March 23rd, 2009

「おくりびと」を観る。





 昨晩も今晩も扇型の箱に絵を描いた。
アクリルというのは筆が走りにくい。
ずいぶん手間をかけてもうまくいかない。
それでもあらまし7個の箱を描いて写真に撮りいつものように画像に出してるのだが、どういうわけかホームページ・ビルダーを入れたせいかぜんぜん違うように画像が出てうまくいかない。
スキャンのほうは大丈夫だった。

☆「納棺夫日記」
 青山新門著 文春文庫

 これは凄い本だ。
今まで考えたことも興味も持ったこともない世界だが、アカデミー賞のおかげで読むことになった。
 やはり作者の運命のようなものなのだろう。
 父親が母親を捨てて家を出る。
 母がスナックを経営して早稲田大学に行く。
 しかし中退して酒場を経営したり、詩や文学への興味で店が借金を抱えて潰れる。
 かみさんに子供のミルク代を稼ぐように言われ、選択肢のないまま入っていく世界。

 死や魂の悟りのような体験をした詩人の世界への知識や理解。
そして具体的に遺体と言うものの残酷な部分と社会の偏見。
しかし、詩人の魂を持った彼は死や生命を見ながら実に深い仕事の意義に目覚める。

☆本木雅弘さんが15年前にこの本とであったというのは凄い。
彼は書も本当に達筆で、なかなかの人物だ。
映画の脚本ではスナック経営者ではなくチェロの奏者である主人公が首になり路頭に迷う。
田舎の実家に妻と帰るが、仕事はない。しかし、やはり出会いとしか言いようが無い冠婚葬祭の仕事に連絡をして入っていく。

☆私も棺桶の作品を作って死というものを考えたことがある。
棺桶の作品をお墓のインスタレーションして撮影したとき、お墓というのがやさしく平和に満ちているのを知って、すっかり偏見が消えた。
アメリカの火葬場にも行ったことがある。
アメリカでは火葬は珍しいのである。いろいろな器に写真や名前のある灰が入っていて地下に庶民的なものから高級なものまで陳列してあるのだ。

☆「ドバイ」のほうは、怖ろしい出来事を体験した青年の本だ。
彼はドバイの凋落を予言している。貧富の差と人権無視のめちゃめちゃな政策。
何の罪も無く彼は牢に入れられる。しかし、まずい食事や臭い牢の中で戦争のあるソマリアの人達が戦争が無いだけましだというのだ。食べられるだけましだというのだ。
ほんの少しの手違いでスーツケースが1週間送れたところから、彼の不運が始まるのだが、労働許可書も滞在許可書も完全に用意してでかけた寿司職人の技術をマスターした青年。
北大の工学部をでた青年で、いい加減な奴ではない。

 外国と言うのは危険だ。
 理想や冒険主義も随分命取りだ。
 彼は賢く度胸も合ったから抜け出せたが、もし知恵がなかったら本人は気が狂っていただろうという。アラブ語が出来ないのが原因でない。おおよそ他人のことを省みない豊かな人たちの無責任さが、始末をつけるように牢に収容させるのだ。

 青年が帰ってからドバイに暴動が起こる。不当な賃金で働かさせられている人達がストライキしたのだ。そうだ。いつまでもおとなしくしていない。
今、ドバイは夢のような繁栄から落ちて金持ちも悲惨なことになっている。
やはり、貧しい国が石油で富み、成金でお金の遣い方を知らず、他所の国からの日雇い労働者を言いように安く使ったつけのようなものがきているのだろう。

「お金さま」天理教の陽気暮らし新聞!

月刊80万部発行されている。毎週日曜日発行。842号。
郵便ポストに入っていたものです。

お金さま

 人間はお金が無かったら1日も生きていくことができません。
 命の次に大切なものはお金です。
 お金は、正直で誠実な人のところに流れていきます。
 正直とは、嘘やごまかしのないことです。
 誠実とは、人のために本気で尽くすことです。
 正直と誠実がない人は必ず貧乏します。
 そんな人にお金を支払う人はいないからです。
 長いうちには必ず見抜かれてしまうので、そういう人は盗みやだましをして生きていくしかありません。
 お金が自分のところに入ってくる時は、自分の正直と誠実に対して支払われているのだと思うことが、大切なことではないでしょうか。
 正直とは、嘘やごまかしのないことです。
 誠実とは人のために本気で尽くすことです。
 それは誰が教えるべきことなのでしょうか。

☆このちいさなはがき大の紙を私はコートのポケットにしまいました。
 素敵な内容だ!
 この時に、教育里親の募集の封書が届いたので、前から幾度も断わったので切手代も惜しいと思って、ちょうど「二十四孝物語」の個展案内の葉書があったので「自分でボランティアの場を立ち上げ、祈りのコテージを建設中です。それで教育里親はできません。」と断りの手紙を書きました。そうしたら、返事が来て「いいわねえ。私も祈りの場の建設を考えてるのだけど費用が無いので土地しかない。今度、本が出るからよろしくね。」とありました。

 そうだ。
 コテージに関しては神様の応援を感じる。
 誰にお願いしたわけでも、寄付を頼んだわけでもないのに祈りの場ができる。
 神様ありがとう!
 しっかり、この場を生かしますよ!

☆正直と誠実。素敵な言葉です。
 誰かが腕にFaithと信仰とか誠実と言う意味の刺青をしていた。
 
 私は「花咲かじいさん」のお話が好きである。
 正直じいさん、ポチ借りて、裏の畑を掘ったらば、大判小判がザクザク、ザックザック

 この童謡の節回しも大好きで特に「大判、小判がザクザク、ザックザック」と言うと頃の節回しが大好き!

☆誰のためでもなく誠実に生きた人は羨ましい。
 多分、凄く難しいのではないか。

☆誰が教えるべきことなのでしょうか?
 やはり、親とか学校とか大人でしょう。

 中国で「オレオレ詐欺がおおはやりだそうです。
 日本から発展して中国に流れたのかも。

 若い優秀な大学生達がオレオレ詐欺でよく捕まる。
 楽してお金を儲けたいのでしょうか?

☆私も若い時はそうだったかもしれない。
 でも、この61歳という年齢になって真面目に誠実な人が迎える晩年の境地は嘘ついて騙して生きてきた生涯に比べると雲泥の差で幸せだと思う。
多分、どの人生でも躓くと反省して、1から出直そうと思うようにできているらしい。

 納棺師の方ですら、居酒屋で倒産して着いた仕事が納棺で、妙に反省しているのだ。
死に様で故人の生涯が見えてくる。

 ドバイの本も一部の富めるものが貧しい人を搾取したり騙していたツケを払っていることを教える。アフリカではアメリカは憎しみの的だ。アメリカも奴隷船の奴隷をただ働きさせてきたツケをこれから払うしか生き残る道はない。


 キリスト教では「貧しいものは幸いである」とある。
 それは搾取して富まなかった貧しいものは幸いなのだろう。

 反貧困の問題がある。
 派遣村で「貧しい者は幸いである」とといても説得力が無い。
 貧しいものは幸いではない事実がある。


 若い時に、どうして生まれながらに貧富や生まれの差があるのかわからなかった。
 それで、キリスト教を追い求めたが、現実に人間のなす世界は不完全で、聖書を読んでも教会に行っても得したい気持ちが勝って動いている人の方が多かった。
私の見た聖職者たちは三越の特選食堂で食事をしていたり、優雅な3ヶ月のバカンスをしていた。それは普通の金持ちがしていることだった。人間として許されるだろう。しかし、貧しい信者のなけなしのお金でそんなことができるのだとしたら、誠実ではないだろう


 大不況のお蔭で、皆お財布の紐が固くなった。
 世間知らずの私も61歳にもなると、流石に無条件でお財布をひっくり返すことはできなくなった。
 教会の机に並ぶチラシの殆どは寄付依頼だ。
 汗水たらして自分の働いたお金を使えば、周りが「私にも助けさせてください。」といってくるのではないだろうか?
 ボランティアも意外と功名心が隠れていることがある。
だれだれが名前を載せたとか権利争うがあって、誰かが助ければそれでいいでないかという単純な私には考えられないことが起こっている。

 皆、正直でも誠実でもないのだろう。

 しかし、大不況のお蔭で皆、他人に厳しくなっている。
 それはいいことなのだろう。

 あまりにも溢れるホームレス。
 どんな人生があったのかは知らないが、「ビッグ・イッシュー」の販売員は軒並み反省しているのだ。だから、販売員として頑張れるのだろう。


 私も反省してますよ。
 とにかく昔から貧困となじんだアートの世界の住人なのである。
  私だって日々目一杯働いています。それでも、苦しいね。人生はかなり厳しくて誰でも目 一杯働かさせられるものなのだろう。
 だから、1日の終わりに眠りにつく時にととても幸せを感じる。

 死ぬときはそうありたいものです。