍聴席には、
東城さんの遺族が喪服姿で座り、遺影を手に、沈痛な表情で審理を見守った。

星島被告は今月8日、東京拘置所で読売新聞の取材に応じ、「人生に不満がない人が
こんな犯行を起こすでしょうか」などと語った。遺族には、謝罪の手紙を書き、
弁護士に預かってもらっているという。

ソース:YOMIURI ONLINE

☆午前中にテレビを観ていたらアメリカのおばあちゃんが路上で殴る蹴るをされてお財布を抜き取られたビデオが映っていた。ビデオから犯人は捕まりお婆さんは重傷で犯人は14年間の刑に処した。

 日本で近頃若い娘さんがたまたま歩いてたり、たまたま隣に住んでいたことから拉致され殺された報道が続く。親御さんにとっては酷すぎる事件で犠牲者に罪が会ったようには思えない。それにしても犯人達はなんと惨めな人たちなのだろう。
正々堂々としたところが無い。拉致と言う手段で若い女性を連れ出して暴行を加え揚句の果てに殺すのはもはや人間の尊厳を失っているのだろう。

 隣の家の娘さんを拉致した青年は子供の頃に足に焼けどを負ったトラウマがあるという
しかし、そのようなハンデでオリンピックの体操選手になった人も野口英世のように国際的な医者として人々の救いに貢献した人もいる。その差は何だろうか?
周りの人たちか?お母さん達の献身か?
若い娘さんにちゃんと向って交際できる自信がなかったのか?
劣等感の裏返しとはいえ情けない。

☆今日の教育には手落ちが多すぎると思う。
人を見たら泥棒と思えは無いけれど、無防備にしていたら危険であることも世間が教えるべきだ。
 危険なものを育てないことだ。

 だんなに処刑があってももはや蘇らない体である。
そして憎むだけの被害者の家族も淋しい。
しかし、かけがえの無いわが娘で生きがいだ。

 オレオレ詐欺。
 投資詐欺。
 犠牲者の困難を想像したらやってられないことばかりだ。

☆今朝は早く起きて、原稿直しをコンピューターに打ち込んだ。
また、少しづつ原画も直している。
生きることへの信頼。
確信。
危うい時代だからこそ確かなものを大事にしたい。
そう思って仕事をした。

ようやくお風呂工事が終わり、中国語も試験休みでゆったり過ごす!

 今朝は6時から起きて仕事をして、お風呂工事の人たちが最後の仕上げのペンキ塗りをしている間は居間で最後の絵のチェックをしてました。そして新しいインクに替えて文章と絵をプリントしてファイルに入れ、娘にCDに入れて貰いました。

 ペンキの匂いはするのですが、新しいお家のように綺麗になりました。
玄関もお風呂も広々として、2階のトイレもずいぶん開発されいろいろな機能がつくようです。
これから20年30年暮らすのでしょうね。

☆とにかく朝が早かったので眠かったのですが、木曜日の夜ですから中国語と思って出かけたら、学校の門番から「試験中です。アカディミアは休みです。」と言われました。
それで、週間誌などを買って早々と家に帰りました。今日は既に夕食を作っていて2度も頂いてしまいましたが。

 ソファーでのんびりと達成感を感じながらくつろいでいるとテレビはオバマとか不況とかなかなか世界の情勢の過酷さが映し出されます。
黒人の方達の長い祈りが形になって神が寄こしたオバマと思っている人が選挙を助けたそうです。
私もそう感じました。

 マルセイユの街を訪ねる番組があって聖母の像が街を見下ろしているのですね。
漁業の町ですから航海や病気など祈りによって助けられて深い聖母信仰があるのでした。
また、サン・ジャック巡礼のお宿があって旅人の足をお湯に塩を入れて15分つけるといやされることを知りました。聖母の清めの祝日用のパンの話や深い信仰が生きてるマルセイユに又行きたくなりました。
ブイヤベースもマルセイユのは本家でおいしそうです。いきたいです。

 娘と主人が最後のお風呂を借りに隣に行きました。

 世界中の不幸の映像が目に入ってくる現代。
ガザの病院やアフリカの貧しい学校。
平凡な生活がいかにありがたいか。

 そして、オバマのように強い人が立たなくてはいけないのでしょうね。
世界中にたくさんいる同じ夢を持っている人たちが希望と勇気をますます得てますね。

☆ そういえば、アメリカの図書館にいる猫ちゃんがリストラの街を救った話もありました。
今度、映画化されるそうです。
本を返す箱の中に捨てられた凍傷にかかって餓えていた猫ちゃんが街の苦境や個人の弱さを励まして、やる気を齎したそうです。猫ちゃんの天使さんですね。
アンビリーバボー400回スペシャル
世界一有名な猫の全記録

1_01  2006年11月29日、アメリカのとある町で一匹の猫が天国へ旅立った。驚くことにこのニュースはアメリカを初め世界中に配信されたのである。多くの人が奇跡と語るデューイの生涯とは一体どのようなものだったのだろうか・・・。
 1980年代後半にやってきた不況の波によって、その年 アイオワ州の銀行は軒並み潰れ、農地の値段も大暴落。もともと労働者が多くブルーカラーの町と言われていたスペンサーは、工場が相次いで閉鎖され失業者であふれかえっていた。多くの人が町を捨て、人口は激減し、町の治安も悪化する一方だった。
 そんな世の中全体が暗く沈んでいた頃のこと、ヴィッキーさんは幾度も市議会に足を運び、内装を新しくしたり、新しい本を入れたいと訴えていた。しかし、町の経済が破綻した状態で、図書館に予算など出るわけもなかった。
 市民は生活することで精一杯の状況、利用者の大半は労働者の子供だった。子供達の親は図書館を託児所のようにしか考えていなかった。また、障害を持った子供も施設の職員に連れられて来ていた。皆、魂が抜けた人形のように見えた。さらに館内の一角は就職情報を閲覧する失業者であふれていた。
1_02  そんな町全体が凍え死んでしまいそうな、ある寒い日の朝だった。図書館のスタッフが、本の返却ボックスから何か音がすると報告してきた。中を覗いてみると、そこには真っ黒に汚れたうごめく小さな生き物がいた!!それは、寒さで震える生まれたばかりの子猫だった。ヴィッキーさんは身体で暖めようとしたのだが、子猫の容態は思っていたよりも深刻だった。足はしもやけだらけで、全く鳴き声をあげないのだ。
 動物病院に電話したが、朝が早くて誰も出ない。ヴィッキーさんらは、お湯を溜めて必死に子猫を暖めた。
 やがて、弱々しくはあるが子猫は鳴き声をあげ始めた。すると子猫は、ヴィッキーさん達を見つめてきた。人間に捨てられ瀕死の状態だったにも関わらず、全く怖がる様子を見せない。まるで、感謝の気持ちを伝えているかのように身を委ねてきた。
 子猫の信じきった表情を見て、ヴィッキーさんは子猫を飼おうと決心した。赤茶色の毛並みをしたその子猫は、アメリカの図書館学者の名にちなんで『デューイ』と名付けられた。
1_03  翌日、ヴィッキーさんは利用者に初めてデューイをお披露目した。新たなスタッフの登場に子供達は大喜び!どんな格好で抱かれても、デューイはおとなしかった。とても人懐っこい正確で、お年寄りから子供達まで一人でいる人物を見かけると自ら近づいていった。そして、なぜかデューイは落ち込んだ様子の利用者がいると、そばにいって離れなかった。
 しかし、デューイが図書館に来てから1週間が経った頃、徐々に苦情が寄せられるようになった。実は1年前、ニューヨーク州の図書館でスタッフが重度の猫アレルギーを発症し、猫が追放されたという事例があったのだ。早速、内科医に検査をしてもらうと、スペンサー図書館はアレルギーの原因となる抜け毛が溜りにくく、心配ないことが分かった。さらにヴィッキーさんは利用者を不安にさせないように、デューイにワクチン接種、去勢、ツメ抜きなど、万全を期した。
 しかし、図書館内の雰囲気は一向に明るくなる気配はなかった。実はアメリカの不況はさらに深刻化していき経済状況は一層悪化、企業がリストラを押し進めていったため、スペンサーの失業者は増える一方だった。
1_04  実はヴィッキーさんは、人に言えない深刻な悩みを持っていた。ヴィッキーさんは、結婚6年目の28歳の時に夫と離婚、当時6歳だったジョディさんを引き取った。以来、女手一つで娘を育ててきた。
 そんな中、弟が癌にかかり若くして他界。さらに、弟の死にショックを受けた兄はドラック中毒になり、猟銃自殺を図ったのだ。
 不幸が重なり、この頃からジョディさんとの関係も上手くいかなくなっていった。ここ数年、会話らしい会話をしていない。どうしたら、娘とコミュニケーションがとれるのかヴィッキーさんは悩んでいた。
1_05  デューイがスペンサー図書館に来て1ヶ月が過ぎた頃だった。ある日、毎日図書館に来て就職先を探していた男性の膝の上にデューイがちょこんと乗っかっていた。その時だった!ずっと暗い表情だった男性が初めて笑顔を見せたのだ!彼はその後、ぱったりと来なくなった。後に、就職できたとの連絡がヴィッキーさんの元に入った。
 そしてもう一つ、図書館の従業員にとって印象的な出来事があった。心に重い障害を持った、クリステルちゃんという11歳の四肢麻痺の少女がいた。彼女は言葉で感情を表すことができず、悲しそうな顔が印象的だった。
 そしていつもの様にデューイはクリステルちゃんの元に駆け寄った。その時!クリステルちゃんが生まれて初めて言葉を発し、感情を表したのだ!!その後もデューイは彼女のやってくる曜日になると、まるで待ち望んでいたように駆け寄っていき、二人の時間を過ごし続けた。デューイといるクリステルちゃんの微笑みは館内でひときわ輝いていたという。
1_06  人の心が分かる猫、そんな噂を聞きつけて人々がデューイに会いに訪れると、彼の人懐っこい性格に惹かれ誰もが癒されていく。こうしてデューイの評判は町中に広まっていった。デューイが来て半年、図書館の利用者は目に見えて増えていった。
 そしてある日、娘のジョディがデューイに会いに来たのだ!生意気な口調は相変わらずだったが、ヴィッキーさんは娘の変化を肌を感じた。
 そして、なんと地元の新聞社がデューイの記事を一面で取り上げたのだ!さらに、図書館を訪れた市議会議員が図書館にいるデューイの様子を見て、「たくさんの予算は出せないが、寄付を募るなら応援をしよう」と言ってきたのだ。デューイは市議会までも動かしたのだ!!
 市の応援もあり、図書館の改装工事が可能になった。そして1989年7月 デューイが来て1年、スペンサー図書館のコンクリートむき出しだった壁は美しく塗り替えられた。
 そしてこのことで、なんとデューイは全国紙やテレビでまで取り上げられ、地元アイオワ州はもとより、他の州からもデューイに会いたいという人々が図書館に殺到したのである!!こうして、図書館の利用者は年間で約4万人も増えた。
1_07  その後もデューイは周囲に変化をもたらし続けた。毎日一人寂しく、母親の帰りを待っていた男の子。彼の母親が昼間に突然現れた。親子は新たな人生と職を見つけ、笑顔で旅立っていったという。
一方ヴィッキーさんも、デューイのおかげで娘との会話が戻ってきた。
 そして、スペンサーに大きな転機が訪れた。市が、大手食肉会社の工場の誘致に成功、町の経済が上向きだしたのだ!実はこの陰にはデューイの存在があったのである!!ちょうどこの頃、世界中のメディアに取り上げられ、日本のテレビ局も取材に来るまでになっていた。
 こうして様々な特集番組が組まれ、スペンサー図書館にデューイありと世界中の人々に知れ渡ることになったのである!!そして、デューイが有名になると共に町の知名度や好感ども飛躍的にアップしていったのだ!しかし、この時はまだ誰も予期していなかった・・活気づき始めた商店街に黒い陰が忍び寄っていることを!!
1_08  町の経済が上向き初めて2年、市当局と大型スーパー・ウォルマートがスペンサー市への進出について大筋で合意したのだ。しかしこれは、地元で店を営む市民にとっては死活問題だった。ここまで復興したスペンサーの商店街に最大のピンチが訪れたのだ!!
 そんな中、ある日ヴィッキーさんが倒れてしまった。検査の結果、進行性の乳がんが見つかったのだ!!まだ切除しない選択肢も考えられたのだが、万全を期すために両乳房の切除を勧められた。ヴィッキーさんは出産時に大量出血をし、子宮と卵巣を摘出していたのだ。この上、胸もとってしまったら・・・恐怖心から、手術に踏み切れないでいた。
 一方、大型スーパーを誘致したい市と商店街の間には埋めがたい溝ができていた。市と商店街の話し合いが行われている会議室から「俺たちがのたれ死にしても良いというのか!」という言葉が漏れ聞こえてきた。その時、ヴィッキーさんの脳裏に浮かんだのは、全身凍傷で瀕死だったにも関わらず懸命に生きようとするデューイの姿だった。そして、ヴィッキーさんは手術する決心をした。
 話し合いは、商店街側の一方的なものになっていった。すると、デューイはその話し合いの場に入り、何か言いたげな様子で佇んでいた。そのデューイの様子を見た商店街の人々も、諦めずに必死に生きようとしたデューイの姿を思い出し、自分たちのできることをできるだけやってみようと思うようになっていった。
1_09  絶望の縁にあった人々の心が、少しずつ変わり始めていた。デューイの存在によって、みんなの心に小さな勇気が生まれていった。諦めるものは誰もいなかった。スペンサーの商店街は真っ向勝負に出た!
 ヴィッキーさんの乳房の全摘出手術が無事成功し退院が許された頃、いよいよ大型スーパー・ウォルマート開店当日の朝が訪れた。大々的に宣伝され、州の外からもお客がやってくることは間違いない。
 町に出たヴィッキーさんが目にした光景は驚くべきものだった!!それは、大型スーパー・ウォルマート進出前にもなかった、人々でごった返す商店街の姿だった。ここが失業者であふれかえっていたとは到底思えない。
1_10  その後、順調に快復したヴィッキーさん。 2003年には娘のジョディさんが結婚。彼女は母に向けて一通の手紙を贈った。そこには、今まで素直になれなかったジョディさんの感謝の気持ちが熱く綴られていた。
 2005年、デューイは17歳になっていた。人間の年で言うと90歳、老いは確実に進み、ヒーターの前で眠る日が増えていた。
 そして・・・2006年11月29日 寒い冬の日、出会ったときと同じようにヴィッキーさんの腕の中で静かに生涯を終えた。
 すぐさまデューイの死は世界中に配信され、その死亡記事は実に世界で270紙以上に掲載された。 12月中旬、デューイを愛した人々が図書館に集まり人生に大きな影響を与えてくれた友達を追悼した。
 人々の心の中には今でもデューイは生きている。私たちが挫けそうな時、その笑顔で生きる勇気を与えてくれたデューイ、彼はきっとこの世に舞い降りた天使だったに違いない
1_11  現在、さらなる金融不況の波にさらわれているアメリカ。スペンサーの町もその影響を受けているのだが、住民の心の中には今もデューイのメッセージが生き続けている。
 実はヴィッキーさんは図書館を退職した後、デューイが伝えてくれたメッセージをたくさんの人に伝えようと本を執筆した。全米でベストセラーとなり、昨年日本でも出版された。
 さらに昨年末、ハリウッドでの映画化が決定したのである!!



☆人間は弱いけれど強くもなれるというメッセージがたくさんあった日でした。