January 26th, 2009

夜の充実!生きる厳しさ。南アフリカ連邦の現実と沖縄戦。

 日曜日の夜の充実はいつもながら嬉しい。
 食器を片付けお風呂から出ると、ソファーにゆったり潜ってテレビを観た。
オキナワ戦で生き延びた語り部達がテープに吹くこみ、毎日のように事実を知らずために講演をしている。

 敗戦の日本の貧しさと哀しさ。
庶民が限られた情報で右往左往して鍾乳洞に入り真っ暗闇で食べるものがなくなり、生後数ヶ月の子を自分で絞めたと母は語る。夫が死に生き残った息子も死ぬ。再婚して他に子が恵まれても忘れなれない体験。
世界中でいまだ起きてる弱い庶民の無抵抗な現実。
沖縄には未だ行ってないけれどやはりこの事実をもっと知らねば。

 ☆南アフリカ共和国(みなみアフリカきょうわこく、英語: Republic of South Africa、アフリカーンス: Republiek van Suid-Afrika)は、アフリカ大陸最南端に位置する共和制国家。通称は、南アフリカ、略称は、南ア(なんア)。

首都はプレトリア(ツワネ市都市圏)[6]。イギリス連邦加盟国。
概要

かつては有色人種に対する人種差別で知られ、それらは1994年に至るまで、アパルトヘイトと呼ばれる合法的な政策によるものであった。鉱物資源に恵まれ、金やダイヤモンドの世界的産地であり、民主化後の経済発展も注目されている。従来のBRICs(ブラジル (Brazil) 、ロシア (Russia) 、インド (India) 、中国 (China) 、sは複数形)に加え、BRICSとしてSが南アフリカ (South Africa) を表す用法も定着しつつある。 また、BRICsからロシアを除いて南アフリカを加えたIBSAC(India, Brazil, South Africa, China) という用語が、G7でイギリスによって提唱されたこともあるが、エイズの蔓延、教育水準の低い非白人の貧困、治安の悪化など懸念材料も多い。

国名

11の公用語を採用しており、公用語で正式名称も異なる。

* アフリカーンス: Republiek van Suid-Afrika
* 英語: Republic of South Africa
* ズールー語: IRiphabliki yaseNingizimu Afrika
* 南ンデベレ語: IRiphabliki yeSewula Afrika
* ペディ語(北ソト語): Rephaboliki ya Afrika-Borwa
* ソト語(南ソト語): Rephaboliki ya Afrika Borwa
* スワジ語: IRiphabhulikhi yeNingizimu Afrika
* ツォンガ語: Riphabliki ra Afrika Dzonga
* ツワナ語: Rephaboliki ya Aforika Borwa
* ヴェンダ語: Riphabuḽiki ya Afurika Tshipembe
* コサ語: IRiphabliki yaseMzantsi Afrika

独立後、イギリス連邦を脱退する1961年迄は「南アフリカ連邦」と呼ばれていた。

歴史
ヤン・ファン・リーベックのケープ上陸

南アフリカ共和国年表も参照。

紀元前数千年ごろ、狩猟民族のサン人(ブッシュマン)と、同系統で牧畜民族のコイコイ人(ホッテントット:吸着音でわけのわからない言葉を話す者の意)が住んでいた。また、300~900年代には、赤道に近い方に住んでいたバンツー系諸民族が南に移動し、現在の南アフリカに住むようになる。

15世紀末の1498年になると、ポルトガル人のバルトロメウ・ディアスがアフリカ大陸南端の喜望峰に到達した。

1652年にオランダ東インド会社のヤン・ファン・リーベックがやってきて喜望峰を中継基地とした。喜望峰は航海上の重要な拠点として注目されたからである。以後、オランダ移民は増え、ケープ植民地となった。この植民地に形成されたボーア人(Boer アフリカーンス語読みでブール人とも呼ばれるが、以下ボーア人で統一)の領地拡大とともに原住民との争いも起きた。一方、彼らや奴隷との混血も進んだ。

18世紀の終わり頃になると金やダイヤモンドの鉱脈を狙って、イギリス人がやってくる。ボーア人とイギリス人が対立、1795年イギリスがケープタウンを占領する。
イギリスの強制収容所でのボーア人の女性と子供

19世紀に入ってオランダからイギリスへ正式に譲渡され、イギリス人の移民が大量に行われる。英語が公用語になる、イギリスの司法制度が持ち込まれるなどイギリスの影響が強まる。それとともに、英語を解さないボーア人は二等国民として差別され、自らをアフリカーナーと呼ぶようになる(以下ボーア人をアフリカーナーとする)。奴隷労働が廃止されると、それに頼っていたアフリカーナーの農業主は反発、奥地へ大移動を開始する(グレートトレック)。バンツー系民族と戦いながら内陸部へと進みトランスヴァール共和国やオレンジ自由国を建設する。イギリスとの対立から2回にわたるボーア戦争に発展、第一次ボーア戦争では両国がイギリスを退けたが、第二次ボーア戦争では敗北し、それらも全てイギリスの手に落ちる。

1910年5月31日に、4州からなる南アフリカ連邦(Union of South Africa)として統合独立し、大英帝国内の主権国家としてアフリカーナーの自治を確立する。その一年後の1911年に、鉱山における白人・黒人間の職種区分と人数比を全国的規模で一般化する、白人労働者保護のための最初の人種差別法、鉱山・労働法制定される。それからも人種差別法はいくつも制定される。

そして、1948年に政権を握った国民党(アフリカーナーの農民や都市の貧しい白人を基盤とする政党)は、アパルトヘイト政策(人種隔離政策)を本格的に進めていくようになる。国連の抗議やアフリカ人民評議会などの団体の抵抗などがあるもののアパルトヘイト政策をやめることはなく、むしろ反発した。(この背景には、ボーア戦争トラウマとも言うべき諸外国への根強い不信感が指摘されている。)

1961年イギリスの人種差別に対する非難を受け英連邦から脱退して国名を「南アフリカ共和国」に変え、共和国になる。一方で、日本は白人ではないにも関わらず白人として扱うという名誉白人とされ、南アフリカ政府や南アフリカ企業と深いつながりを持つことになる。
ロベン島にある刑務所。刑務所は反アパルトヘイト運動により反逆罪として逮捕された政治犯の強制収容所として使われ、ネルソン・マンデラやウォルター・シスール、ロバート・ソブクウェ等が収監された。ロベン島は1999年に、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。

1980年代、反体制運動は激しくなり、国際的に経済制裁を受け、南アフリカ各地で反アパルトヘイト運動が高まる。1990年代になってようやくアパルトヘイト関連法の廃止、人種差別の法律の全廃を決定する。

1970年代から1980年代にかけて6発の核兵器を密かに製造・配備をしていたが、核拡散防止条約加盟前に全て破棄していたことを1993年に発表した。

1994年4月に、全人種参加の総選挙が実施されアフリカ民族会議(ANC)が勝利。ネルソン・マンデラ議長が大統領に就任した。副大統領に、ANCのターボ・ムベキと国民党党首のデクラーク元大統領が就任。イギリス連邦と国連に復帰。新しい憲法を作るための制憲議会が始まる。1996年に新憲法を採択。国民党は政権から離脱した。

アパルトヘイトが撤廃されて21世紀になっても、依然として人種間失業率格差が解消されないでいた理由は、アパルトヘイトが教育水準格差をも生み出していたことが最も大きな要因と考えられる。アパルトヘイト撤廃によって、即日、雇用平等の権利を得たとしても、当時の労働人口の中心となる青年層は既に教育水準の差が確定してしまっており、アパルトヘイト時代に教育を受ける機会を得られなかった国民は、炭坑労働者など、雇用が不安定な業種にしか職を求めることができなかった。さらに鉱山は商品市況によって、炭鉱労働者の雇用または解雇を頻繁に行うこともあって、黒人の失業率は白人のそれと比べて非常に高い統計結果がでてしまうのである。しかし撤廃後12年以上が経過し、教育を受ける世代が一巡したことで、白人・黒人間の失業率格差は縮小しつつある。また政府は、単純労働者からIT技術者の育成など技術労働者へ教育プログラムなどを用意し、国民のスキルアップに努めている。今後、失業率の問題は、人種間失業率格差から、数十あると言われる各部族間格差を縮小させるような政策が期待されているが、犯罪率も高く、多くの過激派組織も活動している点は否定できない。

地理
南アフリカ共和国の地図

アフリカ大陸の最南端に位置し、ナミビア、ボツワナ、ジンバブエ、モザンビーク、スワジランドと国境を接し、レソトを囲んでいる。南西部は南大西洋に面し、南部から東部にかけてはインド洋に面している。

気候

夏期は10月から3月、冬期は5月から8月である。地域による差はあるのだが、一年を通じて気候は比較的温暖で日照時間が長い。

しかし、海岸部以外は高地なため同緯度の国に比べやや気温は低い。国全体の平均気温は、冬が0度から15度、夏が20から40度と差が大きい。内陸高地の冬の気温は0度以下になることもあり、ドラケンスバーグ山脈のような高い山の山頂では降雪もある。東部の海岸は高度も低く、暖流のモザンビーク海流が流れているために暖かい。西部の海岸は寒流のベンゲラ海流の影響を受けて気温はそれほど上がらない。

☆もうひとつの印象深い番組は「黒いダイアモンド 南アフリカ連邦の今」だ。
アパルトヘイトがなくなって一致して政府に反対した人たちの間で格差が始まっている。
8%の富裕階層と20%を越える失業者だ。
成功した黒人達の一部は政府に対して闘ってきた人たちでマンガン発掘の権利を得て200億を越える収入があり、同志である株主達に配当で1億円配ったという。自宅を買えた人の夢のような幸せを語るシーンもある。
 ネルソン・マンデア議長の友人は今は大きなショッピング・モールの経営者として白人社会にも受けいられている。多くの黒人達を雇うために成功して最大なモールは垢抜けてファッション・リーダー的な若者達もブティックで元気に働いている。
 貧しい田舎から出てきた青年はホテルを建ててサッカーの大会に備えようとしているが資金不足だ。彼の支えはアメリカ大統領になったオバマだ。彼に勇気をもらえると写真を飾っている。
 サッカー競技場の建設も始まり、その前の広場に住むビニール・テントの貧困階層はその時は撤去されているという。
 裕福な人たちの住む住宅地にも黒人の成功者「黒いダイアモンド」は暮らしている。治安をまもるためにガードマンが周っている。
 黒人たちのなかの格差が同じ黒人を犯罪のターゲットにしている。

 ヨーロッパより2年送れて流行るファションを利用してお金儲けに来る中国人や韓国人たち。皆、それぞれの夢を背負って生きる。

 大きな教会。
 成功者も貧しい人も3時間にわたって祈る。
 皆が幸福になり欲にまみれないで一致して神の世界を実現するようにと。

☆☆☆
 世界には同じ問題が起きている。
 成功した家族達の裕福な洗練した暮らし。
 高級なブランドを着て高価な車に乗る暮らしと食べるものを漁る生活。
 成功した人たちの誇り高い顔と信念。白人とも堂々と渡り合う。
 そのようにして南アの独立を勝ち取ったのだから筋金入りだ。
 かといって、無気力になっている弱い人を捨ててはいけない。
 共存の方法があるはず。
 自動車会社のあちこちの破綻はアフリカの事業経営者たちにも影響を与えている。
 あっちに風が吹けばこちらは倒れる世界の繋がり。
 オバマも大変だが、時間は待ってはくれない。
 富裕層は少しでも失業者を背負うしかない。
 日本でも起きているレッスンだ。



☆月曜日はゴミ出し日なのでプチ・スタジオに行ってゴミをチェックしてゴミ出しと片づけをした。
もう、湯船を使わなくなったので掃除して、明日乾くので倉庫として使って部屋を有効にする。

 誰もかも寝静まった居間で、静かに読書するのが最大の楽しみ。
エミール・ゾラの「制作」を読んでいるのだが、セザンヌと支えた奥さんのであったシーンから絵描き仲間との若い日のパリの話。
とても魂が喜んでいる。
こんな本はそう多くない。
困難のさなかなのだけど、美神に愛されたもののいつもの迫害がバッシングも若い恋人の支えの中で幸せな日々だ。

 5時まで読んで寝室にあがる。
この間、部屋の片付けと洗濯機と乾燥機を終えるので全部終わるとこのくらいの時間になる。

苦しみはない。光だけが!

 今日は朝も目覚め良く(いつものことですが)、銀行に行くために家を出ました。
娘と主人が留守なので妙に解放感が。庭師が庭にいましたが。
目黒駅でアンゴラの可愛いカーディガンが50%引きなので買ったのと靴下と下着を買いました。
娘が友人と夕食と言っていたので夕飯は作らなくていいので読書できそう。


 おやつは苦いチョコと苺のショートケーキを3切れで、それでも荷物一杯になりました。

☆メールを読んでいたら宅配便に送ったつもりの送り先からなんでも私は送料を払わなかったとコンビニから電話があったそうです。そうなのよね。現金が無かったのでコンビニ内のカードで1万円引き出したのはいいけれど、そのままドアから出て銀行や隣駅の買い物に行ってしまったのです。

 私は運気がこのところ凄くいいと思ってます。
夢があまりにも実現してしまう。
それも凄いスピードで。
私のプチ・スタジオにはユリゲラーのクリスタル・ピラミッドというのがあって有る一定の時間ユリゲラーが金運の為に祈りを送ってくれているのだそうです。
それとロッキー田中さんの「富士」の写真があるのです。縁起屋さんと言う幸運グッズのお店で購入した額入りの写真ですが、本当にダイアモンド富士と言って湖水に映る姿がダイアモンドに見えるこれも金運にいいようなのです。他にもアイルランドの幸運の四葉のクローバーの石とかいろいろあります。
それと自宅2箇所、スタジオ1箇所、父の家1箇所のトイレ掃除が随分有効だったらしくこのところ毎日幸せシャワーなのです。

 今はプチ・スタジオの片付け中なのでもう十分幸運を頂いたので、他の方に飾ってもらいたいと今日はロッキー田中さんの額入り写真と小林正観さんの近日本を宅配便で送ったのでした。

※もし、皆様の中でユリゲラーのクリスタル・ピラミッドをご希望の方はプレゼントしますので申し出て下さいね。金運だそうです。そうして、お金持ちになったら次の希望者に送ってくださいね。
鰯の頭も信心からです。綺麗ですよ。置物としても品が悪くないです。

☆娘の頼まれ物の宅配便も無事受け取ったので10時まで、プチ・スタジオの片付けに参ります。
 とにかく物持ちの私ですが、片付けていると忘れていたものが沢山でてきて楽しいですね。
 20代にしていたファンシー・グッズの仕事もまたやりたいな。
 バブルの時も今のように厳しいご時勢も同じように見ている優しい神の眼。

 素敵なゲームですね。
 さあて、困難をどう克服するか?
 お金より頭を使えとのこと。
 無い知恵を絞るぞ!