March 21st, 2009

プチ・スタジオでワークをする!「二十四孝」の中から今日は孟宗を!

 プチ・スタジオを片付けながら、この間買ってきた木でできている扇形の箱に蓋にアクリルで絵を描いた。
扇子の蓋はスライド形式で開く。お八つでもちょっとしたピンや名刺も入れるサイズ。

 久し振りのワークは楽しかったのだけれども、結構画面を整えていくのは大変で思ったより苦戦!
  全部で8つありましたが、時間的に4つくらい仕上がればいいと思います。

 娘に買い物へ行ってもらって制作に従事しましたが、人間の緊張ってそうは続かないです。

☆自分の部屋の本をプチ・スタジオに運びました。
月曜日がゴミの日なので、その前に大掃除をして少し処分したいです。

 今日はどんよりって感じでした。
 人生には曇りの日ってありますが、今日は曇りかも。
 でも、晴れてはいたのよね。

 誰でもそうですけど無限大に増えていく作品はどうするのかしら?
私は結構ファイルや本も多いです。

 今日、届いた「狂乱二十四孝」は北森 こう著、角川文庫なんですけど、幽霊の絵から始まる川鍋狂斎(作った話です)の絵が起こす殺人事件らしいです。

今日は体力を温存するために少し休みましょう!

「親孝行」から「天孝行」。善ある人の希望の「二十四孝」を広めたい!

「二十四孝」は素晴らしい物語です。
 親には孝行です。
どんな酷い親だとしても、親がいなければ私達は生命を地上に持つことはできなかった

 私も長い間、実の母と合わないで苦しんできました。
昨日、読んだ週間誌に「O型血液の子から見てA型血液の母親はときどき継母だと思うほど冷たく理解しえない関係が有る。」と書かれていて、血液の問題だったのかと納得しました。
一方、父親とはO型どおしで、何でも与えたがる父親と子供の関係で良好とのことでした。

☆そんなわけで、学生の頃は1日も早く家から自立して親の援助を受けなくても生活出来ることが目標でした。母親は元小学校教師でしたが、家政科を出たので「女の学問は可愛げがない。女は家のことをきちんとしていい生活をさせてくれる人を探すのがいい生き方」という考えの人でしたから、「絵を描くことしか取り得がないから、この道しかないから頑張ろう」と決意していた私からは「馬鹿みたい。」と思われて軽視していたのです。
 絵を描くにはどうしても汚くなるのです。
 髪も振り乱しますし、衣服もお洒落よりも労働しやすく安物でよくなります。
 それが、私の母親から見れば「中国の紅衛兵みたい。」と言われ、嫌悪されたのでした。

 若いお嬢さんは誰でも少しでも構えば輝くのです。
 身奇麗に髪をまとめ、そこそこお洒落をしていれば花の時代です。
 しかし、片手まで出来るほど絵の道は甘くは無いのです。
 夜はバイトで遅くなるし、職業も若い学生ですから時給で支払えるようなつかの間の仕事です。絵の具や展覧会に行くお金や本代などは自分で稼いでました。又、絵の道の人は母親のタイプから見ると信用されないような貧乏な人やだらしの無い人が多く、電話がかかってきても私に伝えなかったり侮蔑的な言動をして、間にはいった私は、いつもハラハラ、謝ってばかりでした。

 両親も「ごく潰し」と言って、芸術家の貧乏振りを被害にあわないように決められたお小遣い以外を決してくれることは無かったのです。

 「魔術的発明 Magia・Inventorix パラケルスス」個展の頃。27歳くらいかな? 銀座藍画廊で。ちょっと凄みのある顔ですね。このときはヘアー・サロンに行った感じですね。
 

 しかし、仲間から見ると私はリッチ・オーラがあったらしく、いつも無心のターゲットで、それにお応えすべく他人の何倍も働いていました。又、それを見て母親は本当に芸術の道に生かせることが嫌で妨害も凄まじかったのです。とにかく、バイトから帰って来ても中から鍵をかって入れてくれません。それで、朝まで庭にいたり夜やっているスナックで明け方までいることもザラでした。電話を繋いでくれないので仕事も随分壊されました。又、画廊なども(あなたのお母さんから侮蔑されたので怖いので2度とお電話できない。」と言われたものです。
母から見ると、貧乏畑でどこの画廊も無料で働かせるのはザラでしたから利用されているとしか思えなかったのでした。又、母は大変感情的なタイプで優しい言葉で趣旨を言うという芸当の出来ない人で、とことん傷つけるやり方しかできないのです。それで、電話番号も教えなくなりました。

☆年頃の娘らしいことは全部しました。お茶、お花、お料理。それでスケジュールは一杯でした。母親はいわゆるいいところに嫁がせることが夢だったのでした。
私は両親に「30歳になったら、自分で探して縁談でなく責任もって探すから、それまでは自由にやらせてほしい」と申し出て、お見合いもしたことがありません。

 それで、20代は親の望むことと自分の画業で忙しく生きていたのでした。
 母親は性格が激しいので、上の弟は学生頃から父の事業の寮?のようなところに泊り込み、弟2人は恋愛結婚で母親の反対を押し切って結婚しました。母親は泣いてましたがとにかく極端な性格なのでおめがねに叶うのは大変なのです。それでも弟2人とも祖父母を説得して両親も参列して普通に結婚しました。

☆わりとアートの世界では順風だったかもしれません。
 バブルの只中で世にはお金が余ってましたから、若いアーティストには好意的で先ずどの店舗でも絵を持っていけば監査して買い上げてくれました。
安いし私もそうしたことは極初期にしかしなかったのですが、道を歩いているだけで絵が売れました。
 母は「娘が今日銀座を歩いていたら知らないオジサンが絵を2枚倍額で買ってくれたというけれど、そんなことってあるのかしら?」と母の姉に言ったものでした。叔母は「そう言っているんだったらあるんではないの?」と言いました。
 母の祖父は絵描きで7つの蔵を潰して死んだそうなので「絵描きを甘やかしたら家が潰される」と思ってました。

 それでもだいたい1年の1作品。シリーズものと決めて個展をしてたので家で本を読んだりお茶の稽古に通ったり、フランス語に通ったりでお金はギリギリの貧乏さんでした。
母は100円の駄賃で私に買い物とは頼んでましたね。凄くケチとは思いましたがそうした時代でした。ただ、母自身がお洋服と着物大好き人間だったのでそれだけは買ってくれました。
それで、まずます画壇からは無心されたのですが、こっちも辛いほど支払える境遇ではなかったのでした。

☆それで、母とは喧嘩ばっかりの日々で、母も生きがいのように妨害してました(笑)。
父も多分、主義で「子供を甘やかしては育たない」と考えていた人で一切の援助はしませんでした。初めてのギャラリー個展で毎日デイリー・ニュースが記事を英文で書いてくれ絵の写真を載せてくれた時に23歳くらいでいたが、父が「その新聞1つくれないかな。」と言ったので、「大変な時に助けてくれなかったから、売ってあげる。1紙2万円。」と言ったら、2万円くれました。
 父も母も信じられないことですが、私がアメリカから帰ってから銀座画廊で初めての個展、そうですね55歳くらいかな?までは私の絵の個展には来たことがないです。

 でも、皆知らない人は「縷衣香さんはお父様やお母様の援助があって個展ができるのね。」とかよく言われたので「?????」って感じでした。むしろ妨害されていたのでした。兵糧攻めです。

☆運命に愛されて、他人様がお金を出してくれてパリに行けました。すると母が「他人がお金を出すというのはそれなりの価値が有るかもしれない。」と滞在費を約2年分払ってくれました。それでも、帰りにロスアンゼルスから「お金が無くなったから銀行に振り込んで!」と言ったら、「勝手にしろ。」と振り込んでくれずイエス様が助けてくれました。
つまり、私の両親はむちゃくちゃお金を出すような甘い親ではありません。

 それでも無関心では無く、私が26歳の頃に日本経済新聞の文化欄に記載されたときは、会社に持っていったらしく部下が胡麻をすって、わざわざ下の階の銀行の頭取に見せに行ったりして、「お嬢様はお父様より凄いですね。」とか言ってたりして、画廊に伝言に来たのでした。

 原稿用紙がその辺においてあると「上手くかけてる〇〇子(妹の名前)か?」と父が言うので、「私よ。」と言うと「上手く書けていない。」と私にはことごとく厳しいのでした。父に言わせると「駄馬に鞭打っても仕方が無い。駿馬に鞭を打つと走りが違う。」という考えのようですが、私には非常に厳しくて援助のしない育て方でした。

☆そうした親子関係は修復されたのは結婚の時でした。
 そのころには、母親は私を絵描きにして自分は家事をして親子3人で暮らすというプランを立てていたのでした。もう35歳でしたから結婚させることは考えなかったかもしれません。
しかし、妹を結婚させる予定が狂い妹はアメリカで博士号を取って学者になり私が結婚することになりました。

 どういう訳か、私の主人は両親のおめがねに大変あったのです。
子供の頃から知っていたせいもあって、両親とも大喜びでこどもができてからは母親は生きがいのように孫のお守りをしたものでした。
いまだに激しい母子の葛藤を見ていた他の兄弟3人からは「不思議だ。どうして仲が良くなったのか。」と思われているわけです。

 それは私が成長したせいもありますが、母や父の夢も叶える結婚でもあったらしく、私の両親も主人の家のなすことをいつも感嘆して「偉い。」とか言ってました。若い貧乏な二人が結婚するときも家代の援助は先方から言われたら出すつもりでいた父は「あちら様を立てて、こちらから差し出がましいことを言ってはいけないと思ったが、とうとう1円も出してくれと言わなかった。たいしたものだ。」家の新築の時も主人の家が全額負担してくれたのに感謝をしてました。

☆この頃、言われるのは「お姑さんにもよくお仕えして感謝をしなさい。」という父のアドバイスです。
パリ個展とときもボストン個展と時も姑と母と仲良く旅行して見てくれました。

☆父も母も今、体には問題ありますが生存してます。
 長いドロドロの争いの果てに、多少疲れたとはいえ親子関係が良くなったのでした。
 親が弱くなったのを見ると、親はどれだけ遠大な計画で子供に良かれと一生懸命教育をしてくれたのか分かります。

 絵の世界にいながらも、お料理やお茶を学んでいたのが思いもがけず役に立ったのでした。
画壇のいかがわしい交友関係からも護ってくれたのはやはり両親でした。
世間の怖さや女子の危険は護っても護っても危険が付きまとうのでした。

☆今、週に1度家の掃除に父の家に通ってますが、学生時代から住み慣れた私の実家は本当に良い環境にあると今さらながら感じるのです。

 あの時は見えなかった。
 若い時は家から出ることだけを考えていたのに。

 現実に世の中は怖いところなんです。

☆親が若くしてなくなったり、事情で離婚したりシングルの未婚の母の子供達もたくさん見てきました。経済的にも厳しいのでしょう。でも、そうして育ったこどもたちの親孝行には涙するほど美しいものが多い。苦労は報われ
 犯罪をおかす子供にも言い分があります。
酷いいじめをする子供もとても心が淋しいのです。
離婚しても大人の事情がわかるまでは親は愛情をしっかり持ってかかわってないと子供は人生を愛せなくなってしまいます。

 孤独に生きる人達もいる。
 私にも経験がありますが、孤独な時って周りが敵に見えてしまうのですよね。
 また、うまく他人に心を許せない人がいる。

 これだけ「オレオレ詐欺」や「福祉詐欺」や「NPO詐欺」が有ると、他人が不信になるのも仕方ないですよね。
でも、老人になって体が不自由になって、孤独は辛い。
中には孤独な老人を痛める人もいる。
自分の身内でなくても老人にはやさしくしたい。

 刑務所が老人ホーム化して60%以上の60歳以上が刑務所に戻ってくるのですって。
食べるものも寝るところもあるもの。路上生活よりいいということらしい。
でも、税金で運営しているのですから、生活保護や母子家庭が増え続けると破綻してしまいます。周りの人が身内のように援助していくことが望まれているのではないかな?

 淋しい老人にも鍵っ子にも声をかけて、お茶でも淹れてあげよう。
昔はどこの家でも居候がいた。ひとりになんかしなかった。

 これから老人社会になって、老人格差が広がると思う。
趣味を持って若い人とも仲良くすることだ。
孫の多い人もいない人もいる。連れ合いのいる人もいない人もいる。
家のある人もいない人もいる。
多少は個人的に手助けしたら、随分社会は伸びやかになると思うがどうでしょ?

 老人になってお金がないのは辛い。
基本的には誰でも老人になるのは分かっているのだから貯金もしたいよね。
何か他人がしてくれたら、多分当たり前と思ってはいけないのだよね
だから、感謝をして少しお菓子とか渡せる余裕もあったらいいなあ。

 人間が皆幸福になるのは天を喜ばせること!
子供が幸福になるのを天の父は大地の母は黙ってみていると思う。

 親孝行=天孝行

中国は新中国建国60年ですって!1949年新中国建国。
皆、変っていくのよね。皆が幸福になるために!

地方から続々と「二十四孝」の注文が!ありがとうございます。親孝行を奨励しましょう!

 とにかく忙しくしているのでなかなか友人達とお茶する時間も持てないのですが、個展や本の出版でそうした疎遠の方たちともお会いできるのがとても嬉しいのです。

 今日はまだ風邪でしたので「過労な仕事が休めない人用」ユンケル・皇帝・ロイヤルを3本買ってきて1日1本と決めました!

 幸い絵本「二十四孝物語」をお手に取られた方からの評判もよく、地方からも続々と出荷依頼がきてます。
そうしたことが一番の励ましです。

☆もう、私のようなベビーブーマー世代は両親の片方がお亡くなりになった方や両親ともご縁をなくされた方が多いのです。
 戦後の夢と共に育った私達の世代は、塾や進学戦争が始まったばかりでいつも忙しかった気がします。
いつの間にか誰かと比べたり競って安心したり不安になったり。
でも、そんな考え方のツケが周ってきて、評価されない地道な親の介護をする人達が結構ないがしろにされています。
老人ホームであった火災。老人が若いOLを刺して刑務所に行きたがっていたり、子供に年金を当てにされているお年寄りもいるのです。

 私達の子供の世代は夢を持ってないのですね。
 何もかも有るが夢がないのが日本とのことです。

 この頃は普通の人も倹約を心がけているのでホームレスと見違う質素なお年寄りもいます。
 でも、戦争や大地震を体験して焼け野が原から生き返った私達の親の代はまだまだタフだったとおもうのですが、
今の私達はか弱く、10年も続く大不況に節約しかできそうもありません。

 そうだ!
 間に合う内に人生の先輩から学ぼう!

 世界には飢餓も戦争もある。
 生まれて以来、憎しみだけの人生もある。

 おやを助けて水汲みやゴミ漁りをして学校に行けない子がいる国もある。

 豊かな国といわれる私達の国の自殺率の多さ。
 幸福を知ることが下手なのかな?

☆先ほど夕飯の支度にスーパーに行ったら、割引のカードを探す時にハンドバッグの小銭をばらしてしまい焦ってしまった私に、次の老女がニッコリと微笑してくれたのでした。「ごめんさい。」とは言ったものの、余計に時間がかかって怒っても不思議は無いのに。老女は質素なきちんと生きてきた落しよりって感じでした。
 そんな風に余裕が少し有ると気持ちいい1日となるのですね。

 長く生きるって凄いことですねえ。