February 16th, 2009

明日から長野へ!

 午前中「大人の休日」から電話があって、上野まで足を運べば今日会員証の発券と明日からの3日間12000円で福井以北乗り放題のJR券を買えると知り、出かけました。

 主人がYシャツが無くなったというので、汚れたYシャツを出して沢山のクリーニングされたYシャツを持って帰りました。重たいですが、そのまま銀行に行き、今月のプチ・スタジオの家賃と購入した「芸術広場」から「HOLLY CARD]の写真集の代金を払いました。
そのまま駅のコイン・ロッカーのランドリーに行き洗濯物をいれ、上野までJRです。
今日は東北線と京浜線で人身事故です。
「おとなの休日」は混んでいて、ずいぶん待ちました。不手際を詫びてくれて入金下4000円ちょっとも返してくれ会員証も発券してくれたのです。1日仕事ですね。

 長野電鉄にも電話で話して水曜日の1時に新幹線の改札口で待ち合わせです。敷地にテープを張ったのの確認と私の祝別を頼んだ十字架をお渡しする為です。
ゆったりと1日前から出かけ、美術館など回れたらいいと思います。
先に北陸の福井に行くかもしれません。福井から長野は近いようなきがするので冬の日本海も見てみたい。一人旅って大好きなんです。予定もなく。しかし旅のガイドは買いましたが。

 さて、夕飯の支度をしてクリーニング袋を持って帰ってきたのですが、家を片付けて父の家の掃除は金曜日にしましょう。多分、色校正が出てくるので神保町から1本で帰れますしね。

☆電車の中で読んでいたのは「AERA]です。
40代の主婦達が専業主婦時代の10年の空白を苦しんでいるとか、女子大生のアンケートで就職か専業主婦かと問うと、意外と「専業主婦のが幸福そうだ。専業主婦になりたい。」とあったそうです。「勝間和代さんなどのキャリア・ウーマンは大変そう。」とか。

 このところ、大野左紀子さんのブログで日本の超1流大学をでて超1流企業に就職して独身できたが、別に大した学校を出てない女が男に媚びて子供を作り勝ち組のような顔しているのが不満と書いてあった増田さんと言う人の文章に感想を書いてあるブログを読みました。
大野さん自身は芸大の彫刻をでて名古屋芸大の非常勤講師をされ、ご主人は予備校の生物の講師をされているそうです。そして大学卒業後に個展を20年くらいされ、最近制作活動を断念され、「芸術症候群」という本を出されたのでした。それには芸能人アーティストのことなど書かれているそうです。早速、アマゾンでオーダーしましたがいまだ届いてはいません。

 私は芸大出ではありません。
 親が女子美のデザイン科に限って受験を許してくれたのでした。思いたって2ヶ月の受験でしたので受験用デッサンも色彩構成も2ヶ月しか習ってません。

 それでも、ひたむきに絵を描いてきたのですが、個展をしても大抵はそうは売れないものです。又、普通に新聞や雑誌に紹介されることもそうは多くはないです。
ですから、私も八代亜紀さんや加山雄三さんや工藤静香さんの絵が入選して個展もマス・メディアで騒がれ高価な価格で飛ぶように売れている現実には、なんだかアーティストってかわいそうと思いました。まして、私のように2ヶ月の受験準備で受けたところが1箇所なので落ちたという痛みもなく楽しくやってきたものとは違って、何十倍かの倍率で過酷な受験準備で何年も準備して入学された芸大の方達は嫌だろうなと思ってました。

 私は自分の職業を「主婦」と書くことも多いです。別にアーティストっていきがって日々いきてるわけではありませんが書きません。
今日の時代は猫も杓子も個展のできる時代です。例えば障害者の方が口でとか足で描かれた絵もよく話題になります。そういう時に私は健常でハンディもなく絵を描いてプロになるのは大変だなあと思いました。

 でも、それから、自由ではないかと思いました。
下手なおじいさんやおばあさんが老後の楽しみに絵を描いて孫や親戚のものや仲良し仲間に見せたいと個展をしてもいいではないかと。

 ☆毎年、銀座教会である復活祭とクリスマスの絵画展示は特別絵画レベルのチェックがあるわけではありません。教会の人の話だと「あんな程度の絵描きと一緒に作品を並べるのは嫌だ。」という大先生がいて不満を言うそうす。でも、それは違うんではないかと私は思うのです。

 ゴッホの絵は生前1枚しか売れなくて、鶏小屋の蓋にされていた絵もあるそうです。鶏小屋の蓋だったからと言ってその絵の価値が低くはなりません。絵がよければやはり傑作
〇〇画廊でしなくてはとか〇〇デパートではなければという考え方もありますが、最後には絵しか残らないのです。絵を見ていて〇〇美術館の名も丸々デパートの包装紙も見えてはこないのです。絵にはそれだけで十分なのですよ。

 ☆自負と言うのはいいなあと思います。
 でも、自負するあまり他人の絵をランクづけたり、蔑視するのは大変危険です。
恥をかくおそれがあります。
私の4年間学んだ「ボストン美術館付属美校」では成績表はつけなかったです。賢いではありませんか?それは、あまり評価しなかった卒業生が世に出て成功したり、あまり当てにならないことが長い間の経験でわかったんですよね。

 ☆私は特別有名になりたいとは思いません。
 しかし、こう生きてきたという自負と誇りはあるのですよ。
 芸能人の絵と比べてみる気持ちもなければ売れて羨ましいという気もないのです。
 それより、本当に見る目のある有数の方の目が怖いな。

 アートって年取れば年取るほど深いし、楽しい。
 アーティストって名乗る必要も無いのですが、人間が平等に365日24時間与えられた時間をどう使って少しでもいい作品を作るか日々考えるのは楽しいです。
お金だって無くても描ける。本当に一生懸命描いていると天が助けてくれる。
天は学歴なんかは見ない。

 芸能人の絵も上手いかもしれない。観ていないのでなんとも言えない。

偏見で下に見たくはない。

 ☆作品って売れるから作るものではなく売れないから作らないものではない。
 お商売とは違うので売れ残ったからと言って失敗ではない。

 私もこのアートの世界に入ってもはや40年になりますが、ずいぶん酷い世界だと思う
人の何十倍頑張った人が成功するわけでもないし、時流と言うのもあるので必ずしももてはやされなかったといっても少し早かったり遅かったりの問題だったり。
技術が完璧な人よりも習ったことも無い人が美術家に評価されたりする。

かければかけるほど辛いと思いますよ。
 アメリカにいたときも50代の日本人画家が自殺したりというニュースが入ってきた。
 自分のより下手な奴がとか悔しいこともあるでしょうね。

 でも、絵を描けるだけで幸せと言う境地が有る。
 認められるか認められないかは超越した世界。


 人間の世はいつだって難しい。
 「なんであんな人が。」と思う人が成功して愛されているかもしれない。
 頭が良くても家庭の事情で大学にいけないこともあるでしょう。
 そういう人のことを考えると、文句は言えない。

☆この間あったK君も芸大の彫刻科を出て50歳。親のコネで大学教授をやっている仲間が沢山いるといっていた。「でも、私の知っている人はコネなしで最近R大学の教授になったよ。友達の推薦だって。」

 毎日、誰かが見ている。
 ちいさなことをしっかり丁寧にやっていると本当に素晴らしいことになるのは私は経験でわかっている。

 驕らないことよ。
 学歴無い人は多分数倍努力しているでしょうね。それで名が出たアーティストはたくさんいる。
 学歴がある人は無い人に対して優しくなることが大切だと思う。
 だって、そういう環境に生まれ多少バイトしても絵の学校に行けたのだもの。

☆私にとってアートってそうなに凄いものでもなんでもない。
 でも、パリでね。タクシーの運転手が「アーティストってなんと美しい仕事なんだ!」と憧れるように言っていた。
 日々、辛いことが無いわけではない。
 でも、私はアーティストなんだと思うと耐えられるかな?

 どんな犠牲を払ってもどんなに無視されても、絵を描き彫刻を制作する時に幸せではないの?認められなくても認められてもその幸には叶わない!

☆本が届いたら、彼女がなぜ制作をやめたのかわかるかも。

ユニクロに強盗!!!

 今日の夕刊。
ユニクロに強盗。堺の信用金庫に強盗。
質屋も不況。
いよいよ想像以上の深刻なご時勢となった。

 ユニクロに入った31歳の男は父が病気で大金が入用だったそうだ。
現実社会でこのような場合、誰も助けてくれないのだろうか?
又、「AERA」によると親戚や肉親にはお金は借り難いものだとあった。説教などうるさいからか?

 質屋に25万円以上で昨年買ったばかりの指輪で3万円しか借りられないケースが例に出ていた。
この頃は質草を出せず、流してしまう例も増えたそうだ。それで質屋さんも苦しいのだそうだ。

☆昨晩検索して出てきた名古屋の骨董品屋さんで、あまりにもぼったくり値段の質屋が倒産していった話が出ていた。あってないような骨董品でも適正価格があるのだという。
これは、本当であると思う。

 私の経験でも、おとなしそうだからとか訴えないであろうからと安くこき使ったりただ働きさせる店はとても正確に倒れていった。それで当事者が学べば少しは成長するのだろうか?

 このところ肉親の殺人が多くなった。子殺し、親殺し、兄弟殺し。
 誰でも安全に住める場が無くなりつつある。

 強盗するほうがいいのか自殺するほうがいいのか、恥をさらしても生きる方がいいのか

☆とにかく生活の遣り繰りを頑張る。
どんなディスカウント・チケットより「大人の休日」は安い。最初の数回が2割引きでその後は3割引きだ。年とるっていいことがあるのね。長生きしなくては損ですよ!

 今日、上野の本屋さんで山積みの曽野綾子さんの本があった。買わなかったけどタイトルが「不幸の数より幸福の数を数える」というもののようだった。
私もそう思う。主人の欠点をあげつらうよりも、生活費を確実に貰うほうが先。とにかく雨露しのげるのはありがたい。
娘だってできが良くは無いが、いないよりは数段いい。
実の母とは折り合いが悪くて。いつも負けていた私は泣いてばっかりだったけれどおかげで世間が楽だった。
ずいぶんただ働きさせられたけれど、天国貯金になっているらしく今はお金に困らない。
どんな粗食でも平気だし、娘のお古だって着てしまうし、掃除だって介護だってやりますよ。
貧乏なアートの世界を選んでいたので、今の不況も今までと変わらない。
相変わらず、質素に生きる。

 安く仕上げるには手間を惜しんではいけない。
「大人の休日」だって随分手間がかかった。でも、これで、随分助かると思う。

 ユニクロの強盗さん、あなた捕まって良かったですよ。
お父さんの病気、きっと誰かが助けてくれると思う。
新聞でこんなに広まったのだもの。

☆吉祥寺に行った時に「サクラちゃん募金」というのをやっていた。11ヶ月のおじょうちゃん。もう、十何人か並んで「お願いします。」だった。嘘とは思わない。でも、細かいのが無くて1万円札しかなかった。
 昨晩、づっと「クロ詐欺」を読んでいると募金詐欺ともNPO詐欺とも出てくる。
ユニセフ日本も全額ユニセフにはいってないというのも聞いたことがある。
シスターが言っていたけれど「里親教育スポンサー」というのも1月に何千万も入ってきて、それを運用すると美味しいのだそうだ。

 私も素朴にいい若いものが、もう何年も前の「地震被災寄付募金」をたくさんでしているのを見ると不思議だ。働いてそのお金を寄付するという考えが無いのか?そして書いてもらう住所と名と電話番号が売れるそうです。よく、どこで知ったのか手紙が来ることがあるのでそういうことなのでしょう。

 現実に難病でお金のかかる子供がいる場合、街頭寄金以外の道はないのか?
難病の方は少なくない。その方達はどうされているのか?

「それで、ママ、サクラちゃん募金に寄付したの?」
「ううん、家の子だって大変だったけれど誰も助けてくれなかったしね。」

 とにかく情報漏れは怖い。
 友人でご主人が生活費を入れてくれない時期があった人がいて、お子さんは夏休みもどこへもいけなかった。家は一人っ子だから遊び相手にとお誘いしてお子さんを山に連れ、ミュージカルに誘った。その時は気持ちよく出費させてもらった。それから、15年くらい経って「〇〇大学に寄付してほしいの。」と言われたが、断わった。
寄付ってやはり、したくてするものだと思う。どうしても応援したいときなら「使って。」と喜んで出すし、それは魂を喜ばすと思うが、何か甘えになってはいけないような気がする。

☆「クロサギ」読んでいると、本当に悪い人って多いんですねえ。
詐欺師の嫌いな人は頭のいい人だそうです。

 でも、段々こんなに厳しい時代になって詐欺師も騙されるほうも凄まじいことなった。
今までは、なんというか少し騙されて楽しいというのもあった気がする。
「1点物と言って買ったのに、同じ洋服着ている人に会ったわ。」とか「あら、中国製じゃないの。」とか言っても、「馬鹿ね。」と笑っていられたと思う。
入学詐欺とか斡旋詐欺とか仲人口に騙されてといっても、どこかで間の抜けた自業自得のようなところがあって、そんなに悲劇ではなかったが、この頃は借金で物を買わされたりすると凄いお金を借金させられて地獄に行くそうだ。

 アートでは「絵画売買詐欺」と言うのがあったけど「現代美術詐欺」というのもある。
「贋作詐欺」の他に「絵を貸してください」といって、そのまま絵を持ってドロンというのもあるそうだ。

 男の人でも女の人でも不誠実な人なら「あなた一筋」も嘘だったりする。
結婚詐欺と言うのも汚い感じがしますがどうでしょう?
でも、どんな夫婦でも年とって昔話をすると、「詐欺!」って言ってしましますよね。

 「AERA」の記事の中で、結局は女は夫次第という古い解答が出てきました。
☆勝間和代さんって素敵です。スリムで美人でスタイリッシュで。
でも、疲れそうって感じはあるんですよね。

 ハズレの夫でも格差があるでしょうけれど、私は高望みしない主義ですのでハズレって感じはないです。世の中にはハンサムで家柄もよくお金持ちで誰でも羨むいい男っているでしょうが、自分だって完全でないのですからこんなもんだろうと思います。

 結婚詐欺でひっかかるのは自分を高く評価している人だそうです。
自分にはお金持ちでハンサムでエリート大学を出ている医者や弁護士がお似合いだと思う人ほどひっかりやすいのだそうです。

 それと楽して儲けようとする人。
 内職詐欺でもマルチ詐欺でも、楽して儲からないのが普通だと思う人はひっかからないそうです。詐欺師の方は手心を加えず、本当に取れるだけ取っていくそうです。
普通の家庭の慎ましい主婦や純朴な田舎の青年の優しい心に入ってくる詐欺もあるそうです。
親しくなって「今月、売り上げが足りないの。」とか「ノルマをこなしてないので叱られる」とか言って同情を買うそうです。

 こんなに厳しい時代に生き残れるには「No!」ときちんという能力や、知らない人を簡単に家に入れたりしないことですね。
私も前に「ものみの塔」に「家に上げてください。」って言われたけれぢ、断わりました。常識的にありえませんよね。
親しくてもお金を工面してくださいという人はどうかな?
知恵を教えてあげたほうが親切だとおもいます。そうすれば長く自分でやっていけるでしょう。

 ☆「クロサギ」って素敵な漫画です。
詐欺で被害にあった家族が無理心中をしてひとり生き残った青年が悪い詐欺師達に復習として詐欺してそのお金を被害者に届けたり、警察に捕まらせ2度と詐欺をさせないように20巻にありとあらゆる詐欺を法律にのっとり描いてます。最後も普通に健康的です。

☆誰でも完全な家庭環境で育つわけではないと思います。
家柄のいい人もいるし、そうでない人もいる。親が破綻している家庭もあれば幸福過ぎる家庭に育ち、思いもがけぬ結婚相手に地獄を見ることもある。
どんなに酷い環境でも素晴らしく輝いて生きる本当の優しさを見につけるこもできるし、誰をもが羨む家に生まれても道を誤る場合もある。

 だから、犯罪を犯す人も自殺をする人も、どこかでバランス良くいい人生にしてもらえたらなあと思う。自殺して死んだら次の人生でも。

 世が荒れているからこそささやかでも、しっかり生きれたらいいなあ。

グァダルペの聖母

「グァダルペの聖母」
この間、吉祥寺にお出かけしてカーテンさん屋さんの並びにあったお店で買ったロザリオはメキシコに現れた聖母です。明日、持って行く十字架を包んで何かカードを添えてと思ったら出てきました。開けるようになっており素敵な物語りとお祈りが書かれてました。

以降、コピーです。

 とても素晴らしい物語があります

 いまからおよそ477年前の、西暦1531年12月9日の夜明け頃、現在のメキシコ市に近い丘のふもとを、ファン・ディエゴと言う、57歳のインディアンが、ミサ(礼拝)に参加するために町に向ってました。
すると、丘の方から、彼に親しく呼びかける声がし、虹の形をしたまばゆい雲の下に、美しい貴婦人が立ってました。彼女は、その土地の言葉で彼にこう言われました。
「私は、この地上のすべてのものを造り生かしておられる神の子イエズス・キリストの母です。この丘のふもとに聖堂を建てて下さい。ここから私は、貧しい人、苦しんでいる人を助けたいのです。わたしは愛と慈しみを持って、すべての人を護り、人々に嘆き、悲しみや、その願いに耳を傾けましょう。さぁ、司教さまに、このことを伝えてください。」

 素直な心のファン・ディエゴは、司教様に聖母のことばを伝えにいきました。しかし、話を聞かれた司教様は、すぐには信じることができませんでした。ほんとうに聖母にあったのなら、その証拠を持ってくるようにいいました。

 この話をファン・ディエゴから聞いた聖母は、「丘に登って、そこに咲いている薔薇の花を摘んで持って行きなさい。」といわれました。

 12月には、けっして薔薇の花の咲くはずのないその場所に、薫り高い薔薇がたくさん咲いてました。ファン・ディエゴは、その花を摘み取って、マントに包み、司教様の元へ行って、その薔薇の花を見せました。すると、色とりどりの薔薇が床に溢れ、そのマントに聖母の尊いお姿が現れたのです。

 聖母は、その慈しみと哀れみ、そして変わらぬ愛で、いつの世も私達と共にいてくださるkとを告げしらせるために、このようにしてご自身の姿を残されたのです。

 現在、メキシコ郊外にあるグァダルペの大聖堂の祭壇にこの絵姿がかかげられています。そして、400年以上経った今もなお、この絵が色褪せる事も、朽ちることもなく、当時のままの姿で残っていることは、多くの科学者達にとって大きな謎とされており、今も世界中の巡礼者を惹きつけ、人々に深い感動をおよぼしているということです。

聖母マリアに取次ぎを願う祈り
(マリア様は、クリスマスにお生まれになった、すべての人の救い主であるイエズス・キリストのお母さんです)

 イエズス・キリストの母、慈しみあふれる聖母マリア、あなたは深い信仰と愛に生き、心の鏡、私達の模範です。
あなたのおもいやりは、わけ隔てなく、すべての人の上に
聖母マリア、わたしをきずつけ、つらく当った人を許すことができますように、心開かせてください。
病気の人や苦しむ人、孤独な人に慰めを、また、この世に生をうけることなく葬られ手行った小さな生命、そのいのちを育てることの出来なかった女性に、心の安らぎと救いをお与えください。
聖母マリア、いつも私のそばにいて、弱い私に力を与え、常に喜びを持って人々に奉仕できますように、助け導いてください。
(心の中で自由な祈りを捧げましょう)
 1988年6月2日   島本 要司教認可

☆この文章を写していると薔薇の香りがしました。
祈りとしてはずいぶん切実ですね。このような文章の祈りのものは初めて知りました。