February 2nd, 2009

小林多喜二は2月に死んだ!

 昨晩は本を読んでいるうちにベッドで3時間くらい寝て、再び起きてきて「李香蘭」のパート1を観て、深夜の1時間半の「小林多喜二・20歳の命」を観ました。

 虐殺された写真もありましたからずいぶんショックを覚えました。
彼の生きた頃、始まる大戦争へ死を掛けての抵抗。彼の死後起こった第二次世界大戦で無残にも変わり果てた日本の風景と普通の人たちの遺体が寝ている東京の街。

 多喜二も無念でしょうが、普通の人たちの死も無念でしょう。
小林多喜二
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小林多喜二
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下川沿駅前の生誕碑

小林 多喜二(こばやし たきじ、1903年10月13日 - 1933年2月20日)は、日本のプロレタリア文学の代表的な作家・小説家である。秋田県北秋田郡下川沿村(現大館市)生まれ。
目次
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* 1 来歴・人物
* 2 近年の動き
o 2.1 小林多喜二シンポジウム
o 2.2 ドキュメンタリー作品
o 2.3 『蟹工船』ブーム
* 3 注
* 4 関連項目
* 5 文献
* 6 外部リンク

[編集] 来歴・人物

4歳の時に北海道・小樽に移住。生活は豊かではなかったが、伯父からの学資を受け小樽商業学校から小樽高等商業学校へ進学。在学中から創作に親しみ、文芸誌への投稿や、校友会誌の編集委員となってみずからも作品を発表するなど、文学活動に積極的に取り組んだ。小樽高商の下級生に伊藤整がおり、また同校教授であった大熊信行の教えを受ける。この前後から、自家の窮迫した境遇や、当時の深刻な不況から来る社会不安などの影響で労働運動への参加を始めている。

卒業後、北海道拓殖銀行(拓銀)小樽支店に勤務(この頃、悲惨な境遇にあった恋人田口タキを救う)。1928年の総選挙のときに、北海道1区から立候補した山本懸蔵の選挙運動を手伝い、羊蹄山麓の村に応援演説に行く。この経験がのちの作品『東倶知安行』に生かされている。同年に起きた三・一五事件を題材に『一九二八年三月十五日』を『戦旗』に発表。作品中の特別高等警察による拷問の描写が、特高警察の憤激を買い、後に殺害される引き金となった。

翌1929年に『蟹工船』を「戦旗」に発表し、一躍プロレタリア文学の旗手として注目を集め同年7月には土方与志らの新築地劇団(築地小劇場より分裂)によって『北緯五十度以北』という題で帝国劇場にて上演された。だが同時に警察(特に当時の特高警察)からも要注意人物としてマークされ始める。同年「中央公論」に発表した『不在地主』がもとで拓銀を解雇[1]され、翌年春に東京へ転居。日本プロレタリア作家同盟書記長となる。1930年5月中旬、『戦旗』誌を発売禁止から防衛するため江口渙、貴司山治、片岡鉄兵らと京都、大阪、山田、松阪を巡回講演。23日に大阪で日本共産党へ財政援助の嫌疑で逮捕され、6月7日、一旦釈放された。

24日に帰京後、作家の立野信之方で再び逮捕され、7月、『蟹工船』の件で不敬罪の追起訴を受ける。8月、治安維持法で起訴、豊多摩刑務所に収容された。1931年1月22日、保釈出獄。その後神奈川県・七沢温泉に篭る。1931年10月、非合法の日本共産党に入党し、11月上旬、奈良の志賀直哉邸を訪ねる。1932年春の危険思想取締りを機に、地下活動に入る。8月下旬、自らの地下生活の体験を元に『党生活者』を執筆した。

1933年2月20日、共産党に潜入していた特高警察のスパイ三船留吉からの提案により、赤坂の連絡場所で三船と落ち合う予定にしていた。しかし、今村恒夫とともに訪れたその待ち合わせ場所には、三船からの連絡により張り込んでいた特高警察が待機していて、多喜二はそこから逃走を図ったが、逮捕されてしまった。同日築地警察署内においての取調べについては、今村から話を聞いた江口渙が戦後発表した「作家小林多喜二の死」という文章を、手塚英孝が『小林多喜二』で紹介している。それによると、警視庁特高係長中川成夫の指揮の下に、小林を寒中まる裸にして、先ず須田と山口が握り太のステッキで打ってかかった[2]とある。その後警察署から築地署裏の前田病院に搬送され、19時45分に死去した。

なお、警察当局は、翌21日に「心臓麻痺」による死と発表したが、翌日遺族に返された多喜二の遺体は、全身が拷問によって異常に腫れ上がり、特に下半身は内出血によりどす黒く腫れ上がっていた。しかし、どこの病院も特高警察を恐れて遺体の解剖を断った。死顔は日本共産党の機関紙『赤旗』(せっき)が掲載した他、同い歳で同志の岡本唐貴により油絵で描き残されている。中央公論編集部は、多喜二から預かったまま掲載をためらっていた『党生活者』の原稿を『転換時代』という仮題で『中央公論』(1933年4-5月号)に、遺作として発表した。3月15日には築地小劇場で多喜二の労農葬が執り行われた。

なお、小林多喜二の殺害を命じた特高警察部長は安倍源基であり、その部下であった特高課長毛利基、警部中川成夫、警部山県為三の三人が直接に手を下している。

[編集] 近年の動き

[編集] 小林多喜二シンポジウム

生誕100周年を迎えた2003年以来、白樺文学館多喜二ライブラリー主催「小林多喜二国際シンポジウム」が2年連続で開催され、2005年秋には、中国河北省の河北大学で「第1回多喜二国際シンポジウム」が、中国各地および日本をはじめ中国国外から研究者約200名を集め開催された。その記録は、白樺文学館多喜二ライブラリー編 / 張如意監修『いま中国によみがえる小林多喜二の文学-中国小林多喜二国際シンポジウム論文集』(東銀座出版社、2006年2月。ISBN 4-89469-095-0)に収められている。

[編集] ドキュメンタリー作品

* 映画「時代(とき)を撃て・多喜二」 - 生誕100年・死後70年を記念して、記録映画が「時代を撃て・多喜二」製作委員会によって製作され、日本各地で巡回上映がおこなわれた。
* TV番組「小樽商科大学創立100周年記念 ヒューマンドキュメンタリーいのちの記憶 -小林多喜二・二十九年の人生」(HBCテレビ製作) - 2008年5月31日放送、同年11月17日再放送。

[編集] 『蟹工船』ブーム

蟹工船を参照

若い世代における非正規雇用の増大と働く貧困層の拡大、低賃金長時間労働の蔓延などの社会経済的背景のもとに、2008年には『蟹工船』が再評価され、新潮文庫の『蟹工船・党生活者』が50万部以上のベストセラーになっている。

☆多喜二の本は若い時も読みましたが、最近のブームで漫画本も含めて再び読みました。
テレビではお母さんが書いた文章が紹介され、俳優さんが死後の多喜二碑などに寄せる想い等演じて語ってました。多喜二さんの奥さんになった方の写真もでてましたが本当に美しい方で彼女は退職金を全部、多喜二さんに渡したそうです。29歳の死後多喜二さんの遺体を見て、頬ずりしていたそうで、遺骨を分骨で持っておられて再婚相手が彼女の死後手紙など好意で公開されたとか。多喜二さんの恋人であった美しい方も貧しく厳しい環境の中で「いつでも多喜二さんがみているから。」と子に先立たれたお母さんを慰めたとか。苦界から多喜二さんが救って健気にも立派に生きた女の方です。
 若い時から知り合いの伊東整やバイオリンを買ってもらえた弟さんが偉くなってプロの交響楽団の第一バイオリン奏者になったとか、文章のお手本として崇拝した文豪を訪ねその方からも心に残ったと書かれたこととか。彼は本当に短い命でしたが兄弟を助け、苦界の女性を救い貧しさや差別の闇の中心を隠すことなく事実を書いたことで処刑されたのでした。

 今の格差社会や貧しい人たちの苦しい生活と重なるところがあってブームになっているそうです。
 2月に殺された多喜二さんを長生きされたお母さんは思い出されて「2月は嫌いだ。」と書かれた。

☆その前の山口淑子さんの物語も川島芳子さんがでてきたり、日本が中国と戦争になったので国籍が日本であることが分かるまで大変な誤解の為死刑罪に巻き込まれたそうです。
戦争前の中国と日本の映画界。聡明で美しい女性の使命が有るときは日中友好になり、あるときはスパイだと扱われるのですね。
 大衆に日々はやりきれない厳しい日常であり、映画とか音楽とかの娯楽は一種の救世の使命があるのだとふと気づきました。若い山口淑子さんはそう納得して映画や歌に自分をかけたのでした。
 芸術にも彼女は感じることが多かったのでしょう。彼女は戦後、彫刻家のイサム・野口さんと結婚しました。イサム・野口さんはフリーダの恋人。大物は大物ゆえに歴史の舞台に名を残すのですね。イサム・野口さんと別れる時に友人だった廬山人の陶芸をひとつづつほしいものを分けたとありますから、中国的合理主義を持った女性なのでしょうね。イサム・野口さんは山口さんが足を痛めていた時に安物のビニールのピンクのサンダルを履いたということで美意識が無いと烈火のごとく怒った問いのですから1流のアーティストは大変ですね。生活するには。
 世界的に端正なイサム・野口ファンの女性がいて彼の仕事を手伝っていたのですがなくなる前には「作品を託す子供を作ったおくのだった。」と後悔されたのでした。
皆、何かが足りないのですよね。それが人間なのでしょう。

☆「制作」の上を読み、「下」を10ページほど読んだところで寝ました。
 セザンヌさんをモデルにゾラが書いた本ですが純粋なアーティストと世俗的にうまくやっていく俗物アーティストが出てきます。いつの時代でも一緒ですね。セザンヌさんも食べ物がなくなるところにきます。同棲相手の彼女が自分のドレスを質屋に持って行ってお金を作ります。いつの時代も画家は貧乏で、彼のように自分に尽くしてくれる恋人がいる人は幸せです。

 そういえば、昨日会ったK君も恋人募集してましたね。
 尽くしてくれる方を募集しているそうです。
 女性から見れば、少し甘いのでは?

 私も結婚していますが、主人は尽くしてはくれませんよね。
でも、食べさせてくれるだけでとってもありがたいです。

☆人を助けることは難しいです。
 若い時に、「〇〇さん、生活が厳しいので仕事あげて。」と編集の人に言ったら、笑われて
「仕事はボランティアでないよ。いい仕事が出来る人を選ばないと雑誌が潰れてしまうからね。」といわれたことがあります。
 昨晩、帰って知り合いの窮状を家族に話したら「ママはパパに感謝しないと。ママだって絵だけでたべれないんだから。」と娘が言うので苦笑です。「だから、パパのお寿司は私達の2倍の値段の高級のにしたじゃないの。」と言ったのですが、私達は貧しい時に結婚したのでようやく人並みになってきたのです。

 又、最近ブログに「助けて!」と書かれた方が家賃を払えましたと感謝してました。
家賃も高い出費ですからこれからも大変なんでしょうね。
その方が甘えずきちんと将来も生きていけるような助け方が出来たらとおもいますが難しいのです。

 昨日会ったK君も「自分の教授は面倒見が悪いので頼れない。」と言ってました。
でも、私は教授に頼ったことないなあ。「それで、女性に尽くしてもらって生活しろと教えた教授はどうしたの?」と訊ねたら「死んだ。」とのことでした。
私は厳しいのでしょうか?
基本的に自分の伴侶は自分で探すべきで、尽くしてもらうことだけを考える結婚には無理があると思うのですが?
K君は「コノ頃、皆ご馳走してくれる。」といったのですが、私は割り勘にしました。1昨日にあの寒い雨を浴びてハチ公前で30分立っていて体がおかしくなっていたのです。冗談でないわ。健康な体と十分な学力があるのですから自分のことは自分でしてくださいと思いました。

☆格差社会も難しいのです。
同情できるものと単なる怠惰の場合もあるのです。
私も日曜日くらい休日にしたかった。連日でかけていると家の中が荒れてしまうのですよね。
やはりきちんとしていたいのです。

 今日は「大人の休日」のメンバーになる為に郵便局に支払いします。チェルノブイリへの寄金はします。彼らに罪はないもの。
今日はユリ・ゲラーの「クリスタル・ピラミッド」の希望者に会うために吉祥寺です。ボタンとビースのお店もあるのでとてもワクワクです。

 毎日、毎日いろいろなことがあるいけれどちいさな自分の判断を確かめつつきちんと生きたいと思います。

吉祥寺は楽しいね!「ろうそく祝日 聖母お潔めの日」

 今日はY子さんと吉祥寺でお待ち合わせです。
郵便局で「大人の休日」の会員になるべく会費を支払いました。30%もおやすくなるそうで、長野などの新幹線が2月は乗り放題で3日間12000円のコースがあるので申し込みます。
他に写真などいるのですが、近くに自動写真室がなかったので明日にしましょう。他は身分証明書のコピーもいるみたい。
 11時半に吉祥寺に着いたのですが、本屋さんの名前が変わったので少しさがしました。
それで、2人で伊勢丹へ。節約できるところは節約でお食事券を使っていただきました。そばとお寿司と茶碗蒸しとお団子や蕨持ちで1000円ですから皆お徳感が好きなのね。

 それから高級カーテン生地や椅子の張替え布の端切れ市へ。コテージのカーテンもお安くなるなら購入したいとチェックしました。ボタン屋さんやビーズ屋さんでもかわいいのがありました!キリがないので使えそうなものだけを!
 珈琲とケーキはY子さんにおごってもらっていろいろよもやま話にはずんでしまいました!
女性も賢くなるといつまでも男の奴隷じゃあないぞ!って感じかな?
可愛いお手ごろ価格のお洋服屋さんや雑貨屋さんなど楽しいところですね。
画廊にはへミング・フジコさんのカレンダーや版画があって、本当に良く売れてました。
シャガールさんよりも平山郁夫さんより売れている!ピアニストなのにね!
Y子さんはフジコさんのカレンダーを買われたのよね。私はフリーダのを買ったばかりなので見るだけ!
 井の頭公園を横切って井の頭公園駅まで行きました。
可愛い猫ちゃんのいる珈琲屋さんでもお話ははずみっぱなしです!
駅前には人形館があって天使の絵の個展をしていて、マトリョーシカのガラの布の入っているバスケットやリボンセットを買いました!400円!

 Y子さんから台湾の土産にお菓子やマトリョーシカ・ブローチを頂きました!持っていなかったので嬉しくて!食いしん坊の主人もこれだけお八つがあれば今夜はご機嫌でしょう!

 渋谷まで出てお別れです!
 五反田駅で6時で夕飯の支度を成城石井でしました。そうしたらいつもの「ビッグ・イッシュー」を売っていたので買いました。


☆人間ってたわいないです。
可愛いケーキや小物の楽しさで1日結構いい日になってしまう。
緑のある井の頭公園も懐かしくていい感じ!
それぞれの人生のちょっと苦味や辛味のあるところも笑い飛ばすいい年齢になったので、これからはもう最高にハッピーで行こうと思ったのでありました!

☆☆☆2月2日は ラ・シャンドルール 「ろうそく祝日 聖母お潔めの日」
クリスマス(冬至)のちょうど40日後にあたる2月2日は、シャンドルールと呼ばれる「聖母お潔めの祝日」にあたるキリスト教徒の祝日です。
聖 母マリア様がイエスを神殿に奉献する「お潔め」のユダヤ宗教行事の際、皆がろうそくを持って参列しお祝いしたと云われています。ラ・シャンドルールは「ろ うそくの祭り・光の祭り」を意味するラテン語から派生したもので、この日は家庭でクレープを焼いて食べるのが慣わしです。
こ の祝日はローマの多神教において春の訪れと共に農作業にもどる日でもあり、小麦粉で作るクレープを食べることで、その年の豊作を願う儀式でもありました。 また円盤形は太陽崇拝の宗教と関わりが深いと考えられます。キリストと光、その黄金色は太陽をも意味し、その丸い形は幸運の再来を願うものでもあり、その 謂われから黄金色で円盤状のクレープを食べる習慣となったのです。
情報サイト名でもある『plaisir de la table(プレジール・ドゥ・ラ・ターブル)』=“美食を楽しむ”という、料理の基本とも言うべき信念を大切に、フランス料理に興味を持つ一般の方はも ちろん、フランス料理の料理人を目指す方々や実際にフランス料理に携わる方までが幅広く利用していただければ幸いです。
2008年9月3日
フランス料理博物館 “プレジール・ドゥ・ラ・ターブル”
主宰 米津 春日
MCF Japon について
運営者
MCF Japon(エム・シー・エフ ジャポン)
所在地
〒601-8338
京都市南区吉祥院西ノ内町52 ディアステージ京都洛南313号
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代表者
フランス料理博物館“ プレジール・ドゥ・ラ・ターブル "
主宰 米津春日( YONEZU Harubi )
事務局
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業 務
フランス料理博物館“ プレジール・ドゥ・ラ・ターブル "の運営。
フランス料理に関する各種情報を総合的に発信するとともに、
各機関とのコラボレーションにより、フランス料理の発展と普及をめざす。